見出し画像

ストロングゼログラビティ研究④〜ゼログラビティへの旅立ち

第4章
ゼログラビティへの旅立ち

2018年11月18日のブログ「夜会考・苦行ツイキャスとゼログラビティについての考察」より抜粋と加筆


1961年、世界初の有人宇宙飛行を成功させた旧ソ連の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンがいった「地球は青かった」という言葉はとても有名だが、その次に有名な彼の言葉は、その言葉の後に続けた「…私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった」という言葉だと思われる。
しかし、調べてみると、この「神は見当たらなかった」発言に関する記録が全く無いらしく、実は、ガガーリン本人がよく言っていた風刺ジョークが一人歩きしたのが真実だそうだ。
結局34歳にして謎の死を遂げてしまった為、ガガーリンが本当は何を見たのかは誰にもわからないまま、今日に至っている。 

1968年、アポロ8号で人類史上初めて月の裏側を周回したジム・ラベルが月の裏側を周回した直後に、ヒューストンへの通信で言った「みんなに伝えてくれ。月にはサンタクロースがいる」という言葉も、都市伝説や陰謀論の話に出てくる有名な台詞だ。
しかし、こちらも調べてみれば実はその日がクリスマスであったらしく、言い放ったジム・ラベルの一世一代のジョークであったらしい。
しかし、実際に何を見たのかは当の本人にしかわからない。
もしかすると彼は、本当にサンタクロースが走り回っていたのを見たのかも知れないが、ヒューストン側の大爆笑の音声に真実を伝えることを諦めたのかも知れない。 

実際に何を感じたのかは本人にしかわからない。
世の中の多くのことは実際にやってみなければわからないことばかりである。
「やってみてから考える」、これは我々のパブリックスペース研究など、いろんな研究を始める際に重要なモットーである。 

私がそのことの重要性を再認識したのは、「ツイキャス」を使っての研究を始めた時である。
「ツイキャス」とはインターネットを介したライブ動画配信サービスで、パソコンやスマートフォンを使って、個人でも簡単にリアルタイムの動画を世界中に配信することが出来る通信サービスの一つだ。
我々は、その「ツイキャス」を使い、音声のみのラジオ放送を行っている。
部屋で1人、パソコンのマイクに向かって話し続けるのである。 

2018年の9月におおがきさんが何の前触れもなく、いきなり「ツイキャス」を始め、それを見て慌てて私も始めた新たな研究である。 

おおがきさんの行動につられてツイキャスを始めたのは私だけではない。私が大阪の飲み屋で知り合った「こーだいさん」も、SNSでおおがきさんがツイキャスを始めたと知るや否や、謎の衝動に駆られたらしく、慌ててツイキャスを始めたのだった。
それを我々は「苦行ツイキャス」と呼んでいる。
なぜ、我々はおおがきさんの行動に慌てたのだろうか?
私も、こーだいさんも無条件に「やられた!」と言わんばかりにツイキャスを始めたのだった。 

それはまさに、米ソ宇宙開発競争が始まったかのような瞬間だった。 

こーだいさんの理由は本人に聞いていないのでわからないが、私の場合は『夜会夜会と言ってはいたが、たった一人で語り尽くすという研究をしたことが無かった』というところが大きいように思う。
苦行ツイキャスのルールで定められている「30分間たった一人で話続けたら、いったい自分はどうなるのか?」という、一研究者としての説明のつかぬ好奇心を前にして、始めないという理由は全く無かった。
たった一人でいきなりツイキャスを始めたおおがきさんの音声を、手に汗握りながら最初に聴いた時の心境は、まさにヒューストンで宇宙飛行士の通信を沈黙の中待つNASAのスタッフのそれと同じであった。 


「テス…テス…テス……」 


iPhoneの小さなスピーカーの向こうから、薄っすらとおおがきさんのものらしき声が聞こえていた。
そして、雑音や小さな呻き声のような音がした後、はっきりとおおがきさんの声が聞こえた。 





「何とかしてくださーい!」 




おおがきさんがどんな所にいるのか、さっぱり見当がつかなった。
地球に残っている私からはその状況を把握することができず、「ここではない別の場所」としか理解することが出来なかった。
ただ、いきなり「何とかしてください」とは何事か。
おおがきさんが、かなり苦しい状況下にいるということだけを、理解するのがやっとであった。 

そして、また小さな声と雑音が聴こえた後、想像を絶する言葉が聴こえたのだった。 








「誰か見てんの……?………………俺?」 








私はおおがきさんがどんな状況に身を投じているのかますますわからなくなり、果たしておおがきさんは無事に帰って来れるのかすらわからなくなっていたが、その後おおがきさんは何とか精神のバランスを取り戻し、軽快なトークを始め、無事に第一回の放送をやり遂げていた。 

「これは自分もすぐにツイキャスを始めなければならない」と、すぐさまツイキャスのアカウントを取得した。
ツイキャスを始めてみてすぐにわかった。
全く誰も聴いていない視聴者ゼロの状態で、ただマイクに向かって1人で30分話し続けるということの初めて味わう恐怖感たるや訳がわからなかった。 

まさに宇宙空間そのものであった。
まさにゼログラビティそのものであった。 

後日、おおがきさんにその時の話をすると「そうなんだよ!「ゼログラビティ」という映画を観てからずっと、いつか適切な場面でこの言葉を使いたいと思ってたんだけど、ツイキャスの瞬間だったんだよね!」と賛同してくれたのだった。 

気がつけば目の前に広がっている繋がりが見えない時間に対面し、誰でもない誰かに向かって何かを喋り続けなければならないという体験。
最初は日常生活の惰性で言葉を繋げることが出来るが、そのうちに私の中にあった言葉は枯渇してゆき、やがて自分の思考の源泉が露になっていく。
そしてそこには何もない。
そこには上下も左右も前後もないことに気がつく。
そこにあるのは、ただ喋り続けようとして、過去の言葉を探し続ける自らの意識のみ。
そしてついにはその意識そのものに意識が向けられる。
そこから始まっていく意識の解体。
気がつけばそこに重力は無くなっている、等々。 

これこそ、体験した者にしかわからないゼログラビティ感。
こんな身近なところに宇宙ってあったんだ感である。
ゼログラビティの発見に私もおおがきさんも興奮し、おおがきさんはついでに
「映画館で映画を観るなんてほとんどないのに「ゼログラビティ」は観に行ったんだ!梅田に観に行ったんだけど席がいっぱいで、諦めかけた時に友人がスマホでぱぱっと検索してくれて、無事に尼崎で観れたんだ!」と実際に映画「ゼログラビティ」を観に行った日の思い出まで教えてくれたのだった。
ゼログラビティ。これは文章として表現するのはかなり難しいのだが、そうとしか言えない無重力空間に我々は解き放たれるのである。 


そして、おおがきさんが最初につぶやいていた謎の言葉「誰か見てんのかな……?………俺⁉︎」であるが、自分もツイキャスを始めてみて、すぐに状況がわかった。 

このことについては、いつかまた詳しく論文を書こうと思っているので、かなり簡単な説明になってしまうが、一言で言うと「鏡の中のマリオネッツ論」である。 

「たった一人の宇宙空間で宇宙船のガラス窓に映るたった一人の自分」
このたった一人の自分に気づく瞬間が訪れるのである。 

話し手も自分、聞き手も自分、窓に映っているのも自分自身。誰も居ない宇宙空間であるが、誰も居ないことを確認している自分自身は確かに存在しているのである。
そして、このたった一人の自分に気づいた時、すべてのグラビティ―から解放されてしまった自分は、自分自身の維持が難しくなり、それは微かな恐怖として現れ始め、幻想のグラビティ―を求めて踊り続けてしまう自分の姿、それは「鏡の中のマリオネッツ」そのものである。
「鏡の中のマリオネッツ論」は、おおがきさんのツイキャスでBOOWYという人たちの『Marionette -マリオネット-』という歌を解読していくという実験により、よりいっそう強固なものになっていった。 

このように、2ヶ月の間、様々な発見をしてきたのだが、我々はツイキャスをやりたかったという訳ではない。
我々のツイキャスはただの手段であり、一般的なツイキャスのように閲覧数の増加を目指したり、他のユーザーとのコミニュケーションを目的としたものではない。
我々にとって媒体やツールは何でもよかったのであるが『一人で話したことが放送され、それが保存される』という機能を満たしたツイキャスが丁度良いところにあったから使用したに過ぎない。 

そして、上記のような活動を続けていく中で、我々独自のツイキャスルールが出来上がっていったのだった。 

ここで、我々の苦行ツイキャスのルールをまとめ、記載してみようと思う。自然発生的に出来上がったルールを文章としてまとめるのには些か時間を有した。
ルールには嘘があってはならない。ルールは人を縛るものではなく、目的をスムーズ且つ安全に全うする為の基準にならなくてはならない。 

私は連日、板橋区図書館に通い、各種スポーツのルールブックや司法関連の文献を読み漁り、日夜高熱と歯痛に冒されながらも、なんとか苦行ツイキャスのルールを文章化することに一旦成功した。 

改定の可能性は常にあるが、今現在の苦行ツイキャスのルールを以下に記載する。 

<ツイキャス苦行七法>
一、苦行ツイキャス法とは苦行ツイキャスを行うためのルールである。
ツイキャスという苦行をスムーズ且つ安全に行う為に定めた基本ルールであり、ツイキャス以外の場での研究と実験は苦行ツイキャスと呼ばず、また苦行ツイキャス法は適応されない。
二、研究者として挑む。
参加者は研究者としての追求を目的とし、苦行ツイキャスに真摯に向き合い研究者精神を如何なる時も忘れてはならない。
三、基本的には一人で喋らなければならない。
コラボツイキャス、観覧希望、インタビューなど、一人での苦行ツイキャスから派生した例外や研究の流れ上やむ終えない場合を除いては基本的に一人で喋るものとする。
四、閲覧数(リスナー)を気にしてはならない。
目的は『一人で何もないところに話し続けたらどうなるか実験』であり、『閲覧者(リスナー)の数を増やす為の行為は苦行ツイキャスではなく、ツイキャスであり、これを研究と実験の目的としない。
五、研究者として精一杯の姿勢と敬意を込めて出来るだけ野口英世のような表情でマイクに向かう。 

※野口英世氏とゼログラビティ。 

六、ディスるなかれ。
如何なる時も他人を誹謗中傷してはならない。やむ終えず批判したい時や、怒りが心にある時も、試行錯誤して表現を考え直接的に批判しないこととし、個人の怒りを解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
七、諦めてはならない。
苦行ツイキャスを始めると、自分は何をしているのか、時間の無駄じゃないのか、こんなことより勉強をしたほうがいいんじゃないか、など様々な諦める理由を考えてしまうものであるが、苦行ツイキャスの先には他の研究では到底辿り着けないであろう新たな発見があることを信じ精進すること。 

これが基本的なルールであり、これから苦行ツイキャスを始めてみたい方や苦行ツイキャスを聴いてみたい方の参考になればと思っている。
また、個人的には第6条「ディスるなかれ」はツイキャスだけでなくSNSや私生活でも一つの大きなテーマとなっている。
そして苦行ツイキャスを始めて現在までの2ヶ月間、おおがきさん、こーだいさん、そして私の三人はそれぞれのゼログラビティの中で思考錯誤しながら実験と挑戦を繰り返してきた。
時におおがきさんはゼログラビティ空間の中で音声だけの手品ショーを繰り広げ、こーだいさんは何時間も中央分離帯を歩き続けながらゼログラビティ空間に向けて話し続けた。
それぞれのライフにそれぞれのスタイル。 

しかしスタイルこそ違えど、「孤独で暗い宇宙空間ゼログラビティで一人孤軍奮闘している」ということに関しては共通しており、気づけば私たちの間には「戦友という心理(=苦行フレンズ)」という感情が芽生えていた。 

一定期間やってみてわかったことは「人は一人である」ということだ。
結局、初めての苦行ツイキャスの時に体感したことが全てなのかもしれない。 

我々はこの先も苦行ツイキャスの実験を続けていくつもりだ。
この先に、どのような実験結果が待っているのかはわからないが、ひとまずの結果報告としてここに記し、筆を置こうと思う。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?