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自分の背後の穴に向き合う

あと半月で、配属されてちょうど一年が経とうとしています。
初めての一人暮らし、初めての社会人生活、初めてばかりの環境でアップアップしつつ気が付いたら一年。
大学生の頃と違うのは、いまのところ、「自分の背後にある弱点の穴を串刺しされる環境ではない」というところ。
Xデザイン学校2019ベーシックコースへ通うことになり、先日第一回を終えてわたしが思ったことは、「背後の刺されない穴こそ向き合わなければアンラーンできないのではないか?」ということでした。

職場では、新人としてまだまだ及ばないところ、勝手や空気感がわからないところは諸先輩方に多々助けられています。至らない新人をカバーして頂く(いつもとてもお世話になっています)こと自体が、職場では誰かのミッションとなって回っています。
一方で、わたしもミッションがあり、少なからず期待されるところがあり、それに伴って「至らない、及ばない」をカバーされる環境だからこそ、「わからない、知らない、及ばない」にぷすりと針を刺される機会は、学生の頃に比べたら、まだ存外少ないように感じます。
あと1年もしたら環境が変わって、こんなこと言っていられる状況じゃなくなるのは目に見えているのですが。

そんな中、Xデザイン学校へ応募することを決めたのは、焦る気持ちにかられたからでした。

わたしが今所属している環境は、変化を求めて柔軟に動き、チャレンジすることを許される、会社の中でもかなり「良い」環境なのだと思います。
そんな環境の中に飛び込んでみたら、自分の予想よりもずっとずっと「及ばない」ことが多いこと。
そして、学生の頃の付け焼刃の知識(の、ようなもの)がいかに通用しないか、就活の時に謳っていた「実践知」だけではいかに成り立たないか、仕事の中で思い知りました。

実践知あります、メタ認知できます、クリティカルシンキングできます、等々とんでもなかった…と冷や汗をかきつつ、実践知だけで一年目を乗り切ってしまった今、浅野先生の仰る「必殺技を捨てる」をしたら、手元に何も残らないことをしみじみ感じ、焦りを覚えています。

また、焦りに伴い、「必殺技を捨てるって何?アンラーンって何?」という疑問が浮上してきました。
自分の手と思考に染み付いた必殺技を「捨てる」って、何だろう?脊髄反射のように浮かぶ思考をぐっとこらえて、今、この場でわたしは何をすべきか冷静に考えることだろうか?本当に?
新しい環境、新しい学びの場での「成長」って、どこを目指すのだろう?日々変わりゆく「デザイン」に、自身も変化しながら追いつく体質を備えることだろうか?本当に?etc...

学生の頃あれだけやってきたはずの「物事に対し、問いを立てて思考する」がすっかり麻痺してしまった心身で参加したXDA第一回。

グループワークで思わずいつも通りペンを握ってしまったわたしに、
「お前は、あそこでしゃしゃり出ないで、その場の議論を知的に整理していくことをしなきゃ。あなたの頭を通して解釈したら、知的な議論の質が落ちる(グラレコの危険性として、これも散々学生の頃に身に染みていたはずなのに)」と、浅野先生から針が降ってきて、ああそうだった、わたしが学生の頃から積み重ねてきた経験の後ろには、至らない穴が沢山空いていて、見て見ぬふりをしてカバーをしてきた穴たちに、痛くて恥ずかしい思いをしてでも向き合わなければならないのだった、と少し目の覚める心地でした。

謙虚に様々と向き合って、深く見る、繰り返し聞く、議論する、構造化する。深く皆様と学び合えるよう、精進したいと思います。
これから一年間、どうぞよろしくお願いいたします。

実際のワークの様子は、浅野先生の下記記事や、記事内のリンクにある参加者の方々のブログにてご覧ください。


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minamo

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