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子供の描く絵のように

子供の描く絵のように
大友風太郎

今回のコロナウィルスによる世界的規模の混乱は、まだまだ先行きが見通せないですが皆様如何お過ごしでしょうか?
ウィルスに罹患されて亡くなった方々、現在病で苦しんでいる方々、そのご家族や周囲の方々。
そして、飲食店をはじめ、あらゆる所で商売が成り立たなくなったという話しを聞きます。
全てに対して悲しみが湧きます。

各国の対応などを見聞きし、自分の国と比べて色んなことを考えます。
「自粛警察」と称される私刑的な出来事も情報として入ってきます。

今まで当たり前と受け取ってきていたあらゆる事が当たり前で無くなり、そしてこれからは違う形の生活になると思います。
戦争を体験された方達は、もっと辛く、激動の時代を生き抜いてこられたのだな、と改めて考えたりもします。

「無常」を学び、瞑想をし、それなりに長く修行をしてきても、日常の延長の中でこれだけ大きい規模で、しかも自らの意思ではどうすることもできない事に巻き込まれてしまうと、感じるのは「無力感」であったりします。

諸々の先達やスピリチュアルな指導者がこの騒動に対し素晴らしい発言をされています。
ポジティブに受け取り、発想を変えてゆけば、全ては学びになり、新しい生き方を見つけて自らを成長させるチャンスにもなり得るでしょう。
なので、私が特に発言したいことは無いのです。皆様が、そして私もそれぞれに懸命に、賢明に生きてゆくしかないと思っています。

ただ、マインドフルネスを共に学び、心を育ててゆく仲間として、そして少しだけ長くこの修行をしてきた私が強調しておきたいのは、『経験に対してもっとピュアに気づいて欲しい』ということです。
原始仏教を基に修行されている方は、戒律というとても大切ではありますが、ある種の『縛り』とも捉えられる教えによって、ややもすると気づきに限りなく似た『分別、選別』によって色付けされたものを『観よう』とする傾向があります。
そして、無自覚にうっすらとダメ出しをして、「修行が進んでいない」とか言い出しがちです。
本当は、そう言う気持ちにこそ、そのまんま、まるっきりそのまんま、子供の描く絵のように『気づき』があって欲しいのです。

激動の中に放り込まれてしまった今の状況、情報は時々刻々と変わり、いろんな人が様々な意見を言い、ネットでもあらゆる事が錯綜しているときだからこそ、それを「どの様に感じたか」を何の色付けもせずに観て、社会の中の自分の振る舞いを瞬間瞬間に取捨選択して生きてゆきたいと思います。
それこそが、最良の修行なのでは無いかと思います。
(2020年5月24日)