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旅行者の話しかけられやすさとアカデミアの神聖性について (留学日記#2)

世間の噂に反して、実はイギリスの飯は結構美味い
ただ、やみくもに値が張る。
例えば、コーヒーと菓子パンで1500円なんてザラだし、ハンバーガー1つに3000円取られて驚かされたりもする。

よく知られている通り、イタリアの飯は非常に美味い
それなのに、驚くほど安い。
大人の顔をまるごと隠せるくらいの大きなピッツァが、800円で食べられたりするし、エスプレッソ1杯が1€コインで飲めるのは10年以上前から変わっていない。

アマルフィ, イタリアの巨大パニーニ 500円くらい

イギリスでは、よくわからないアンケートか、物乞いに話しかけられる。

イタリアでは、どうでもいい雑談をしたい人に話しかけられる

ナポリのバス停で、横に並んでいた50代後半くらいの男性に話しかけられた。花 (チューリップ?) を海外から輸入して国内で売る会社を自分で設立したとかいうちょっとすごい人だった。
一通りの自慢を聞いたあと、自分は今学生で、留学で欧州にきていると伝えた。卒業後は企業ではなく、アカデミアで研究するんだと伝えると、そこまで英語で話していた彼が、突然イタリア語で何かを叫んだ。テンションから察するに、なんて馬鹿な!的なことだったんだと思う。そのあと英語に戻ったかと思うと、大学に残るなんてお金も稼げないし、不安定だし…などと定番のデメリットをどんどん挙げられてしまった。英語でなんと言い返そうか考えているところだった。

「彼はそんなこと分かった上で選んでいるんだ」

そう声がした方を向くと、20代前半くらいの女性が大きなトランクに腰掛けていた。すると男性の方がなぜかイタリア語で言い返し始め、女性の方もイタリア語で返すので、結局数分、彼らが何を話しているのかはよくわからなかった。男性は乗るべきバスが来たところで "Giorno" (それでは)と言って去っていた。彼女が "Ciao" (じゃあね) と言ったのにつられて僕もチャオと発音した。

ごめんね、イタリア語わかんないか。と笑いかけたあと、彼女は自分も大学院にこれから進もうとしていると教えてくれた。イタリアの大学で文学部を卒業した後、本当はそのままイギリスの大学院に進学したかったらしいが、奨学金が取れなかったとかでとりあえず1年は地元ナポリのカフェで働いているらしい。最近親と進路のことで揉めたらしく、それを思い出してカッとなってしまったという。今日から1週間は休みで、サレルノの親戚宅に泊まりに行くらしい。自分もサレルノ経由でアマルフィに行くところだったので、同じバスを待っているらしかった。

イギリスの大学院で何を研究したいのか尋ねると、ソーシャルVRという思ってもみない答えが返ってきた。文字のみのSNSやボイスチャットに比べて、人々の社交がVR内でどう違うのかを知りたいらしかった。そういうことをロンドンで詳しく研究しているところがあるらしい。僕も自前のヘッドセットを持っているくらいにはVRが好きなので、その話題にとても興味を惹かれた。彼女に色々質問をしてみたいと思っていたところで目的のバスが来た。

バス車内

バスに乗り込んでからは僕の最終目的地であるアマルフィの観光スポットの紹介が始まった。僕は正直、彼女がこれから大学院で学ぼうとしているという、ソーシャルVRの話を聞きたかったが、サレルノまでは1時間ほどあったので、とりあえず焦る必要はないかと思い、一旦は彼女に話題を合わせることにした。エメラルドの洞窟や大聖堂など、定番どころをたくさん教えてもらった。しかし彼女曰く、とあるケーキ屋には行ってはいけないという。もうすぐ広告が見れるよ、と言われバスの外を眺めていると、自信たっぷりにパティシエが微笑んでいる写真つきの立派な看板が現れた。地元ではかなり有名なパティシエで、時々メディアにも出演しているらしい。しかしアマルフィに行っても絶対に、その店のレモンケーキを食べてはいけないとのことだった。

「あのケーキ屋には近づくな!」

彼女曰く、彼のケーキが人気なのはあくまで、アマルフィでレモンを使っていることに尽きるという。人々はレモンケーキの美味しさではなく、アマルフィで名産のレモンを使ったスイーツを食べる経験に金を払っているだけだという。それなのに、あのパティシエは自分の腕前がすごいかのように振る舞って、本当に馬鹿みたいとのことだった。

彼女は少し黙った後、少し暗いトーンで話を続けた。私も一度は就職活動をしたが、そういう「レモンケーキ」を売る企業が多すぎて嫌になったのだと彼女はいう。本当に価値のあるものではなく、大衆に迎合したものを作ってお金を稼ぐくらいなら、死んだ方がマシとまで言った。大学院に進み、いずれは教授として研究室を持つ。アカデミアでは、純粋に美味しいケーキだけが評価されるはずだという。

僕はそこまで難しく仕事のことを考えたことがなかったので、うまく反論も同調もできなかった。ただ、彼女の理屈には何か大事な観点が足りていないような気がした。しかしそれが何なのかこの時はわからず、ただただその極端な意見に圧倒されるしかなかった。

ふと、バスの外にはこんなに綺麗な青空が広がっているのに、なんて暗い話をしているんだろうと思った僕は、ここぞとばかりに話題をソーシャルVRに切り替えることを試みた。僕もVRが好きなことを伝えると、彼女は喜んで話題に乗ってくれた。VRChatと呼ばれるサービスが現在最も規模の大きいVR SNSらしく、彼女もよく顔を出しているという。僕もVRを買ってすぐにVRChatアカウントを作ったのだが、楽しみ方がわからずに放置してしまっていた。せっかくならフレンドになろう、と彼女からIDを教わった。

そのとき「俺はあのパティシエが好きだ」と後ろから声がした。振り返ると中学生くらいの少年がレモン味のファンタを片手に席から身を乗り出していた。「それはいいとして、俺もVRChatをやっているからフレンドになろう」と彼は続けた。結局3人でVRChatのIDを交換した。イタリアに来てから、知らない人に話しかけることが本当に多い。
それからは二人のお気に入りのワールド (VRChat内にある仮想世界) 発表の応酬が始まった。まさか、リアル世界の観光地紹介をされた後に、バーチャル世界の紹介までされる日が来るとは思ってもみなかった。

そうこうしているうちに、バスの終点であるサレルノに到着した。二人の目的地であり、僕のアマルフィ行きの乗り換え地であった。少年は笑顔で「ま、例のレモンケーキは、せっかくアマルフィに行くんなら食べた方がいいよ」と笑顔で告げ去っていった。彼女はそれに対し特に何も言わなかった。またVRChatの中で、ソーシャルVRの研究の話について教えてくれると約束して、トランクを引きながらバス停を去っていった。僕は15分ほど待った次のバスに乗り、アマルフィへ向かった。

エメラルドの洞窟

僕は3泊4日のアマルフィ滞在を存分に楽しんだ。エメラルドの洞窟は、青の洞窟のネーミングを模倣しているだけの美しさは十分あったし、大聖堂は自分に信仰心がないのになぜか感動した。
3日目、最後の夜はせっかくだからと少しディナーで奮発し、食後の満足感と赤ワインのアルコールに酔いながら宿への道を歩いていた。その途中、ふと目に入ったケーキ屋に、何となく入ってみた

レモンケーキの最後の一個を買った後のショーケース

そこで完全に酔いが覚める思いがした。そこにはあの看板に出ていたレモンケーキが売られていた。アマルフィに来るまでのバスの中で話題に上がった、あのレモンケーキで間違い無かった。看板のパティシエは実際に見つけられなかったが、ここが例の店で間違いないだろう。
彼女はこのレモンケーキを食べるなと言ったが、目の前には最後の一個のそれが陳列されていた。「これも運命の悪戯か」などと酔いの戻ってきたらしい脳で考えて、僕はそのレモンケーキを購入し、宿に持ち帰ることにした

宿に向かう最中、僕は彼女の言ったことを思い出していた。アマルフィでレモンケーキを売るようなことはしたくない、という彼女の気持ちを否定するつもりはない。そういう仕事の決め方のようなことは人それぞれでいいと思う。しかし、彼女がアカデミアでは本当に美味しいケーキが評価されると言ったことには、何か引っ掛かりが残ったアカデミアや研究というのはそんなに神聖で、人間の主観的判断を超えうるものなのか?そんなことを考えつつも、酒に酔った冴えない頭はそれ以上回らなかった。

アマルフィのレモンケーキ

宿で封を解き、付属のスプーンですくって食べた。
レモンケーキは美味しかった。
固めのスポンジを覆うクリームにレモンの風味があり、そのほのかさが上品に感じられた。

レモンケーキは美味しかった
それは酒に酔った身体が糖分を求めていたからなのか、やはり彼女がいう通り「アマルフィでレモンのスイーツを食べている」自分に酔っているだけなのか、あるいは少年や彼女との会話の思い出がこのレモンケーキを食べるという行動に何か感慨を与えているだけなのか、理由はわからなかった

それでも、レモンケーキは美味しかった
この感覚だけは事実だった。後から理由はどうとでもつけられるし変えられるが、このレモンケーキがいま美味しいという事実だけは揺るがないものだと思った。

旅行から帰ったら、ヘッドセットをはめてVRChatでこの感覚を二人に伝えよう。そう思ってアマルフィ最終日の床に就いた。


(続く)


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