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錦織公園にたたずむ赤穂池とかかわった富田林市長

 錦織公園の入り口から正面の道を上がっていくと最初に見えてくるのが赤穂池。これは西北方向に細長く続いている池です。この池の端まで行くと水路が通じており、その先にあるのが、もうひとつの奥の池。

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 はっきりと明記していますが、ここでは魚釣りができません。これは河内長野の寺ヶ池も同じ条件。でもひそかにやっている人がいました。

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 さらに改修記念の碑というのを発見。奥ノ池同様に行われたようです。さて石碑の横に見ると、富田林市長・内田次郎とありました。ちなみにこの人は、昭和50年から平成15年まで富田林市長を務めた人物です。

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 錦織公園の歴史を確認すると昭和50年に富田林都市計画公園として計画したとあります。ちょうどこの市長が就任したタイミングと一致しますので、この内田市長が錦織公園の整備に深くかかわっていたのでしょう。
 ちなみに公園自体は昭和62年に20ヘクタール分が初めて開園したとありました。

 昭和50年が西暦1975年で、平成15年が2003年ですから、内田市長は28年間市長を務めたことになります。すごい長期政権ですね。

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 ただため池であることは確実ですが、いつだれが最初に作ったかの情報は見つけきれませんでした。河内長野の池だと結構情報が出てくるので、そこは意外。ただそんなこととは無縁にカメが優雅に泳いでいるのを見つけました。

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 結局赤穂池の名前の由来などもよくわからないままですが、いずれ情報が芋づる式に見えてくる時が来れば、改めて紹介します。

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