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初マラソンから1年、水戸黄門漫遊マラソン2023でサブ3.5を狙ってきた

これからは自分のために、ランニング日誌をこまめに残そうと思う。もしかしたら、見てくれる人もいるかもしれないし、頑張って書くぞ。

まず、ランニングを始めたのが2022年1月、それから10月にアクアラインマラソンで初めて42.195kmを走った。その時はまだランニングにハマりきってはいなくて、練習もジョグのみ。怪我つづきで走れなかった時間のほうが長かったかもしれない。

でも、努力して、成長できて、ダイレクトに感動できるマラソンの虜になってしまった。アクアラインの帰り道のバスで「この1年間は本気で頑張ってみよう」と思ったのを忘れない。そこからの1年の物語が、水戸黄門漫遊マラソン2023で一旦完結した。

だからこの1年間、何をやってきたのかを記そうと思う。まずはこの記事では、水戸黄門漫遊マラソンを振り返っていく。

結果は、目標だったサブ3.5を達成

まずは結果から。記録は3:21:19だった。

日頃はX(Twitter)でランニングのことをよく発信しているのだけれど、月間200~300kmを積めていた夏場とは裏腹に、9月に入ってから左足の足底筋膜炎からはじまり、ふくらはぎの軽い肉離れと不調がつづいていた。

9月はなんとかダマシダマシで200km以上走ったものの、10月は隠せないようになってきてしまった。

10月はフルマラソンを入れて160kmほど。でも実は1/3くらいがウォーキングだ。そして追い打ちをかけるように、水戸黄門漫遊マラソンの本番1週間前に家族がウイルス感染で高熱→体調不良に。

そんなこんなで今年もいろいろと波乱があった中だったから、今回の結果は「嬉しさ」よりも「安心」が大きかった。ハーフを通過したくらいでサブ3.5を切ることはないだろうと感じたので、そういう意味では僕の勝負は「どうにか3時間20分前半で着地できた」という結果。

調子の良かった夏場からの「たられば」で考えると、思うところはあるのだけど、この結果をしっかり受け止めようと思う。本当にきつくて、きつくて、きついマラソンだった。

スタートはBブロックから、10分前に整列完了

当日は「ときわ35号」という東京発→水戸着の特急に乗った。当日入りできるのが有り難い大会。でも電車遅延で予定よりも20分ほど遅く到着してしまったので、忙しい朝となった。9時スタートに対して7時30分着くらい。

朝のルーティンはいつも通り。梅干しごはんとお味噌汁とバナナ1本。そこから行きでカステラ2切れと、経口補水液500ml+経口補水ジェルを飲む。直前にはZEN NUTRITIONのダルマVESPA PROを飲んで、アミノショットを持ちながら整列へ向かう。

気温は13℃くらい。風のない曇り空で「ちょうどいい感じだね、気候は最高だね」と話していた。でも一応カッパは着ようと羽織っていったのだけど、1km立たずして捨てたからやはり要らなかったかもしれない。

電車遅延したので、トイレマネジメントはかなり気を張っていたものの、水戸黄門漫遊マラソンはトイレの数が素晴らしく多くて渋滞がそこまで起きていなかった。大と小で分かれて整列させていたことも大きいと思う。あと男子女子で更衣場所が違うことも。僕は電車の中でひとしきり済ませ、会場到着後に1回、荷物を預けたあと直前に1回行けた。マラソン経験者なら伝わると思うけど、スタート1時間半前に駅について、それから2回も現地でトイレに行けて整列に間に合うってすごいこと!

そんなこんなで整列移動。荷物を預け場所からは5~10分ほど。スタート10分前の8時50分ほどに到着したものの、結構いい場所に並べている感触だった。これはみんな整列が遅いという意味ではなく、1ブロックあたりの人数がそこまで多くない、という意味。ここは水戸黄門漫遊マラソンの良いところな気がした。

スタート。1kmのラップにビックリして声が出た

今回の設定ペースは4分45秒/kmと定めた。

実は2週間前のレガシーハーフマラソンでは、かなり余裕度を持って1時間33分ほどで走れており、4分20~30秒/kmがまったくしんどくないぞ!と自信を持っていた。怪我や体調不良の影響でそこからほぼ走れていなかったことを加味しても、4分45秒だと結構余裕があるのでは?と思ってそう定めた。

でも、結果はまったくだった。最初の入りの1kmで「4分58秒」というラップ表示をみて「まじで?」と声がでたほどだった。

心拍は150を切っていたくらい。だから心拍出力はそこまで悪くない。でも、やっぱり練習不足で筋出力にエラーが出ているか、とここでかなり落ち込んでいた。「夏場あれだけやってきたのに・・・」と30秒くらいネガティブになっていたのが本音。

でも、3km地点の初給水のときに水を飲んで、カッパを脱いで切り替える。まずは4分50秒で進んでみようと。そうして前半の5kmは24分30秒ほどで着地をしたのであった。

ちなみに、渋滞ストレスはほとんど感じなかった。Bブロックから中盤〜後方くらいからのスタートで、4分50秒〜5分くらいの入りでストレスない感じ。それ以上ならややストレスかも。

あと前半の給水は取れていない人が多かった気がする。短めの給水テーブルが4~6個くらいしか無く、普段のレースの感覚で「最後のほうのテーブルで取ろう」と思っていた人は面食らったはず。その代わり、水とスポドリの給水が3kmごとくらいにあって多い。ここは好みによると思うけど、僕は結果好きだった。水戸黄門漫遊マラソンの特徴かも?と思ったので参考になると嬉しいな。

10km〜ハーフ。なんか登り坂おおくない?

水戸のコースは、良くも悪くも「記憶に残りにくい」と感じた。変な意味ではなく、地味で淡々とした道がつづく。スライド、バンク、粗い路面などそれっぽい特徴はちょいちょいあるのだけど、どれもパットしなくて地味。そういう意味で「走りやすいコース」と言われるのかな、と思いながら走っていた。

ハーフまではとにかく近いペースで走ってくれる人を探す。ずっと「すみません、お背中に寄生させてください」と謝罪しながら、いろんな人の背後についた。でもたまに申し訳なさから、意識的に自分が引っ張るシーンも作ったりもした。結果的に、10km〜35kmくらいまでとある女性ランナーとずっとふたり旅をすることとなった。

最初の1kmの衝撃からは少し落ち着き、4分40秒台のペースが身体に馴染んできていた。ほっと一安心。ほんとうに安心していた。

僕がこのマラソンで経験できてよかったことは「どれだけ前日まで気になる痛みや不調があっても、当日好転して走れるようになることは起こりうる」とわかったことだった。前日までの1週間は、家族の体調不良を躱すように家でもずっとマスク生活をしていて、ウイルスが飛びにくい湿度のキープなどとにかく気を張っていた。手は洗いすぎて荒れまくっていた。

だからか、そういうときは無駄に神経質になりすぎて、脚の不調もいろんなところが気になってしまう。なんでこんなところが痛くなるの?と思うような痛みが出たりする。僕は前日、膝を屈伸したらピキッと鵞足炎のような痛みが出てきて、自分の気の小ささを嘆いた。ちなみにその痛みは、当日号砲前まで気になっていた。

でも、走れる。
そう感じられて、とても安心した。

もう直前までの調子に左右されないぞ、と誓った。そして、身体に深い感謝をした。きっと、身体は無理をしている。もしかしたら後半でガタがくるかもしれない。でもせっかく出ているアドレナリンと、応えてくれている脚を信じて、このまま設定どおり行ってみようと思った。

そしてハーフ。ここまでの余裕度は65%くらい。前回のレガシーハーフマラソンよりは確実にしんどいが、最後まで持たなくはなさそうな感じ。ハーフ通過は1:40:26ほどだったので3時間20分切りの松プランは消えたなと思った。でも3時間25分切りの竹プランは狙えると思い、そっちに切り替えた。

ただ気になったのは、坂の多さ。思っていたよりも多い。これもまた地味な坂。坂っぽくない雰囲気で、坂道を提供してくる。これがじわじわ効いてくる。僕は坂は不得意ではないのだけれど、それでも結構効いた。きっと坂が苦手な人は、結構なダメージを喰らったんじゃないかな。

ハーフから40km。シャインマスカット事件が勃発

25km地点くらい。明らかに足取りが重くなった。感覚としては「そりゃそうだよね」という感じ。焦りも不安もなく、ただただ「きたか」という感じだった。

というのも、6~8月までは週末は20km以上をかならず走り込めていて、距離耐性も付いていたと思うのだが、9~10月はレガシーハーフ以外は20km以上を走ったことが一度もなかった。当然、長い距離を、ましてやこのそこそこのペースで無事に走り切ることは絶対にない、と想像していた。どこかしらで筋肉が終わると。

それにしても25kmか、せめて30kmは行きたかったなとは思ったものの、ここからはどうするかまたレースプランを再考する。1つは4分45秒切りを継続していくこと。もう1つは4分50秒ほどに落とすこと。これもランナーなら分かると思うが、5秒の差って信じられないくらいに大きい。

僕は前者を選ぶことにした。ここは性格的なものもあるが、やらない後悔よりやった後悔のほうが良いなと思ったからだ。そして、それまでより強めのエンジンを使って4分45秒を維持していた矢先のこと。おそらく私設エイドだと思うのだけどシャインマスカットを配ってくれている給食があった。僕の見る限り、かなり人気で前のランナーがこぞって取っていた。

僕は給食は取らない派なのだけど、半分は思い出づくりの意味も込めて(デビュー戦のアクアラインマラソンも何も取らなかったので)取ってみようと思った。すると、10km地点からふたり旅をしていた前の女性ランナーも取る素振りを見せていた。

しかし、滑ってしまったのか前の女性ランナーは取り損ねてしまう。可哀想だなと思いつつ、僕はちゃっかり自分の分を取る。するとその瞬間、なんと前のランナーがグイッ!!とターンをしてシャインマスカットを取り直しに逆走してきたのだった。僕は避けきれずに半身を衝突してしまい、謝罪の言葉をお掛けしたものの、そのランナーはそこからしばらく止まってしまっていた・・・。僕もかなり痛くて(みぞおち付近に何かが入った)、心拍がそこから160台に突入。あのランナーに何もなければよかったけど、ずっと付かせてもらっただけにかなり申し訳ない気持ちになった。マスカットあげたのに・・・ごめんなさい。

というわけで、そこからひとり旅に。
ここからが本当にきつかった。

途中、30km過ぎから「千波湖」というこんな湖の周りをぐるっと回るのだけど、ここがもっともキツかった。景色が変わっているだけ助かったけど。チャレンジしようと思っていた納豆巻きのエイドは取ることができず。水とジェルによって吐き気と差し込みが少しあったので、お腹を抑えながらどうにかスピードを維持していた。あとみぞおちのダメージ。

もはや、ただ脚を動かしているだけ。全然すすでない。でも不思議なことに、ラップは4分50秒を切るくらいでキープできていて、人間ってほんとに不思議だなと思った。このへんで3時間30分切りを確信、25分も切れると思っていた。どうにか20分を切る方法はないか?とも。

ラストの目玉。トンネルと激坂は・・・

千波湖を抜けて40kmを通過。マラソンは本当にここからが長い。手は痺れるし(たぶん酸欠、脱水ではなかったはず)、吐き気はするし、もう今すぐ倒れ込みたいくらいにきつい。1年間練習しても、ここは変わらないんだと絶望した。

そんな中、やっとの思いでトンネルに到達。水戸黄門漫遊マラソンの目玉といえばこのトンネルでしょう。想像以上に暗くて、何がなんだかわからないってのが感想でした笑。ただラッキーなことがあって、それは暗さのおかげなのか道や空間の狭さのおかげなのか、異常に速いペースで疾走できたこと。もしかしたら下りだったのかな?周りもめっちゃペース上がってた気がする。ここが数百メートルはあったので、かなり稼げた嬉しかった。

40km通過時点で3時間10分ちょっと。あと2kmちょっとを10分切れば、松プランの達成だとすぐに計算はできた。でもこの時点で「無理だ」と頭が即答してしまう状態だった。僕の松プランへの戦いは、ここで決着が付いてしまったのでした。限界でした。

そして激坂へ。3時間ちょいくらいのゾーンでも、ほとんどの人が歩いていた気がする。僕は意地でぜんぶ走った。ほぼ牛歩だったけど。こうしてなんとかゴールまでたどりついたのでした。

水戸黄門漫遊マラソンの総括

また1年間やってきた練習の振り返りは別で書こうと思うけど、まずはこの10月の水戸黄門漫遊マラソンを選べてほんとうによかった。コストも優しいし、シーズンインしたばかりでまた春に向けて十分な時間がある。あとメダルがかわいい。

おい、ピントよ

何かすごく思い出に残るようなコースかと言われればそうじゃなかったけれど、淡々と走らせてくれる安定したコースだったといえる。あとは給水の多さ、適度な私設エイド。後半の応援などなど。水戸黄門漫遊マラソンが人気な理由がわかった気がした。

来年は別のマラソンを、と思っていたけれど、あえて同じマラソンに出るのもありなのかも?と思いながら帰路についた。来年はシャインマスカットだけは取らないように気をつけたい。皆さんほんとうにお疲れ様でした!


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