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個性

何をやっても、やり遂げる前に次の何かが気になってしまうのは凡人あるあるなんだろうか。

絵を描くにも、文章を書くにも、料理にしても運動にしても、しばらくはやり続けないと上達しない。ましてや達人になりたいのなら、定期的にコツコツ同じことを長い期間やり続けなければならない。小さいことにこだわらなくてはいけない。いくら才能があったとしても、その一つのことをやり続けなければ、才能などなくてもたくさん努力する人たちにすぐ追い抜かれる。そういうもんだ。

でも私はこう考えてしまう。
何かひとつのことだけに集中して極めると言うことは、他のすべてをおろそかにすることなんじゃないか。
なぜなら人間は、本当の意味でマルチタスクができるようにはつくられていない。
何かに全集中すれば、その他諸々のことは適当になるか、まあまあくらいで妥協できなければならない。
また、他の何かに興味が湧いても、これと決めたことに時間を費やさなければならない。

バレリーナは、恐ろしいくらいの時間と労力を使い、まず基礎中の基礎として自分の体を自然体とは逆方向に開くように矯正しなければ、正しくバレエは踊れない。並大抵の精神力ではなし得ない技だと思うし、相当にバレエに魅了されていないとできないことだ。そして色々なことを犠牲にしてきたんだろう。家族との時間とか、意味なくだらだら過ごす思春期とか。

何もバレリーナだけが特別なんじゃない。
スポーツ選手も、絵描きも、作家も漫画家も料理人も、自分の何かを犠牲にして、自分の能力を磨き上げている。

私みたいな精神力弱々な人間は、ひとつのことに集中しちゃうと他のことができなくね?

と考える。

あれもやりたい、これもうまくなりたい、ダラダラもしたいし、漫画も読みたいしアニメもみたい。家族と楽しいことしたいし、仕事もしたいし、趣味も続けたいし、自分時間も欲しい。
料理もうまくなりたいし、うちも綺麗に保っていたいし、友だちも捨てたくないし、旦那との時間も大事にしたい。釣りもしたい、瞑想やってみたい、運動もちゃんとしたい。美味しいもの食べたいし、筋肉つけたいし。ピアノもまた始めたい。親孝行も成し遂げたい。

これって強欲なんだろか。
面倒くさがりが完璧主義者になると、こんな塩梅になるんだろか。
もしかしたら、これが究極の凡人人間なのかもしれない。

私も自分は特別って思ってた頃はあった。
実は長いこと思っていた。
未だにそんなふうに錯覚してしまうことがある。
でも養老たけしさんは言う。個性なんて、自分なんて、探さなくても生まれつき持ってるもんだと。

私が特別だったら、きっとなにかひとつのことを極めていたかもしれない。プロバレリーナになりたかった。絵を描くことを極めたかった。
それができていない、注意力散漫なアラフォー。何事に関してもうまくなりたい欲があり、競争心を掻き立てられるくせに、すぐに面倒くさくなる。だって世の中、楽しそうなことが多すぎる。行ってみたいところがたくさんある。大事にしたい人がいっぱいいる。

何かひとつを極めたかった。
でも結局何やっていても、あーあれも面白そう、こっちも楽しそう、とふわふわしてしまう。

まあ、これも、個性ってことで良しとしようよ。
自分よ、あまり自分を責めないでくれ。


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