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【読書記録】よしもとばなな「なんくるない」を読みながら思ったこと

夏休み。沖縄に行くにあたって「沖縄」がテーマの本を読んでいた。
(そういうことをよくやる私)
直接行く場所とは関係ないのだが、その空気を感じたくて。

こちらの短編集は沖縄が舞台のもの。
その中の「なんくるない」は離婚した女性がその傷から立ち直ることができず、
思い立って沖縄へ一人いき、そこで感じたままに出会って、時を過ごす…
という話なのだが、
この主人公の「離婚した夫」への感情を読んでいるとき、
不意にその「喪失感」が私に入り込んできて、
「あ、私も夫を失ったらこうなる」と思ってしまった。

普段、夫への悪態はつくし、
ここ(note)でも夫への罵詈雑言が尽きない私だが、
よしもとばななさんの文章を読んで、
「あ、私もこの人と同じ感情になる」
「理解できる」と思った瞬間が訪れた。

結婚して十数年、
「もう、ほんと無理!!!」
「こいつとはやってらんねえ!」と感じたことは何度かあるのだが…

「なんくるない」を読みながら、
私も、夫に依存してるなあと不意に思ったのである。

依存、というのは金銭面のことはまあもちろんあるのだが、
金銭面は何度か「やってらんねえ」の中で
「こうなったら腹括って生きていくしかねえ」と考えるので
それはさておき
精神的に…の話の方である。
精神的にと言っても、
「ああ!!!あなたがいなきゃ生きていけない!」と
常々思っているわけでも全くないし、
この本を読んで感じたこともそういうことではない。

ふと思うのは、
「自分の在り方」というものである。

noteの日記でも、
「夫の後追いが激しい」なんて揶揄して書いている私だが、
確かに寂しがりの夫に辟易することもあるし、
放っておいて、一人にして、としょっちゅう思うことはある。
けれど、結婚するにあたって、
いや、結婚してからも
「人に必要とされる自分」というものを夫によって与えられている、と
いうことを不意に自覚してしまったのである。

これが行きすぎると、もちろん良くないことなので、
自立すべきであるが、
持ちつ持たれつなんだな、ということも見えてしまったと
言いましょうか…。

どうしようもなく腹が立つこともあるが、
夫の仕事面での才能を認め、
その夫を支えている、もしくはその夫に必要とされる自分というもので
私は自分の人生に意味を与えている節がある。

たまにそんな自分がどうしようもなく嫌になることもある。
その面はさておき、自分で向き合うこととして、
今回私がこの本を読んで感じたのは、
今後もしなんらかの形で夫を失うことがあったら、
「多分、私はこのひと(なんくるないの主人公)と同じように、
きちんと喪失感を感じるであろう」という実感である。
喧嘩した時には「こんちくしょう」とか思っているし、
きっとそれなりに生きてもいけるだろうが、
多分、ある瞬間、この「喪失感」を味わうことは
避けられないだろう、という実感が湧いてきたのである。

今は、喧嘩して「もう無理」と思ったら、子どものことを考えて
許せる許せない、我慢できる我慢できない、を天秤にかけている。
けれど、いつか子供が巣立ったら…見てろよーと思っていたのだが、
その時であっても
きっと「喪失感」はきちんとあるんだろうな、と
感じたのであった。

よしもとさんはあとがきの中で
この「なんくるない」は小説として不完全だ、おkと
書いてらっしゃったのだが、
でも、いちばん、すごく私の胸には響いてしまった。
小説って不思議だ。




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