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文字通りすぎた怪我の功名

7月4日の夕方。夕ご飯の買い物やら明日のパンやら何やかんや抱えた帰り道、空にチラッと虹色が見えた。

最近めっきり虹を見ることがなかったので嬉しくなってしまい「えっ! 何? 虹? 彩雲? よく見たい!」とワクワクしながらカバンからスマホを出して写真を撮ろうと歩く速度を速めた。虹や彩雲はその瞬間の産物。「この目で確かめたい!」と前しか見ずに歩いた私は段差を踏み外して、転倒した。

「痛っ!」と思ったし、何か普通に蹴躓いた感触とは違ったが、虹に心を奪われてる私はさほど気にせずに立ち上がって写真を撮った。

これがその写真。彩雲でした。

転倒したことを家族に告げて料理の支度をした。痛いなとは思ったし、何か腫れてきたと思って保冷剤を靴下にぶっ込んで料理をした。何か保冷剤がすごい勢いでぬるくなる。熱いし腫れてるなー。捻挫やなぁ…とぼんやり思っていた。

足に痛み感じながら作った料理
手抜きせずに作ったから美味しかった!

どんどん足が腫れてるのがわかったけど、私がやらないと!と思って洗い物もぜんぶやった。その後ギターの練習をしてお風呂に入り「明日、整形外科行こう」と思いながら寝た。

翌日、足痛いけど近所やから歩いて行こうと1km先の整形外科まで歩いて行った。「昨日転んで捻挫したんですー」とヘラヘラしてると、どうも看護師さんが心配そうな顔をしている。名前を呼ばれて診療台で待つように言われた。

医師がやって来ると、「え? コレで歩いて来たんですか!?」と驚いている。「はい」と答えると「たまに居るんですよ、痛みに強い人! 痛みを痛みって感じない人ー!! コレは捻挫じゃなくて靭帯損傷です。レントゲン撮るんで横になってください」と言われた。「じ、靭帯損傷?? 捻挫ちゃうん??」

レントゲンを撮り、診察室に通された。「骨折はなかったですが靭帯損傷ですね。でも、同じ箇所に骨折した跡があります。だいぶ前かな? もう骨が丸くなってるので…」と医師に言われてポカンとした。骨折した記憶がない!!! いつ私は骨折しとったんやっ!! そんな私のキョトン顔と絶句姿を見て「あの、先ほどにも言ったように痛みに強い人っているんですよ。普通の人なら痛くてたまらないことでも割と平気な人。痛みを痛みと感じない人。どこも悪くないのに心配でずっと来る人もいる中、それに比べるとこちらとしてはやりやすいんですが無理すると長引くので…」と言われた後、「あの、私この後に芦屋まで友人の学童保育の手伝いに行くんですけど大丈夫ですかね?」と尋ねた。今度は医師が絶句していた。そして「痛みが2週間続くようならまた来ていただいてMRIを撮りましょう」と言われ、足専用の固定具サポーターの処置と湿布の処方箋が出され、なるべく使うように松葉杖を貸し出してくれた。固定具サポーターが特殊なものらしく、業者が7日に来るので午後17時に来れませんか?と尋ねれたが「その日仕事なんで!」と笑顔で答え、雨なので松葉杖が使えずに歩いて近所のスーパーに寄って帰った。

病院帰りに見かけたツバメのタワマン。懲りずに写真撮った。

「靭帯損傷?」と頭が?マークのまま、この後に芦屋まで行くかどうか悩んだ。さすがに芦屋まで行って帰って来るのは痛いかと思って休ませてもらった。

明日仕事だなぁ。思うように動けなくて迷惑かけちゃうな。足のことを予め伝えとこう!と職場のグループラインに「お疲れ様です。昨日道端で段差を踏み外して転倒し、先程病院に行ったところ、右足首の靭帯が切れていました。サポーターと松葉杖を使うことになりました。仕事中はもちろん松葉杖は無しでサポーターのみで業務を行いますが、もともとゆっくりな動作が通常以上にゆっくりになると思います。ご不便をおかけしますがよろしくお願いします!」と書いて送ると、すぐにリーダーから「靭帯損傷ナメたらあかんで! 無理せんと、ひとまず11日まで休んで!」とラインがきた。

そこでようやく自分の足がけっこう大変なことを理解した。まったく理解できてなかった。その後に職場のリーダーからこう送られてきた。

リーダー優しい。。。

リーダーにレントゲン撮ったことと腫れてることを伝えると「引くわ! 本当に休んで! 無理すると後遺症残るとかも書いてあったで! 自分で調べた!?」と言われた。調べてなかった。自分の身体を私は何だと思っていたのだろうか。そう思ってはずなのに、この日もひとりで料理して片付けまでした。

麻婆豆腐やけどな!
美味しかったわ

自分では無理したつもりはなかったが、洗い物をしてる最中にかなり足が痛くてたまらずに泣きたくなった。自分では無理してるつもりはなく、「私がやらなくては!」という義務感で何か背負っていた事に気づいた。

それ以降「私がやらないと!」を放棄することにした。ちょっと不思議なことに足を負傷しているのに何故か安心している私もいた。

実は今年に入ってから仕事でモヤモヤすることが多かったり、何だか気持ちが辛くなることが多かった。自分が喜んで働いているというよりも、お金の為に義務感でしている気がした。それが悪い訳じゃないし仕事が嫌いな訳じゃない。モヤモヤすることも、いろんな立場を考えると理解はできる。でも何かモヤモヤして心も身体も疲れ切ってしまい、家に帰ってから何もする気になれず自分のエネルギーをそこに使いすぎてる気がしていた。「1日たった5時間なのに?」とか、「その短い時間で社会保険があり有給も取れるんだよ?」と思い直そうとして少し時間や働く日数を減らそうと思っていた矢先だった。

「もしかしたら、これが答えなのかな」と思った。2020年にも同じようなことがあった。その時は高齢者のデイサービスで働いていた。私にとってはハードで、やはり疲れてしまい体調も崩しやすく、少し時間や日数を減らそうと思っていた頃に友人のお店でライブしに行き、原因不明の微熱が出た末に解雇された。緊急事態宣言が出ていた時期で、職場に相談して了承を得た上での出演ではあったが時期が時期だったし、たぶん私の音楽に対する熱量が普段の仕事に対する姿勢と違っていたんだと思う。「吉田さんは好きなことしかできないから」という理由での解雇だった。それをきっかけに私が好きなことに力を入れようとこのnoteを始めた訳なんだけど…。そういうことをすっかり忘れていた気がする。

実は好きなことしかできない人に私は憧れていた。

一応働こうとしたが、しょっちゅう首になって
、軍隊に入っても命令をあまり聞けずに現地の人たちと交流し、片腕を無くして漫画一筋にすることにした水木しげるさん。

私のバイブルのひとつでもある。

小学生の頃からどうせ不器用なら、人を喜ばせる楽しませる不器用になろうと、不器用のエキスパートを目指した石川浩司さん。

めちゃくちゃ面白いし感動した本

就職活動したけど落ちてアルバイトで生活していたけどあまり稼げなくて、先輩に廃屋を紹介してもらって自分で改修して暮らすことから廃屋改修する活動を始めた西村周治さん。

確か夏葉社という出版社を作った島田さんもそうだったと思う。就職活動全滅で自分で出版社を作ったはずだ。

そんな風に稀に一般社会の中に馴染めずに自分の世界を開拓していく人がいる。私はそういう人に憧れていた。だけど自分は凡人やし根性無しやから、そんなん無理やんな…と思って過ごし、ものすごい数の転職を繰り返している。思い出せる範囲で12回転職してる。辞めるつもりはなくても辞めることになったり、限界を感じて辞めることもあった。恐らく自分の足の感覚を見ても、今後今の介護の仕事はできないだろう。

こんな状況な私だけど何故か不安は無い。むしろ安心して「もうどうにでもしてくれー!」という降参状態で、ダメ元で、玉砕覚悟で、私が心から喜べることや情熱が溢れてしまうことにエネルギーを注ごうと思っている。それが仕事になるかどうかはわからない。今の私に無理がなく、自分の中にあることから溢れて喜んでできることはそれしかない。憧れに手を伸ばしてみよう。

ずっと自分はダメだと思っていた。ダメな自分から脱却する為に何かを身につけようとしたり、まともな働き口に就こうとしたり、組織の体質に馴染もうとするも馴染めずに苦しんだりしてた。だけど、そういうのをやめて自分が本当にやりたいこと、心から喜べることに躊躇なくまっすぐになっていきたい。こうでもしないと私はその道を選べなかったのかも知れないな。

転倒する前のお昼に月1でオンライン講座を受けていて「心配は愛ではない。家族や身近な誰かが人生に脱落するようなことがあっても心配せずに、この人なら大丈夫と信じて、その人の力を信じて見守りながら放っておくことが大事」「不安や焦りから選ばない。心から安らいで脱力して自分から湧き出たことを選ぶ」「自分の子どもの頃に感じていたわかってほしかった想いや願いを感じる」という話を聞いていた。

おかげさまで時間はたっぷりある。ゆっくりじっくり今まで感じてこなかった想いや願いを感じて、自分の才能や資質を信じていこう。そういう扉が開かれたんだって喜んでいよう。


やることなくて掃除してたら知人からいただいた絵が出てきました。蛹から蝶になれたかな。

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