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【鷲田清一×斎藤環】【参加レポート】ドートクのじかん 5じかんめ 「尊敬」


感想:参加して良かった

1️⃣0円で、実力のあるお二方の講義が聴けて、充実した時間を過ごせた

鷲田清一さんは、哲学的視点から、社会・教育・文化について意見を発信される方で、僕が大学生の頃、発達心理学の講義内で知りました。

斎藤環さんは、ひきこもりの支援を専門とする医師で、講演では、「対話」を通して心の傷の回復を図る「オープンダイアローグ」について、説明していただきました。

大学を卒業すると、医療福祉で使用される専門用語(インフォームドコンセントやフロイト等)は、普段の生活では聞きません。

しかし、講演内では、専門用語が飛び交いながらも、用語の説明や事例の共有がされ、とても濃い内容で、充実した時間を過ごせました。


2️⃣志の高い人が集まっていて、嬉しかった

講演が「尊厳」をテーマにしているので、正直参加者は少ないと思っていました。

テレビでもSNSでも、道徳哲学を取り上げても話題にならず、関心を示す人が少ないでしょう。

しかし、会場に用意された椅子は、全て満席。

僕が見た感じでは、参加者は約200名で、老若男女問わず参加されていました。

教育従事者や医療福祉の専門家などが参加するイメージだったので、「哲学的なテーマでも学んでみたいと思う志の高い人が、仙台には沢山いるんだなぁ」と、嬉しくなりました。


3️⃣自分が将来成し遂げたいことのイメージが掴めた

僕は将来、既存の会場を貸し切るor会場を建て、本の著者や大学の教授を呼んで講演会を開き、宮城県に住む多くの方々の知力を上げたいと考えています。

全国展開しない理由は、僕1人では管理できないということ、僕の行動を見た人が、同じような拠点を全国に作ってほしいという願いがあります。

しかし、講演会を主催したい夢があっても、どのように宣伝して、どこに誰を呼び、どんな講演をしていただくかのイメージができていませんでいた。

今回の講演に参加し、自分の将来のイメージが掴めた気がします。

まずは、小規模なところから、始めたいです。


印象に残った言葉

「統合失調症の患者は、医師とのコミュニケーションにおいて、わけの分からないことを言う。だが、それこそがコミュニケーションの始まりである。」

一般的には、精神疾患については薬物療法を、治療として利用するのが一般的。

しかし、フィンランドでは80年代から、対話による治療が行われているようです。

科学的なエビデンスはないようですが、薬物療法より、患者さんの病状回復に効果があったという話でした。

外傷の治療には薬を使用するのが効果的ですが、内面的な、人間の病については、人間が回復に貢献するのでしょう。


「対話の中に、対話がある。ディベートではなく、ダイアログである」

何か頭に浮かんだ言葉があるけど、モヤモヤして口から上手く出てこないという経験はありませんか?

でも、とりあえず単語を発していると、なぜか言葉として出てきたりします。

話し合いの場所を作ると、1つの結論・まとめを出したくなります。例えば、ディベートやディスカッションです。

しかし、対話(ダイアログ)のような、話のゴールがない対話を続けることで、対話の中や対話後に、自分なりの気付きや発見があるんだと思いました。


「人同士は、分かりあえる前提でも、分かりあえない前提にも立たない。どうにか、中間で居続ける方法はないだろうか・・・」

もし、完全に人同士が分かりあえたら、争いは起きませんよね。

でも、人同士は分かりあえないんだというスタンスでいれば、社会は冷え切ってしまうと思います。

「人は、分かりあえる部分と分かり会えない部分を持って接しているという、ということを忘れてしまう。」

そんな嘆かわしさを、感じました。


「自分の話を自分の目の前でされると、自分を冷静に見ることが出来る」

心理学用語で言えば、ウィンザー効果に近いのでしょう。

確かに、他者が自分のことを話していると、集団社会の中にいる安心感のようなものを感じられる気がします。

また、他者が話す自分のことを知ることで、自分が知らない自分を知るきっかけにもなるでしょう。

講義の中では、医療計画を作成する際、患者がいない医師のみがいる場で計画が立てられることへの違和感についても、指摘がありました。

患者を含めた、多方面の医師との対話を行うことによって、患者自身が目指すゴールに進めるし、医師は患者の尊厳を守った治療ができます。

PDCAの対象が人である場合、当事者の意見がない場合があるということを、僕は忘れないようにしたいです。

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