完成形なんてない。

#この仕事を選んだわけ


今このテーマについて書くのが丁度良い
と思って。
昨日は誕生日だったからお祝いの一言でも
伝えようかと思ったのか母親から電話が
かかってきてた。その中でも今回の面談の
しんどい話をしてて、そこで母親から返って
きた内容で自分の教師を目指そうとした
きっかけを思い出すことができた。
中学までは自分が教師の仕事を選ぶなんて
絶対にあり得ないっていうか1ミリも
考えたことがなかった。基本ウザい存在
でしかなかったしね。
高校も1年の頃は中学までの陽キャっぷりが
発揮できなくて友だちはできても本来の自分を
周囲に出し切れずにモヤモヤしていて、
それでいて当時の担任も何か自分に良い影響を
与えてくれたかというと何一つ無かった。
状況が変わったのは2年生に上がって新しく
学年に加わった先生との出会いだった。
その人が当時の担任であり、自分の高校生活
に色を付けてくれた人。愛知の私学は新歓フェスとか、オータムフェスとかお祭りイベントが
ちょいちょいあって、年度当初にクラスで模擬店
を出すことになったわけ。でもそんな面倒なことを積極的にしようとする子はなかなかおらんし、自分も正直関係ない話だと思ってたんだけど、
何を思ったのかその時まだろくに接点のない自分に担任が声かけてきて。断る理由もなく、何と
なく引き受けたと思うんだけど、それからと
言うものの、何かする度に担任が声をかけて
くるわけ。それを面倒くさいと思っていたかどうか分からないんだけど、気づいたら学年の中でも積極的に手伝ってくれる生徒という認識が根付い
てきたみたいでこっちも悪い気はしなくて。
同じ頃に部活(パソコン部)の顧問も替わって、活動内容がしょぼかったところに文化祭の
オープニングムービーを作る役割を与えて
くれたりし始めて、どんどん裏方中心では
あるけど活躍の場が増えてった。
3年になるとまた担任は替わるんだけど、
学年職員の自分に対する認識は変わってない
から結局いろいろ経験させてもらうわけ。
もともとは調理の道を目指してた自分も、
高3の夏には自分の高校生活を変えてくれた
先生たちみたいに、むしろそんな先生たちと
一緒に仕事がしたいって思えるようになった。
高校卒業後はただひたすら母校に戻ることだけ
を夢見てキャンパスライフの楽しさなんて
そっちのけで教員免許を取るためにただただ
必死で4年間勉強を続けてようやく大学も卒業。初年度は市立の高校で非常勤を。そのあと2年目
にして運良く母校の非常勤講師として働くことも
できた。この時点で自分の夢は叶っていたけど、いろいろあって今この神奈川の地で専任として
働いている。どういう先生になりたいかっていう
のはやっぱり自分の人生を変えてくれた彼らの
ように、子どもたちに良い影響を与えて
「この先生と出会えたから道が拓けた」
なんて将来的に感じてもらえるような存在で
ありたい。自己満足ではあるけど、子どもたち
を想う力がしっかりしていれば、多少お節介で
うざいと思われることがあったとしても最終的に
は自分への感謝に変わってくるって経験を何度も
してきた。
だから多少辛いことがあっても辞めらんない。ただ日々しんどいのが現実だけど、どっかでまた「これだから辞めらんねえ」って感じられる
瞬間を求め続けていくんだと思う。時代は
どんどん変わって、子どもたちの質も違って
くる。だから常に今の子たちの感覚を大事に
しつつ、自分が与えられるものは何かを探る。

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