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その人の気持ちにはなれない。

昨日、今日とGoogleスピーカーの

アラームが聞こえなくて何となくで

目覚めてる。こういう場合、うっすら

止めてたようなって記憶が残ってたり

するんだけど、今回は違う。ちょっと怖い。


1クール遅れてだけど、ラジエーションハウス2

を見始めてる。窪田正孝ってあまり顔が

好きじゃなかったんだけど、彼がどうこうって

いうより毎回いろいろ考えさせられるドラマ

ってところで前作確か楽しんでた覚えがあって。

今はまだ第3話くらいだけど、2話の話で

「他人の気持ちを理解しようだなんておこがましい」

みたいな話があって、それはその通りなんだよね。

仕事柄子どもたちのことを知りたいって

思うことはもちろんだけど、別にそれ以外の

場面でも自分が興味を持った相手に対して

どんどんその人のことが知りたいって思う

気持ちは凄く強くてやりすぎちゃうことがある。

でもそういう知りたい相手と関わりを持って

なかで自分が不安に感じることはたくさんあって、

あの人のあの態度、発言にはもっと深い意味が

隠されていたんじゃないだろうかって考えてしまう。

たいていそんなのは勘違いなんだろうけど、

分かっていても自分に都合の良い解釈をしたく

なるもの。

生徒については未だに分からんことは多い。

たとえば休業明けに登校が不安定になる

生徒について。休み中にリズムが崩れてしまう

ことくらいは想像できるけど、他にも何か

心の中に不安を抱えていたりするせいで

なかなか足が向かないのではないかとか

思ったりする。でも実際それを本人に確認

するとそんなことはないと言われるし。

じゃあ何が原因なんだよ。分かるわけ無い。

でも分かろうとすることを放棄すれば

その子にあった支援ができるかもしれない

のにその可能性をなくすことになる。

考えたところで所詮は他人なんだから理解

できないことはたくさんあると思うんだけど、

現状把握している情報の中で自分にできることは

あるはず。大事なのはそのわかり得る

範囲での歩み寄りなのかな。

もちろん、よっぽど嫌いな相手とかではない

限りは相手が誰であろうともっといろいろ

知りたいと思うけど、時間をかけて関わりを

持って行く中で相手を理解することに

手詰まり感が出てきたらそこからは無理に

入り込まなくて良いのかもしれない。

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