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【itさんについて―非制御の主体と経験】第3回

「常在の感覚のないネガティブな問題は、棚にあげやすい」ではその常在の感覚とは?それとどのように付き合うのか?坂井講師の寄稿、3回目です。
 
【itさんについて―非制御の主体と経験】第3回
坂井洋介
 
【常在の感覚(レッテル)】
人間の思考やイメージには、それが記憶であるのか、想像であるのか、良いものであるのか、悪いものであるのか、といった具合におのずと判断がついています。
いちいち「これは想像の出来事だ」という文章をつけなくても、自然と想像であることが分かっているのだと思います。
 
その思考がどういう存在なのか、を示しているものをここではレッテルと呼びます。
1つの思考に対してレッテルは1つではなく、複数のレッテルが貼られているのですが、その中に1つに、「常在のレッテル」というべきものがあります。
それはこの思考、思考の内容の存在がいつでも存在している(過去~今~未来)というレッテルです。
問題のない思考にこのレッテルがついていても悩みの大変さにはつながらないのですが、解決すべき問題がある、という思考にこのレッテルがついていると、「今、この問題を解決しなければならない!そうしないと、いつでもいつまでもいる!」と感じてしまうのです。
だから、ほっておくことが出来ない。
 
しかし、本当にそのレッテルは正しいのでしょうか?
問題だと思う思考は、現れるときに常在のレッテルがついて現れるだけであって、そんなことを考えていなかったときには、まったく存在していなかったのではないでしょうか。
事実がそうであったとしても、思い出すたびに常在のレッテルを伴って現れるために、考えているときには、この問題(思考)はいつでもあったし、今もある、必ず未来もあるだろう、と思わされてしまうのです。
だから、ほっておくことや棚に上げておくことが出来ない。
今悩んでいる本人にとっては、その問題はいつでも存在したものと感じられてしまうからです。
 
どうすれば、常在のレッテルは外れるのでしょうか。
itさんに触れることで常在のレッテルは外れる、少なくとも薄まるのでは、と考えています。
なぜなら、itさんの活動は一切のレッテルの外にあるからです。
レッテルが張られるのは経験を分析して解釈して制御するためです。
しかし、itさんはそのような制御を離れている主体だからです。
 
完全に制御しようとしていないitさんの働きは、経験を一切解釈しようとしていません。分析も、観察もしていません。
 
 
それは人(自分)の一切の解釈を挟まない経験になるはずです。
解釈を挟まない経験はある意味、純粋な経験です。
そこには何のレッテルも存在しないはずです。
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いかがでしたか?
「常在の感覚」は張られたレッテルにすぎず、制御を離れること=itによって、問題を強迫的に解決しようという心から解放されるという考え方、皆様のヒントになれば幸いです。
 
「itさん」について、さらに詳しい実践方法など坂井講師が研究中です。
また稿を改めてお伝えできればと思います。
 
(この項終わり)