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レポート第5回レタスマインドフルネスワークショップ3

(続きです)

私がある仕事で現場の作業をスムーズに進めるために発注元と連絡を取ろうとして元請けの責任者にそれを否定された時も、その人は冷静に解説してくれたんですよね。
「大友さんが提案したやり方なら現場も無駄がないし発注元も納得する。でも元請けはそのやり方に絶対にYESとは言わないでしょう。
あの元請けは発注元が自分より現場に詳しくなることが恐いんです。自分のやっている仕事に自信がないから、元請けに現場を知られたくない。
関わっている人間を分断して、威圧して、コントロールしたいんです。
だから元請けは大友さんのことを一番怖がってます。
気付いていますか?」
自分はそんなこと気付いてなかったんで、びっくりしました。

少し話が前後しますが、取り締まりの時にナイフが出てきてしまって、その時に警察の人にこう話をしました。

ナイフを犯罪の道具にしているのは警察の責任でもあるということを考えてみてください。
モノをはじめて見たときの認識が、その人にとってのモノの意味を決めます。
自分にとって、ナイフは「つくるもの」です。
うちの父親は切り出しナイフや鉈を使って農作業をし、道具を作っていました。
母親は包丁で毎日おいしい食事を作ってくれました。
だから私にとって刃物は創造するためのもので、破壊するためのものじゃないんです。
子供たちが最初にナイフや刃物を使って素晴らしいものを作りだす人に出会っていたら、彼らにとってもナイフは「作る道具」になります。
人を傷つける手段として、最初にナイフを持ち出すことはないんじゃないでしょうか。

でも警察が刃物に注意!とか、ナイフを殺傷するための道具だと広報してゆくと、子どもたちはナイフを人殺しの道具だと思うでしょう。
ここにいる警察官お一人の力で取り締まりの現状を変えることはできないでしょうが、私のようにナイフを創造的にとらえている人もいることを知っておいていただきたい、そう思います。

その警察官がどう受け止めてくれたかはわかりませんが、大嫌いだった権力を振りかざす人に譲歩できるようになりました。
それは「みんな同じ人間だ」と分かったからです。
制服を着ている人、立場の違う人、それは自分とは別の存在だと思っていましたが、こういう(瞑想の)ことを続けてきて、相手が自分と地続きの存在だと感じられるようになりました。

それと、どうやったら仕事が進むか「だけ」を考えている人は取捨選択に無駄がないから、決断が速いし、仕事も円滑に進む。そういう人は面倒を起こしません。
他人を動かすことで自分を保ちたい人がいると、余分な考えが入ってうまく進まない。

(続きます)