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不適切にもほどがある#4 アラフィフのSNSとの距離感下手にギンギラギンでくたばっちまえアーメン

ムッチ先輩の愚か者がギンギラギンにならなかったその時、ふと思い出したことがある。当時、マッチ(近藤真彦)のギンギラギンにさりげなくが、NHKで不適切判断されて流れなくる…というような噂があったことを。

本当にそんなことがあったのかどうか、調べてみたがわからない。紅白でマッチがギンギラギンを歌ったこともあり、単なる噂であった可能性もある。しかし、中学生だった私の日記帳には、NHKが”ギンギラギン”という歌詞が品がないという理由で流さないことにしたらしいということと、なぜこの歌詞が下品と言えるのか、そのような判断をするNHKへの怒りがつらつらと綴られていた笑
私は熱いマッチファンでもなかったので、おそらく権力と検閲への反発だったと思われる。我ながら、大変痛々しいw

”ギンギラギンにさりげなく”の歌詞は、かの伊集院静大先生(伊達歩)の作詞である。それを下品としたならば、当時の倫理観けしからん。しかし、この曲、大人がなぜかちょっと眉をひそめる感じはあったんだよ、確かに。(まさか、ギンギンを連想していたのか!?)

さてその思い出の真偽はいかに。自分はマッチファンの同級生から聞いたし、その同級生の情報源は、雑誌かラジオかファンコミュニティからだったのだと思う。もちろん、今のようなSNSはない時代(しかも、地方在住女子中学生の情報限界あり)。
したがって、不確か情報を聞いて、今でいう中二病(厨二だよ、と現役中学生の娘に直された)の自分が、NHKという巨大権力に対して空回りしていた可能性は高い。

だいたいその時代、遠くの推し友と繋がるったら、ペンフレンドですよ。え?わからん?文通だよ。ペンフレンドの二人の恋はつのるほどに悲しくなるのが宿命だった時代だよ(”大きな玉ねぎの下で” 爆風スランプより)。

そんなこんなで感じているのは、SNSとの距離感が一番不適切なのは、我らが小川市郎世代、アラフィフなんじゃないかということ。まさに、ふてほど4話では、シュガーのウエディング・ベル風調べ”落ち着いて小川さん”で、SNSとの付き合い方を教えていただいた。

SNSは本気で向き合う場所じゃない
もう一度言っておこう

SNSは本気で向き合う場所じゃない

推し沼のSNSはよく大荒れする。
それについて、現役中学生の娘に、こういうことがあってこう言ってる人がいるんだよ。こんなことで公式に怒ってる人がいるんだよ。どう思う?と問うてみたところ、鼻で笑われた。
「それってさ、騒いでるのオバさんだけなんじゃないの?」

※この記事は、中学生の娘の発言を忠実に再現することを目的としているため、一部不適切な表現をあえて使用している場合がございます。

彼女曰く、「SNSで起こってることなんてね、そういうこともあるねーってみんなスルーだよ。本気にする人いないよ」
痛い、痛すぎる。刺さったよ、娘よ。
おそらくまさにその通り。
ネットリテラシーを学んでないのに、SNSをそこそこ使えてしまう魔の世代…それがアラフィフ。いや、アラフィフと一緒くたにしてしまうことは、不適切かもしれない。めちゃくちゃリテラシーがある層と、リテラシー?は?何それ、オイしいの?っていう層の両極端がいるように思う。

自分の不平不満や文句、さらには攻撃を「意見」と称して垂れ流してしまう危険を、Z世代の方がよく理解してる。そして、垂れ流された汚物を見ないように自衛する方法もよく心得ている。

様々な記事を見ても「ネット民歓喜」とか「ネットで炎上」とか、何かとネットの反応が代表意見のように取り扱われているけれど、それ代表意見じゃありませんから。(それも承知で、記事にしているのだろうけど)

アラフィフよ、小川市郎とともに学ぼう。SNSとの距離感を。

ところで、懐かしいシュガーのウエディング・ベル。

ひとこと言ってもいいかな♪(はい、みなさんご一緒に)
くたばっちまえ、アーーーーーメン

「くたばっちまえ」
今では流せない不適切用語かと思ったけれど、当時もそこが不適切ということで、なんかの歌番組では、その部分だけ歌唱しなかった覚えがある。もしかしたら、それも今より何倍もお行儀が良かった国営放送でのことだったのかもしれない。


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