嫌なあの人とタタリ神
昨日はゴジラ−1.0を見てきた。
もう4回目なので、しつこくなるし感想も書かないでおこうと思ったけど、一つだけわかって「いいなぁ」と思ったのでそれだけ書く。
ラストのわだつみ作戦の時、船員が敬礼するシーンがあるんだけど、あれはずっと、敷島に対してしてるんだって思ってた。
でもこの前、山崎監督がインタビューか何かで「ゴジラはタタリ神」って言っていた記事を読んで、「あれは、ゴジラをタタリ神として扱っているから敬礼してたんだ」ってわかって、そういうのいいなぁと思った。
そもそも、「わだつみ(海神)作戦」って言ってるんだから最初からわかりそうなものなのに、なぜ気が付かなかったんだか。
荒ぶる怪獣を、倒すのではなく、神様として祀って鎮まってもらうっていう考え方はとても好きだなぁと思う。
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職場にしょっちゅう怒ってる人がいて、その人がいるとピリピリした雰囲気になるから「この人がいなかったらもっと働きやすくなるのに」って思うけど、きっとその人がいなくなってもまた違う誰かがその役割になってしまうんだろうなぁと思う。
なんていうか「必要悪」みたいなもので、優しい人ばかりだと、それに慣れてしまって「優しいとはどういうことなのか?」がわからなくなってしまうから、1人か2人、嫌な人をぶち込んで、それ以外の人の良さを際立たせるようになってるのかもしれないと思う。
比べるものがないとその価値はわからないから、誰かが対極の役割をしないといけないのだろうな。
そう考えると、怒ってばかりのあの人は、自ら嫌な人になる役割を買って出てくれるいい人、っていう考え方も出来るなぁと思って、「もしかしたら神様なのかも」って思った。
別に神様として祀る必要はないけど、「この人嫌だなぁ」って思った時、「でも神様だし」って思ったらちょっとは接し方も変わるんじゃないかと思う。
接し方が変わると状況も変わるから、なんかいい感じになるんじゃないかな?って思う。
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