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「跡」の物語

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さら地を見て、そこにかつて存在した建物や生活に思いを馳せたり、古本に残された筆跡から、持ち主の面影を心に浮かべたりー 「跡」を見つめると、そこには ”だれかが居た”、”なにかが動… もっと読む
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暗くなっていることに気づかない

夕方、研究室の扉を開けた。日が暮れかけた暗がりに、後輩がふたり、静かにいた。
なんでこんな暗いところで作業してるの(笑)と話しかけると、ふたりとも、えっ?という顔。
ああ、気づかなかったんだ。日が暮れたことに。
ずっと作業に没頭していたんだな。そして今も、黙々とデータに向き合い続けている。

彼らは全然話さなくて、とても静かだけど、没頭するほど真摯に研究に向き合っていることは、しっかり伝わっている

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サントラ

わたしは、サントラが好きだ。ミュージカルの音楽、映画の音楽、バレエの音楽、ドラマの音楽。好きな音楽は?好きなアーティストは?と聞かれていつもこたえに困るのは、そのせいだ。
物語と音楽が、お互いに跡をつけあって、心の揺れを増幅する。
物語には音楽が染みつき、音楽には物語や役者の表情まで染みついている。

毛玉

この秋買った新しいズボンに、毛玉を見つけた。何がこすれたんだろう?腰のあたりだから、かばんかな?無意識だった。
毛玉ってみっともないからすごく嫌なんだけど、ちょっと立ちどまって考えてみると、案外嫌いじゃないかもしれない。
洋服は変わっていくんだ。洋服は、わたしと一緒に生活していて、わたしと一緒に変化していくんだ。毛玉は、わたしの人生のかけらだ。

寝起き

朝起きて、あーあ。顔周りが疲れてる。頭も痛い。あーあ。なんなら首まで痛い。はーーー。寝ている間に、すごく歯を食いしばっているらしいのだ。
小さい頃に、歯医者さんに行ったら、「歯ぎしりしてるでしょ」って言われたから、「自分では寝てるだけなのでわかりません」って言ったら、じゃあ証拠を見せてあげようって。鏡で、上下の歯を少しずれたところで噛み合わせた。斜めのラインが上下ぴったり一致した。「ね、ここでぎし

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交換日記

あ、K(共同研究者)の記述が増えてる。
会っていない時間も、わたしと彼女の人生はそれぞれに動いているんだな、と当たり前のことを実感する。
交換日記に似ているかもしれない。
小学生の頃、しょっちゅう交換日記をしてた。交換だから、わたしが書いている間は相手のお友達は待っていて、お友達が書いている間はわたしが待っている。わたしが過ごした”今日”は、あの子にとってはどんな”今日”だったのだろう。というのを

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牛乳の膜

わたしは、そのままのコーヒーより、カフェオレをよく飲む。甘いほうが好きだから。
でも、牛乳の膜がはるのは好きになれない。昔から、なんか気持ち悪くて苦手だ。
だから、カフェオレが出来上がったら、定期的に、あまり間をあけずに口をつけるようにする。牛乳に、膜をはる余地を与えないように。
その1杯の間、わたしはカフェオレと一対一できちんと向き合う。
でもたまに、だれかとカフェでおしゃべりしながら飲んでいる

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ため息

ため息は、いっぱい吸った跡。
疲れたときのため息は、そこまでずっと気を張ってがんばってたから。ずっと吸ってたから。
いつの間に、そんなに吸っていたのだろうか。

ヨガをはじめてから、本当はもっと息を吐けるのだと知った。息の居場所をつくるためには、まずしっかり吐き切ることが大切だ。
力いっぱいがんばる前に、一度吐いてみよう。

追跡されるのはこわい

より精緻な広告戦略を!とか、言う。それで、web上での行動を追って、より詳細にターゲティングできますよ!とか、言う。

すごくすごく便利だけど、ぞっとする。
わたしがどこで何を検索して、どんなふうに寄り道して、いつ何を買ったのか。それが全部ばればれなのだ。
自分の跡がばれるのは、こわいな、と思う。
自分が考えていることも、何気なくした寄り道も、全部見透かされているような気がして。

跡は雄弁だ。た

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忘れたいのに

忘れたい思い出、なかったことにしたい思い出は、ある。そして、そんな思い出を抱えている自分が、あまり好きではない。なかったことにしたいなんて、かっこ悪いから。
普段はすっかり忘れたつもりでいるのに、その場所に行ったり、似たような音とか、匂いとか、そういうものに意図せず触れてしまったとき、わたしの五感はいやな思い出へとわたしを突き出す。

身体に染み込んだ跡は、消せない。頭で消そうとしても、五感はしぶ

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伝記

小学生の頃、伝記(まんが)にはまっていた時期があった。ベートーベンの伝記を読んで、作曲家になりたい!と夢が増えたことを覚えている。
そして、わたしも伝記にのりたいなーなんて無邪気に考えていた。だって、かっこいいんだもん。
でも、自分が伝記にのりたいと思っているだけではだめで、自分の死後、だれかがわたしの生きた跡を後世に残したい・伝えたい、こいつは後世に語り継ぐべき人物だ、と強く思ってくれないといけ

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中学生のときに歌った合唱曲

 「カントリーロード」が好きだ。わりと昔から。でも、昔は歌詞の意味がよくわからなかった。
 中学に入って、初めての合唱祭で歌った曲。最後のほう、なんで「帰りたい。帰れない。」なんだろう、どうして帰れないの?と不思議でたまらなかった。意味わかんないな〜と思っていた。
 でもこの前、ちょうど当時から10年経って、ふとこの曲を聴いたとき、うわ、と思った。言葉にならない複雑な感情を、わたしはいつの間にか覚

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さら地

見慣れた街の一角が、ある日さら地になっていた。

毎日通っていたのに、もともとそこに何があったのか、そしてどういう工事を経てさら地になったのか、全く思い出せない。見ているようで、見ていなかったのだ。
でも、”かつてはさら地じゃなかった”ことはわかる。
おかしい。

3年ぶりのトウシューズ

 3年ぶりにトウシューズを履いた。履けた。履けたことに驚いた。3年前に履いてたものが、今のわたしの足にもなじむ不思議。トウシューズはわたしが履くのをずっと待っていてくれたんだなと思った。
 ポアントで立ってみた。不思議なことに、「なつかしい」とも、「あ〜これこれ!」とも思わなかった。かといって、初めてトウシューズを履いた幼い頃のような、新鮮な感動もなかった。
 トウシューズを履くことが過去の思い出

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ハードカバーの本に、栞の跡

 ハードカバーの本に、しおりのひもの跡、ついていた。しおりで分けた2つのページに、うねったしおりの跡。これは、ハードカバーのかたさと、少しかたい紙の素材と、本と本に挟まれていた、本棚の中のひしめきや密度と、それからー彼が微動だにしかなかった時間の長さである。
 そうか、そんなに長らくご無沙汰だったのか。
 視界にはいつも入っていた。枕元の小さな本棚にいたので、毎晩寝るときに、タイトルがちらっと。そ

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