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ストロングゼログラビティ研究⑥〜ゼログラビティの終焉

第6章
ゼログラビティの終焉 

アインシュタインの相対性理論を説明する時に「浦島太郎効果」というものがある。
これは、学術用語ではなく、SFの同人誌である「宇宙塵」の柴野拓美氏が生み出した言葉とされている。 

浦島太郎効果とは何か? 

観察者が2人いるときに、双方の相対的速度差によって、あるいは重力場が異なる場合により、この2人の経過時間にズレが生じるということである。 

2014年に大ヒットしたクリストファーノーラン監督のSF映画「インターステラー」で登場人物が宇宙空間での時間旅行により、年老いたりそのままだったりして年齢がどんどんズレていくのはこの効果である。 

平成の研究を振り返ると、長いのか短いのかわからないような時空旅行であったように思う。 

我らの終わらない自由研究をあらゆるレイヤーで分類することは可能であるが、平成から令和のにかけての研究は一つの歴史的地層を形成したと言えることができる。 

無事に令和になり平成の研究も一区切りついた現在、平成最後のラストスパートに健康を害してまで徹した研究の追い込みを振り返っておおがきさんは「いやー、何が楽しくて毎晩寝ずに爆笑してたのかわからんよ!」と言っていた。 

確かに我々は何をしていたのか。 

我々は連日連夜のストロングゼロの大量摂取と、平成への時空旅行のためと思われる極度の時差ボケのような後遺症で、アンニュイなテンションで令和の始まりを過ごしていた。 

しかし、確かに研究には意義があったはずである。
研究者はその時代の価値観に囚われるより、まだ見ぬ未知の新発見を信じて前に進まなければならない。 

平成研究の核となったヒットソングを訳していく研究方法「新訳」になぞらえて、おおがきさんはこう言った。 

「我々は『平成探査船しんやく』に乗って長い平成の旅をしてきたのだ」と。 

おおがきさんは、おぼろげに続けた。 

「しかし、俺には見えてましたよ。別の時空間のレイヤーが重なって、沢山の手を振る人たちが港であの紙のヒモとか持って……」 

「南くんも勇ましく敬礼ポーズしてましたねー ……手を振る人達(平成の国民達)に向かって……」 

「船長帽子の位置正したりしてね……船の汽笛みたいなの、ながーく一回鳴らした…平成への置き土産ですよ 、とか言ってさ…」 

我々は時空の旅をし過ぎてお互い30歳ほど歳をとり朦朧としていた。

これを書いている今現在、梅雨も明けてようやく我々は回復し、夜会もゆるく開催できるようになり、当時を振り返りながらようやく平成研究の再検証に乗り出している。 

そして、実はその回復の間に我々は連日飲み続けていたストロングゼロをどちらともなく自発的に止めていた。 

ストロングゼロを止めて、正気を取り戻したおおがきさんは語った。 

「いやー、去年から何をあんなに毎晩大爆笑してたんだろうか。ストロングゼロみたいな酒は破綻した国で貧乏人が俗世から抜ける為に飲む酒だよ!危ないよ!本当に止めれてよかったよ!」 

我々は連日ストロングゼロを燃料に平成の研究をしていた。
確かにストロングゼロを飲むと他の酒とは違い、無理矢理一気にテンションが上がり、研究に没頭することができたのだ。
平成の研究の後遺症はストロングゼロの後遺症と言っても過言ではない。 

「いやー、はっきり言ってコカインとかを摂取し続けながら研究に没頭するような変なムーブメントでしたね」 

と答えると、おおがきさんは続けた。 

「そうだよねー。あれは確かにムーブメントが巻き起こってたよね。ストロングゼログラビティームーブメントが巻き起こってたよね!」 

そう、あれは確かにストロングゼログラビティムーブメントだった。
平成から令和にかけての数ヶ月、我々の間には破滅すれすれのストロングゼログラビティムーブメントが巻き起こり、我々は連日連夜、ストロングゼログラビティムーブメントの中で踊り続けていたのだ。 

「しかし、あのまま飲み続けてたら廃人になったか死んだりしてたね。何飲んでたのかわからないもん!9%とか言われてもどんなお酒かわかんないもの。−196とか書いてるけどこれに至っては、何がマイナス196なんか全然わからんよ!」 



「いやー、さりげなく書いてますけど—196って何なんですかね」 

確かによくわからない酒を我々は飲み続けていた。 

「あれ! ちょっと待てよ!」 

おおがきさんの何かを発見してしまったような声が聞こえた。
私は新発見を聞く好奇心と恐怖心でかなり勇足で聞き返した。 

「おおがきさん!どうしたんですか!」 



「もしかして…これ………ストロングゼロで研究し始めて終わるまで……丁度196日経ってるんじゃないかな……」 




気絶しそうだった。
確かにストロングゼロを飲みながら研究を始め、丁度6ヶ月半ほどが経過していた。
我々は自分の意思で行動し、自分の意思で研究し、自分の意思でストロングゼロを辞めた気でいた。
しかし、ストロングゼロを飲み始めた瞬間から全ての未来は決まっていたのだ。 


「そういうことだったんだよ!—196日が0日になるまでのカウントダウンがストロングゼログラビティムーブメントだったんだよ!我々はストロングゼロをガソリンに、平成探査船しんやくで196日かけて時空の旅に出て、196日経った今、全部ゲロと冷や汗で吐き出して、その吐き出されたストロングゼロの霧の中に虹を見てるんだよ!梅雨も明けたんだよー!」 


もはやおおがきさんは、まさにビートニクの詩人のようなことまで口走っていた。 

私は一瞬にして進んでしまった研究に全身で感動していた。
「ちょっとこれは…またとんでもない発見をしましたね!」 

「だから、ストロングゼログラビティムーブメントが開けて…令和も明けて…梅雨も開けて……そうか!これがオーバーザレインボーなんだ!」 



「オーバーザレインボー!」 




Somewhere over the rainbow 
Way up high
There’s a land that I heard of 
Once in a lullaby. 

Somewhere over the rainbow 
Skies are blue,
And the dreams that you dare to dream
Really do come true. 

Someday I’ll wish upon a star 
And wake up where the clouds are far
Behind me. 

Where troubles melt like lemon drops 
Away above the chimney tops
That’s where you’ll find me. 

Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly. 
Birds fly over the rainbow.
Why then, oh why can’t I?  

If happy little bluebirds fly 
Beyond the rainbow Why, oh why can’t I? 


どこか虹の彼方の空高くに 子守唄で聞いた場所がある
どこか虹の彼方に 空が青く、あなたが夢見た夢が本当に叶う場所がある 

いつか私は星に願うでしょう
そして目覚めると、雲は私のずっと後ろに流れていって 

悩み事はレモンドロップのように溶けていく
屋根の煙突の先よりもずっと上 あなたが私を見つけるのはそんな場所 

どこか虹の彼方の空高くに 青い鳥が飛んでいる 

鳥たちが虹を超えて飛べるなら、私にだって出来ないはずがない 

もし幸せな小さい青い鳥たちが虹を超えて飛べるなら、私にだって出来ないはずがない 







以上が、我々の2018年から2019年8月までに行ってきた研究結果である。
我々の研究はその後も続いており、それはまた航海に乗り出している。
それはまたいつの日か、新たな研究結果として発表させていただくつもりである。

最後に、この報告書を最後まで読んでくれた、我々の同胞である「終わらない自由研究」に人生を捧げる皆様方へ。我々の研究が、少しでもあなたの自由研究の糧になればと願います。
すべての自由研究へのリスペクトの気持ちを表明しつつ、筆を置こうと思う。 

令和元年8月31日 木石南 




《あとがきにかえて》

この報告書の作成に入ったのは8月の初めで、9月初旬の完成までの1ヶ月間まるまる論文制作に没頭していた。
おおがきさんには第1章から最後まで何度も読んでもらい、私のまとまらない殴り書きのような論文の校正を寝る間を惜しんで手伝って頂いた。

「研究をやり過ぎて寝不足で体調を崩した」といった内容の論文をまさに寝不足と戦いながら完成を目指していた。
おおがきさんはお盆休みも二日間だけ実家の広島に帰省したものの、大阪に戻ってすぐに作業にとりかかってくれ、心配になり
「ご実家でもう少しゆっくりしなくて大丈夫ですか?」と聞くと「そんなんじゃ新学期に間に合わないよ!それより、俺がチェックしたところ直した?」と言っていた。

我々はどちらが言ったわけでもなく夏休みの宿題というルールの下に論文制作に没頭していた。


そう、全ては自由研究なのである。

我々に新学期はないが、存在しない新学期にきっちりと提出しなければならないのである。

そして、時には良い論文を完成したいという一心で意見が衝突することもあった。

「これ、ヨーダが半透明になるって書いてあるけど、スターウォーズにヨーダが半透明になるシーンなんて無いんじゃないの?」
「いや、あります」
「いや、無いよ、それは南くんの記憶違いだよ!」
「いーや、絶対にありますよ」
「そうかな、スターウォーズには無いんじゃないの?」
「ありますよ!ヨーダ消えてますよ!」
「消えたかなヨーダ」

と言った議論を朝方まで続けたりもしていた。

お互いの研究者としてのプライド、研究者魂ゆえの意見の衝突から少しづつ論文が今の形をおびて行ったのである。


全てが完成した日、お互い完成を祝福し、私はおおがきさんに改めて礼を言った。
そして、貴重な時間を私のあまりにも多い誤字脱字のチェックなどに付き合わせて申し訳ない気持ちもあった。


しかし、おおがきさんはハツラツと、
「いいんだよ!俺は土をしっかり耕したからさあ!後は南くんが好きなように種をまいて好きなように花を咲かせてくれや!」と返す刀で言い放ったのであった。



「好きな花を咲かせてくれや」



なぜ最後の最後に菅原文太みたいな口調になっているのかは不明ではあったが、おおがきさんの寛大さと研究者としての偉大さに頭が下がる思いだった。
そして、平成研究で体調を崩しまくった「世界に一つだけの花」のしんやくで、あまりにも苦戦していた新訳を拒んでいる巨大な圧力(しんやくガード)は知らないうちに外れていたのだとも思えた。※第5章「平成から令和への旅」参照

研究の数だけそれぞれの種があり花がある。


自由研究のとはまさに「世界に一つだけの花」である。

研究者ひとりひとりがSMAPなのである。

何はともあれ、はっきり言えることはこの論文はおおがきさんの協力無くしては完成に至ることは無かった。
また、一人で完成に至ったとしても今の形には決してならなかったであろう。

おおがきさんの偉大な研究者魂と寛大さに敬意を表しつつ、この場を借りて感謝の意を記そうと思う。


令和元年12月16日


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