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【凪〜nagi〜】第4話

登場人物
◆七生(なお)…小学校の新人女性教師
◆陵(りょう)…七生が勤める小学校の男性先輩教師

二人の思い

七生は、陵の話を聴きながら、自分の好きは一体何だろう?ということを考えていた。

七生は、共に高校教師として、物理を教える父と、国語を教える母のもとに生まれ、幼い頃から厳しいしつけの元で育てられた。
しかも一人っ子だったので、両親の関心は否応なく七生に集中し、勉強だけでなく、日常の言葉の使い方や、食事の際の箸の上げ下ろし、立ち居振る舞いに至るまで、毎日のように小言を言われながら育ってきた。

両親は、高校教師という職業柄、娘が世間からどう見られるかを常に気にしていた。
もし高校教師を両親に持つ娘の素行が悪ければ、すぐに学校名と実名をSNS上で拡散され、場合によっては、両親の監督不行き届きとして、教師を続けられなくなってしまう。
そんな不安が、家の中にいつも充満していた。

また両親は、PTAからの軋轢や生徒の親からの教師に対するクレーム対応や授業の参考資料作りや部活の顧問などで、毎日遅くまで就業時間外労働をせねばならず、過度なストレスを常に抱えており、父と母が顔を合わせればいつも、相手が家庭を省みないことが理由の口論が絶えなかった。

だから、七生はいつも、良い子でいることを演じなければならなかったのだ。
自分さえ我慢すれば、この家は世間から見たら、幸せそうに見えるのだから、親の言う通りのことだけをして、自分を押し殺して生きようとさえ思っていた。

親も、近所の人に会うときは教師らしく、気の利いたことを言ったり、笑顔で挨拶をしたりするので、周囲からは知的で素敵な夫婦と思われている。
けれども、一歩家の中に入れば、外での仮面を脱いで、無表情のまま暗く日常生活を送っている。
七生は、外と家とでは真反対の顔を持つ、二面性の両親をずっと見て育ってきたので、いつの頃からか嫌悪感を抱くようになっていた。

七生は、誰にも邪魔されず、自分の頭で想像したものを自由に表現することができる、絵を描くことが幼い頃から大好きだった。
絵を習いたいと親に言ったこともあるが、絵を描くことが、娘の将来にプラスに働くことが分からなかった両親は、首を縦には振らなかった。

幼稚園の頃から、部活が始まる中学校に上がるまで、ピアノやテニス、英語のレッスンといった、親が決めた習い事にずっと通っていたので、近所の子どもと外で遊ぶことがほとんどなかった。

でも、そんな乾いた日々の中でも、七生にとって小さな心の拠り所があった。
小学生の頃から鍵っ子だった七生は、学校から帰宅し、ランドセルを玄関に置くと、靴箱の上にいつも置いてある鉛筆と落書き帳を持って、住んでいる家のすぐ近くの裏山に駆けて行った。

息を弾ませながら、裏山をしばらく登っていくと、視界が開ける広い野原があった。
その野原で、てんとう虫やバッタ、アリなどが活き活きと動き回る様子を眺めながら、生き物たちの絵を書いたり、ヨモギやカラスノエンドウなどの野草を摘んで香りをかいだり、寝転がって風に流れる雲を眺めたりした。
ひとしきり、その野原で自然と遊んだ後に、急いで家に戻り、持っていた鉛筆と落書き帳をお稽古カバンにしまうと、それを持って、走って習い事へ行くというのが、七生の日課だった。

七生は、息苦しい家庭の中にいて、乾き切りそうになる自分の心をそんな風に解放することで、まだ幼い自分の心を癒していた。


そんな風にしてすべて親の言いなりに七生は育ってきたので、教えることが好きだとはっきり言う陵の言葉を聞いて、自分の好きなことを改めて考えた時に答えが心底分からないのだった。

でも、まるで子どものように真っ直ぐな思いを語る陵の横顔を見つめていたら、七生は自分が小学生だった頃の記憶がぼんやりと浮かんで、ふと思い出したことがあった。

ピアノやテニス、英語のレッスンといった、親が決めた習い事にずっと通っていた七生は、習い事が始まるよりも早く教室に着いてしまうと、お稽古カバンから鉛筆と落書き帳を取り出すと、裏山で見た自然の風景や、野草や野花を描くことがあった。

そんな風にして絵を描きながら、廊下に置かれた長椅子で待ち時間を過ごしていると、七生よりも小さい子のレッスンが終わり、賑やかに子どもたちが教室から飛び出してきて、七生がどんな絵を描いているのかを興味津々な様子で取り囲み、手元を覗き込んでくることがよくあった。

七生が描いた絵を見て、小さい子たちは
「お姉ちゃん、すごーい!上手!」
「このお花、可愛い!今度私にも描いて、描いて!」
「この葉っぱ、面白い形!」
と口々に言った。

外と家とでは真反対の顔を持つ、二面性の両親の元で、自分を押し殺しながら生きている七生は、取り繕うことなく、こんなにもまっすぐに自分の気持ちを渡してくる、子どもという純粋な存在に囲まれた時に、裏山の自然の中にいる時のような、開放感と心の穏やかさと自分らしさを感じていた。

だから七生は、将来は幼稚園の先生か、小学校の教師になることをずっと心に決めていた。
でも七生が、成長し大学を受験するときに、両親は、自分たちと同じ領域に娘を縛り付けておきたくて、高校教師になることを強く勧めたが、七生が珍しく強く反発して、聞く耳を持たなかった。

長時間の両親の説得も虚しく、頑として譲らない七生の決意に、両親はとうとう根負けし、幼稚園の先生よりは、小学校の先生の方が世間体がいいからという、全くもって意味のわからない理由で、小学校の教師になるための小学校教諭免許状を取得できる大学への受験を渋々認めたのだった。


七生は呼び起こされたかつての記憶から、はっと我に返ると、ぼんやりと遠くを見つめている七生を心配そうに見つめる、陵と目が合った。

その瞬間に、自分は絵を描いている時と、自然の中にいる時と、子どもと接している時に、本当の自分になれることに気づいたのだった。

そのことに気が付いたことで、小学校で子どもたちと接する時に、距離感なんて気にすることなんてない、自分は本当の自分のままで、子どもたちと接していけばいい。
距離感を気にして、教師然として、子どもたちと接してしまったら、あれだけ嫌悪していた両親の二面性を受け継いでしまうことになる、と改めて気が付いた。

今まで、冷え切った家庭で、人の二面性を見て育ってきた七生は、人と接する怖さがあり、目の前の人の言っていることと、本心は実は違うのでは?と常に懐疑的になってしまうので、人間関係がうまくいかず、この年になるまで、恋人や友達と呼べる親しい人は誰もいなかったのだった。

今まで、こんな風に誰かに悩みを打ち明けることはなく、いつだって孤独に震えて生きてきたけれど、不思議と陵の前では、呼吸が深くなり、心が緩んだ自然体の自分でいられる。
七生は、生まれて初めて、自分という存在を誰かに認識してもらえたように思えて、身体中から喜びが溢れてくるのを感じるのと同時に、気がつくと、長い睫毛を濡らしながら、ポロポロと大粒の涙を流していた。

急に泣き出した七生の様子に慌てた陵は、自分のせいで、七生をさらに落ち込ませてしまったと勘違いをして
「ごめん!僕の言い方が悪かったかな。。えっと、教師でも教えるのが苦手っていう人もいると思うし、焦らずに子どもたちと時間をかけて、仲良くなったらいいっていうか、なんていうか。。その、、」と、どうやって弁解をしたらいいか分からず、口調がしどろもどろになっていた。

店内にいた周りの客は、泣いている七生と陵の様子に気が付き、美しい若い女性を泣かせる悪いやつという目で見てくるし、陵はどうしていいか分からずに、そうだ、涙を拭くのに必要だろうと、ポケットからハンカチを出そうとするも、手がおぼつかずに床に落としてしまったりしながら、しばらくオロオロと一人うろたえていた。

==【凪〜nagi〜】第5話へ続く==

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