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レポート第7回レタスマインドフルネスワークショップ6


(続きです)

さて我々がマインドフルネスをなぜ続けているかというお話ですが、今日のテーマは「委ねることと求めること」。
委ねて生きる、与えられるがままに生きる、何が来てもそのままでいる、というのは高僧やスピリチュアルなリーダーたちがよく説いているところです。
荘子の『内篇』なんかは、ほぼ全編がそのテーマと言っていいぐらいです。

でも委ねて生きるのは、こうやって普通の社会で生きている人間にとっては本当に難しいことです。
そう思われるでしょう?
そして本当は欲しいのに、欲しいものが与えられないとき、「わたしは欲しがっていません」と言うのはもっと問題をこじらせます。

たとえば、何か買いたいものがあって、お店に行ってみたら売っていなかった。(なんだよ、楽しみにしてきたのに)とがっかりして、店を出る。でもその後で、他の場所で思っていたよりいい条件で手に入ったりする。
この時に、お店で味わった「がっかり」を(そこをとばして、やっぱり委ねた方が正しいと結論付けるのではなく)しっかり認識してほしい。
「がっかり」は小さな我執であったこと、でもその気持ちを自分が持ったことをしっかり見てほしいんです。

委ねるのは難しくて、なかなかできることじゃありません。
出家して俗世間を離れたら出来るかもしれないけれど、我々は娑婆にいて、いつも何かを求めてしまいます。

自分は本当は何が欲しいのか。
これをしっかり見つめることがマインドフルネスです。
他人がどうしているのかはどうでもいい。自分の心を見る。
私はマインドフルネスを「心の動体視力」と呼んでいます。
マインドフルネスが分からない、気づきがない時にいくら心を見てもカオス(混沌)です。
混乱していて、心のからくりにだまされます。

だから体の動きを見るところから始めるんです。
呼吸や手足の動きをみることから始めて、それらをしっかり観察できるようにする。
その時に、心が観察から逃げ出そうとしても、もどす。
観察の中心対象に戻すというのはサマタ瞑想なんだけど、逃げたことをきちんと認識する→中心対象に戻そうと意識する→その意識にも気づく、というのがマインドフルネスであるということです。

(続きます)