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旅好きな親の元で育ったせいか、気づけば知らない場所に訪れるのが好きになっていた。

今、雨期のバリにいる。

数えてみたら27ヶ国目。初めてのインドネシア。

部屋のベッドでこれを書いているが、窓から見える濡れた緑を眺めていると雨が似合う街だなぁ、とつくづく思う。

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初めての海外はタヒチだった。

3歳の時だったからほぼ記憶はないが、あのムワっとした熱帯の空気、一人でいた時にホテルスタッフに「Bonjour」と挨拶をされ、「ボンジュール」と恥ずかしさのあまり走って言い逃げたことを鮮明に覚えている。

断片的な記憶でも、あの国の色と人の空気は今も思い出すことができるから不思議。

物体ではなく、色の記憶が濃い。

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物心ついた学生の時、特に社会人になってからは海外へ行くことに夢中になった。

稼いでは海外へ行き、隙を見つけては航空券を予約しといった調子。

大人になった今でも、高価な時計やアクセサリーより、どうしても体験を買いたいと思ってしまう。

なぜそんなに異国へ行きたいのか?と聞かれて、はて、と理由を考えてみた。

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まずは単純に好奇心。

小さい時の記憶から、日本から出れば全く違う世界が広がっていることを幼心ながらに学んだ。教えてもらったという方が正しい。

言葉、肌の色、食、文化。

海の色、植物、動物、広い空。

カルチャーショックを受ければ受けるほど、どうにもアドレナリンが高まってしまう。

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あとは、生きてるという実感。

異国での経験を重ねるほど野生の勘が養われ「生きてる」という本来の動物っぽさを感じられるのが好きだ。

人や自然、生命力がみなぎっている中に身を置くとより実感できる。

日本のように恵まれた国にいると、よほどのことがない限り食いっぱぐれることもなく、色々あれど安全地帯に身を置いておける。

最高のサービスに、整備された美しい街。

それが、豊かと問われると豊かには違いないが、他の豊かさを求めてしまうこともある。

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ここは危ない引き返そう、この人は信じたら危険、など旅慣れてくると線引きもできるようになってきて、その感覚を磨くことが病みつきになってしまう。

誰も知らない街で、自分の当たり前を存分に崩してもらい、前に進むように鼓舞してもらう。

底抜けに明るいラテン国、明暗はっきり分かれる発展途上国、中東のノスタルジーとペテン師、どこの国にもいる世話焼きおばちゃん。

色眼鏡で見る人も、手放しで歓迎してくれる人も。

冷たさも、温かさも、全てがリアル。

知らない街では、自分の知らない当たり前が繰り広げられ、自分の無知と小ささを知る。

そして、日常生活に戻った時に、どうでも良い考えをポイッと捨てることができる。

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暮らすように旅する。

ローカルに触れ合うほど、その国の印象は濃くなり、良くも悪くも現地を知る。

だから、想像するよりも、5秒でもいいからその場所や人の空気を自分で吸って確かめるように気をつけている。

どんなことでも、確かめた後は自分の想像や聞いた噂話はなんと意味のないものかと実感できるから。

百聞は一見にしかず。昔の人はうまく表現してくれた。

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最近は、どうしてもヨガが盛んな場所を目的地に設定してしまうけれど、それもまた醍醐味に加わって楽しみが増えた。

今回のバリ滞在は、飽きもせずヨガ漬けにする予定。

バイロンベイの先生たちが惜しみなくヨガ情報を教えてくれたから、まずはそれを巡ってみようと思う。

どんな学びがあるか、これもまた楽しみだ。

「若き日に旅をせずば、老いての日になにを語る」と貰った言葉を大切に、迷うことなくいつまでも体験を選択できる大人でいたい。


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