見出し画像

ぐちゃぐちゃな思春期。

高校生の頃の私は

学校生活が全てだった。

今思えば、とても小さな箱でしかない、学校という世界の中の基準が、私の人生の全てを左右すると本気で思っていた。

高校生になるとあからさまに距離が遠くなった先生たち。
担任の先生の運はみごとに大凶を引き、
クラス運も悪く、
男が大好きで成績を気にして先生に媚を売る
裏表のある女が学級委員長になったおかげで、
2年間クラスみんなで遊ぶ時間は
自習時間にしかならなかった。
恩師と呼べる先生など、存在しなかった。


私にとって黒歴史でしかない女子テニス部。

学内で男女合わせた厳しい部活ランキングトップ5にはランクインする女子テニス部。

私たちの心の支えは週6部活がある野球部。

自分達より厳しいルールの中、従順な姿で挑む野球部の子たちの存在だけが、心の支えだった。


15:30の時計の形が大嫌いだった。

雨が降れば、大嵐になることを窓を眺めてただ祈った。

晴れた時は神様が大嫌いになった。

コーチの冷徹な目。
無言が続く張り詰めた空気。

理不尽な先輩。

延長届けという憎い制度。
他の部活の子が帰る中、延長が特別に許可される可哀そうな目で見られる女子テニス部。

部活終了間近に課される地獄のトレーニング。
今日はどんな地獄を告げられるのか。
早くこんな時間終わってくれ。

コートが空いていない水曜日は筋トレをする日だった。

鉄欠乏性貧血と知らず、みんなと同じように学校の敷地内の外周コースを走っていた。

たかが600mのコースを走ると驚くほどみんなと差が離れていく。

私がゴールするまでみんなを待たせている。

太っているから走るのが遅いんだ。
努力してないから遅いんだ。

部活内の子にも後輩にも先輩にも
そう思われている気がした。

走る姿は同級生、野球部、帰宅部、、色んな人に見られる。
同級生に見られるのが一番惨めだった。

人生で一番惨めな思いをしたと思う。

誰も私が貧血なんて知らない。

ただ足がとてつもなく遅いと思われているだけ。

思春期真っ只中の私には、とてもじゃないけど耐えがたい屈辱だった。

毎週水曜日は、泣きながら走っていた。
全生徒に醜態を晒している気分だった。

2年生の時、健康診断の採血で引っかかり、

病院に行くと、医者は

両脇に包丁を刺して血を流しながら登山しているレベル

と言った。

それでも夏合宿を休むことが恐ろしすぎて、どうしても参加したいと伝えると、

死んでも責任取れませんよ

と言われた。

医者にこんなこと言われる日が来るなんて思わなかった。



家に帰っても地獄は続く。

朝は妹の泣き叫ぶ声か母親が怒る声で起きていた。
朝練のない日くらい、目覚ましが鳴るまで寝たかった。

妹は5年間不登校だった。

朝起きても
朝ごはんを食べようとしても
部活で疲れて帰ってきても
夜ご飯を食べようとしても
何をしてても母は妹の愚痴ばかり私に聞かせた。

部活が辛い愚痴を聞いて欲しかった。
私はこんなに頑張ってるんだと、聞いて欲しかった。
褒めて欲しかった。

でも母の口からは妹の話しか出てこない。

私は話すことをやめた。
妹をどうにかしなきゃいけない。

通学までの道を一緒に行けば、妹も学校に行ってくれるようになると思った。

私が妹の代わりに学校に行ってどうにか問題を解決できるのでは、と本気で想像した。

でも何をしても妹の心に私の思いは届かなかった。

私は妹を説得することをやめた。

母と妹から距離を取った。

この家族はもう終わりなんだと思った。
誰かに助けて欲しかった。

友達には重すぎてこんな話できない。
祖父母には心配させちゃうから話せない。
カウンセラーは信用できない。
保健室の先生にこんな複雑な話わかってもらえるんだろうか。

どうして父親は助けてくれないのか。
どうして家に帰ってこないんだ。
なぜ他人事のように生きているんだ。

突然目の前は真っ暗になって、
「あぁ誰も助けてくれないんだ」
と高校生の私は悟った。

どんなに辛くても人間は誰も助けてくれない。
自分の人生、自分で立て直していかないといけない。


声を出して、助けてと言えばもっと違う未来があったかもしれない。

でも私は言えなかった。

人は本当に辛い時、助けてと声を上げることさえできないことがあるんだと知った。


だから、辛すぎて助けてと言えない人に1人でも多く気づいて、私から手を差し伸ばせるようになりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?