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恭平温泉にどっぷり浸かって世界が変わってしまった

8月2日が満月だったからか何なのかよくわからないけど、面白い時間に立ち会えた。

坂口恭平さんが8月2日の朝6時にかかってきたいのっちの電話の相手(仮名)ケンくんが鬱だけど会社に行って退社するまで、Twitterの(今はXですね)スペースをやりながら見守ろうと11時間49分40秒話し続けてた。スペースに気づいたら時から聴いていたのだけど、坂口さんはトイレに行ったり、コンビニへ煙草を買いに言ってる時もスペースで話し続けてた。「この人ヤベェ…」と思いながら、気になって仕方ない。

聴いてみて、何で坂口恭平さんは無料でいのっちの電話ができるのか? どう感じて、どう考えて、どう生活しているのか? が、何かわかった気がする。正直、どうしたらあんなことができるんだろう? と、ずっと謎だった。文章を読んだこともあるけど、それではあまり理解できなかった。だけど、このスペースを聴いて、何かわかった気がする。

うまく説明はできないけど、狂人のように見えて実は誰よりも真っ当で、私たちがどこかで思い込まされていた社会システム的な「こうしなきゃいけない!」という刷り込みから解放されて自由でありつつ、そのシステムが何なのかも冷静に理解できてる人なんだと思った。そんな坂口さんが生きてる世界は圧倒的に大らかで優しい。

今回私はたまたま足を怪我して休職していたからずっと聴けいたけど、少し前まで働くことに悩んでいた。1日5時間なのに疲れ切って、本当に自分がしたいことをやる気力が出なくなる。1日8時間働いている人が大半で、それより時間が短いのに何で私はできないんだろう? と思っていた。時間や日数を減らしたいけど経済的に不安だし、自分の好きなことややりたいことで経済を回せる自信はない。そんな中で生きていると「何でできないんだ」「できない自分が悪い」とか、「私の努力や工夫が足りないんだ!」「こんな自分では生きていけない!」という不安に駆られてしまう。安心感が無く不安なまま動き続けてしまう中で心も身体も蝕まれてしまう。

だけど坂口さんのスペースを聴いていたら、本当はそんなの嘘なんじゃないか? 自分がやりたいように、生きたいように、好きなものや好きな人をただ愛していたい。好きな人を喜ばせたいし喜んでいたい! という無垢な気持ちのまま優しく生きていける気がした。

その感動をそのままにnoteに書こうとしたら、翌日もさらに翌日もスペースは続き、坂口さんはずっと話してる。そして8月4日の19時から「恭平温泉ファイナルフェス」が行われた。

しかもファイルフェスは「音楽家集まれ! みたいな感じでみんなに歌ってもらう!」みたいに言ってたのが、蓋を開けたら「飽きたからスペースやめる!」という始まりだった。私も歌ってみたかったので残念な気もしながら、どこか安心もした。あまりにスペースやり過ぎてるから、ずっと聴ける体力が私にはなかったし、坂口さんは疲れないのか? と心配にもなっていた。恭平温泉ファイルフェスのスペースを聴き終わってこれでよかったと思った。

最後のスペースの終了30分前くらいに、12時間スペースをやるきっかけになったケンさんが声出し参加した。声を聞いて、コレは本当にしんどい想いをしている人の声だとわかった。これでよく仕事行けたなと思った。ケンさんは泣いていた。

2日にケンさんが仕事に行って帰って来るまでの間に開いたスペースの中で、たくさんのしんどい想いをしている人の声も聴いた。疲れてしまってお店を休業している方、親友が自殺してしまって鬱状態になっている方、学校や仕事は辞めても書道だけは続けているけど両親には理解されなくて寂しい想いをしている方、いろんな人の声を聴き、坂口さんは喋り続けていた。いのっちの電話でたくさん声を聴いてるから、声だけでどんな人か、本当に辛いのかどうかもわかると言っていたが、確かに何となく本当に苦しんでるけど頼れなくて悩んでいる人と、坂口さんにあやかりたいとか優しくされたい人の声は違って聴こえた。

そんな中で疲れて休業していた方のカフェで坂口さんのライブが決まったり、女っぽいものが苦手な女の子にワンピースを作ってくれる人が現れたり、親友が自殺したことで苦しんでいた方がスペースに参加して書いた詩を坂口さんが曲をつけて歌ったりすることまで巻き起こっていた。


自然発生的に奇跡みたいなことが起きている。何かロードムービーを観てるような気さえしてくる。

ケンさんの声を最初に聴いた時、コレは確かに追い詰められていたのがわかった。だからこそ12時間もスペース開いたんだなぁ。最初は電話で会社に出社するなと言ってたのに行くって言うから…という始まりがこんなことになるとは。でもきっと本当に大事なことは、大きなことをしようとか、人を集めようとか、人から評価されようとか、収益を上げようとか、人の役に立とうとか、そういうことじゃなくて、人と助け合いたいとか喜び合いたいとか、そんな純粋な気持ちなんだよなぁと思えた。たぶん聴いていた方は、それが伝わっていたと思う。そう感じたのは、スペースを聴いていてコメントでちょっとした質問をしたけど坂口さんが気づかないで話し続ける中、リスナーの方がコメントで教えてくれるやりとりがあったこと。自然とお互いに自分が出来ることを差し出し合える空間になっていた。

これだけ書くと坂口さんが聖人みたいになってしまうけど、スペース内で突然の下ネタ話したり、話してる女性の声で好きになっちゃって口説き落とすような勢いで話していたり、面倒だなぁと感じた人にはサッと切り返したり、「アレ? ちょっとキマッてる??」みたいな部分もモロ出しだったところが余計に信用できた。

最後にケンさんの好きな歌を坂口さんが歌い、ケンさんの充電が無くなりそうなところでスペースは終わった。どんなドキュメンタリーよりもカオスで優しくあたたかく美しかった。


坂口さんが生きてる世界、観えてる世界を体験してしまった今、坂口さんひとりに任せるのではなく、あの感覚を自分なりの表現ややりたいことで体現していきたい。その感覚の人が少し増えただけでも、きっと大らかで優しくてあたたかな世界観が広がるのだから。その根源は、何があっても私は大丈夫で、世界は優しいという安心感なんだと思う。

うまくまとまらないけど、ただスペースを聴いていただけだけど、私にできる表現であの世界観を体現する方法として書いてみました。


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