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12.がん宣告によるこころの動き

こんばんは、肺がんサバイバーのminoriです。

がんを宣告されると大半の方はショックを受けると思いますが、私も例に漏れずショックを受けていました。
今はあのときと比べだいぶ落ち着いてきてますが、あのフレッシュな絶望感を忘れないためにも今一度当時の気持ちを振り返って見ようと思います。


1.がんの気配

詳しい話は上にリンクを貼った初々しさ満載の記事に書いてますが、お医者さんに宣告される前からがんの気配は何となく感じていました。

というのも、検査結果を聞きに行く数日前に「次の診察日はご家族の方と来てください」と病院から電話が掛かってきたんです。とても怪しい気配を感じたのでスマホの検索ボックスへ。「診察 家族同伴 理由」(うろ覚え)。そうして出てきたのは「がん」の文字。えぇ…なんかそれっぽい。

がん患者が抱える不安は多くありますが、当時の私が抱いていた不安はずばり「人生が終わってしまうかもしれない焦り」でした。
ネットで症状を見る限り、肺がんである可能性は高い。じゃあ仮に肺がんだったとしてステージはいくつなのだろう…当時はそればかり気にしてましたね。ステージによって残りの人生の時間が決まる。そう思っていたので。

そして不安はそれだけではありません。
次に訪れた不安は「身体的な痛み」でした。調べてみると、肺がんで死ぬときはすごく苦しいみたいじゃないの。とても想像が出来ず、当時はかなり怯えていました。

と言っても、この時点ではまだ推測。ひとまず眠れてはいましたが、モヤモヤはずっと胸に抱えていました。

2.宣告のショック

こうした経緯があったので、お医者さんの口から直接宣告されたときは割と平静としていました。
が、時間が経つとやはり辛くなってきて、採血の途中で思わず泣いてしまいました。あのときのご年配の看護師さん、訳も聞かずに励ましてくれてありがとうございます。

そこから内視鏡検査を行うまでは、ずっと気分が沈んでいました。「せめて死ぬまでにこれをやろう」と思っていたことにもなかなか手が付きません。仕事には翌日から出て「がんだったの。励まして」と言ったニュアンスで社内を練り歩いたりしましたが、だんだんそれも辛くなってきて早退しました。

いつもの日常に励まされようと思っていたのですが、失敗だったようです。生理が来ていたのもあり、かなり気持ちが不安定でした。帰宅後はまっすぐ布団へ向かい突っ伏していましたが、貴重な時間を食いつぶしていると思いつつもどうすることも出来ずにいました。

3.現実的な問題

そんな暗鬱とした状況の中で母に告げた言葉は、今でも何故かはっきりと覚えています。

「死ぬのも終わるのも別にいいの。ただ、好きな場所で死ねないのが辛い」

今にしてみると大げさで、そこなの?って感じですが、これが当時私が真剣に悩んでいたことでした。
私の墓場はどこになるの?

真面目な話、急死でもない限り最期を迎える場所って二通りしかない気がするんですよね。病室か、自宅。
私は不自由な病室のベッドで死ぬのも、家族の辛い顔を見ながら気丈を装って死ぬのも嫌でした。実を言うと職場で死にたかったです。自尊心を取り戻した場所だったから。あと、ほどよく他人の集まりなので。

ただ、すでに病気が発覚しているとなると、周囲はこっちの好き勝手にはさせてくれないでしょう。ニャンコみたくふっと他人の前から消えて死ぬのも、ある意味理想的な死に方となってしまいました。

4.諦めたこと

私は長いこと異国に興味があったのですが、海外に行ったことは一度もありません。
なのでがんを宣告されたときは、あんなにワクワクしていた海外の景色に心が傷つけられた気分でした。

だって、どうせ行けないんだもの。それよりももっと優先したいこともあるし。

…なんて、まるで早々と諦めて拗ねてたみたいな言い方してますが、本当言うと海外のことなんてすっかり忘れていました。
目の前のことでいっぱいいっぱい。見慣れた景色も退屈だった日常も、当時の私には貴重で新鮮ものになっていました。

けど、だからなのか、テレビなどで不意に海外が目に入ったときは辛かったです。
もう時間切れ。諦めなきゃいけない。と、大切にしてきた芽を自らの手で摘んでしまう寂しさを感じました。

5.回復のきっかけ

上のリンク先でも書きましたが、気持ちが回復した大きなきっかけは検査入院で知り合ったKさんの言葉です。
「今の医療は日毎に進化してるって聞くよ」、っていう言葉ですね。でも、宣告から入院には半月はかかってる。その間はどうしてたんだっけ?

ぼんやり覚えていることは二つ。
一つは、ネットでの情報収集。やはり現役サバイバーの意見が聞きたかったのでツイッターで情報収集してました。様々ながんの経歴を持つ方がわんさかいる。ただ、絶望的な状況から持ち直した人もいれば手を尽くしたけど駄目だった人もいて、不明瞭なのが分かっただけで気分は晴れなかったです。

もう一つは、友達に電話をしました。すぐにでも会えそうな人を優先して、同じ町に住む友人に久々のテレフォン。私ががんと聞いてとても心配してくれました。ありがとう。病気とは関係ない話も多かったのですが、話しているうちに不思議と不安も落ち着いてきました。他の友人にも電話する予定でしたが、すっかり気が済んでしまいました。

そういえば、入院準備の際にアニメ「このすば」を観ていましたね。観始めたきっかけは正直よく覚えていません。が、気持ちを和ませたかったんじゃないかと今になっては思います。

6.安定期へ

検査入院が終わった頃には、だいぶいつもの調子に戻っていました。
正確には「いつものような調子=少しの不安+どん底経由の新鮮さ」です。
何気ない物事が変わって見えました。

勿論人生が終わってしまう焦りもありましたが、どうにもできません。流れに身を任せるだけです。それは現在も同じ。
ただ、宣告のショックによって物の見え方も大きく変わったような気がします。後に手術に挑む当時も、薬の副作用に立腹している現在も、どちらも宣告前と比べ純真な気持ちで日々を送れているような気がします。

がんになると性格が変わる?

…なんて迷信みたいな話がありますが…はい、そうだと思います。なっても不思議じゃない。
横暴だったのに優しくなったっていう人もいれば、その逆もいる。正直、気持ちわかります。だって、これまで守ってきた常識が通用する世界ももうすぐ終わるんですもの。

自分の死は世界の死。生きていくには客観性が必要だけど、人生を振り返るときは主観しか残らないのだなと、私もこの経験を通して痛感させられました。

でもこれってちょっと面白いかも…!
とはいえ迷惑かけすぎると生きにくくなるので、死者目線もほどほどに健全な生者活動――略して生活を送っていきたいと思います。



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