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書き起こし「瞑想中の妄想が止まりません」


動画『レタス「瞑想中の妄想が止まりません」に解答しています』の書き起こしです。(読みやすく表現を変えたところがあります。)
文章でポイントを掴みたい方、どうぞお読みください。
動画はYouTubeで、無料で最後までご覧いただけます。動画リンクは末尾にあります。

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レタスの大友風太郎です。
「瞑想中に、妄想が止まらない」「ただ妄想している時間だ」「こんなことばかりやっていてもいかがなものか……」というお悩み、すごく多いですよね。
多いですし、実際そういうものだと思うんですよ。
サマタ瞑想でもヴィパッサナー瞑想でも同じなんですけど、最初は「自分は妄想無い」と皆さん思ってらっしゃるんですよね。そこから、ある程度の時間をとって毎日瞑想されるようになって、早い方だと2,3回、遅い方でも1~2か月、一年っていうレアケースもいらっしゃいましたけど、「妄想がすごいんです」「妄想だらけです」「気づきとか、一時間やって一回あるかないかです」って自覚するようになるんです。
僕からすると、「妄想がすごい」って気づくことが最初のステップ…っていうのもどうかな、というぐらいすごく大事なんです。
実は、我々の心には、嵐の中にいるように妄想がひたすら起こり続けています。心を落ち着けて、初めてそれがくっきりと見えるようになる。妄想がある人たちでも、瞑想をやめて普段の生活をしていると「それほど妄想ないんですよね」とけっこうおっしゃるんですよね。でもそれは違っていて、同じような妄想がのべつ幕なしに続いています。本当に、起きて寝るまで、もっと言うと寝ている間も、ずーっと頭の中を妄想がフル回転で展開しています。
それらが瞑想を始めて、じっとして、目を閉じて、静まり返った時に「ドーーーンッ」と出てくるんで、「えらいこっちゃ」って思うんですけど、そういう体験は大事です。
「そんな世界に生きているんだ」という自覚。この驚きからまず出発です。

リトリート(瞑想合宿)とかに入って世俗から離れた静かな時間を過ごすと、妄想が収まってくる時ってあるんですよね。でもそれは「妄想を無くそう」「妄想を止めてやる」というこちらからの働きではなくて、体調だったり環境だったりでそういう状態が一時的に出てきて、思考や妄想が展開していかない、もしくはすごくゆっくりになる。この「(心の動きが)ゆっくりになる」というのは、実はこちらの心の動体視力が上がって、相対的にゆっくりに見えているだけだと僕は思っているんですが、静まり返った状態というのがすごくよく分かる。
そうなると、嵐のように勝手に展開していると思っていた妄想が、ある時に決まった展開があることがわかるんです。それらはテーマが違ったり、対象が違ったりするだけで、実は同じことの繰り返しです。ある一つの出発点から、ある流れがあって、こういう結末。その結末からまた始まって、何かが展開して……と、ただ延々と同じようなことをやっているっていう……。そういうことが分かってくると、自分の心の癖……性格の分析って言ってもいいですが、すごく分かるようになる。マインドフルネス的なアプローチ、ヴィパッサナー瞑想でも気づきの瞑想でも、一番大事なのはまずそこですよね。
妄想がものすごいことになっている、もうのべつ幕なし、だけど訓練していくうちに、ある状況下においてその流れ、自分のテーマのようなものが可視化されてくる。そういうことがあった時に初めて自分の心の動きが分析できるんで、じゃあそれに対してどうすればいいんだろうと取り組める。
わかりやすく言うと「怒りっぽいんだなあ」とか「嫉妬深いんだなあ」とか、それに対処していける。しかし自分では全く無自覚だったり、もしくは表面上「自分は怒りっぽいんですよ」と言いながらも、本当に怒りっぽいところを誰かに突っ込まれると、地雷踏まれたみたいになっちゃうとか(そういう人は自分の心の癖が自覚できていないので、そのことで不利になっていても対処しづらい)。

だから、妄想を大事にしてあげる。
「自分には妄想はない」と思い込んでいたら、何も打つ手が無いんですよね。
まずは「妄想だらけじゃん、思考が止まらないじゃん」と自覚すること。そしてそれは人類のデフォルトなんだってことをしっかり理解すること。そこからですよね。
ある技法で(心を落ち着けるやり方はいろいろあると思いますが)静まり返った状態で、それをよく理解する。
あまりとらわれて、「妄想だらけだから」とか「妄想を止めなくては」とか考えないほうがいいです。
高速道路を走っていても、ビュンビュン飛ばせるときもあれば変なところで渋滞しているときもあって、それは一つの自然な流れ、結果である。それと似ていますよね。「血がサラサラになりたいっ」と強く思っていても、すごく汗をかいたら血がドロドロに濃くなるし(自然現象は、意志だけでは変えられないということ)。
そういうイメージで、自分の中に現れてくるもの、仏教的に言うと「眼耳鼻舌身意」六門の中の「意門」ですよね、心に浮かぶものも一つの自然の流れ、自分の一部っていう感じに見ていく。それをざっくりいうと「客観視」というんですけど。
これはとても大事な出発点なんで、「妄想がすごく出ているんだ」っていうことを、もっとしっかりと見ていく。慌てて「これはああなんだ」「こんな自分はどうだ」と解釈するんじゃなくて、「妄想が出ていること」をしっかり認識していく。それが最初の頃にはとても大事なんじゃないかと思っています。
あまりあせらずに、やってみてください。


https://www.youtube.com/watch?v=kS0COhdYotQ&t=14s