MiNoRu
不定期で続編を書いていこうと思っています。
あの選択をしたから、自分の人生がこう変わったと断言できるほどの画期的な選択を、私はしたことがあっただろうか。 考える。考える。 考える人、爆誕。 つまりはそこまでなかったのかもしれない。 私の今までの人生での多くの決断は、成り行きだった。 でも大半、人生ってそういうものなんじゃないの? 今の時代、自分で決める自由な生き方が謳われているわけだけど、限界があるよね?現に子供をつくると決めた女性が、必ず子供を授かることはできますか? 社交的な人間になることを選択したら、内向的な
長男が日本語学校小学部を卒業した。 日本の卒業式という行事は、ヨーロッパで生まれ育った子供にとってはなかなか忍耐力のいることだと思う。 校長先生や来賓客のスピーチはほとんどの場合が、聞こえがいいだけの無難で当たり障りのない、面白みを感じられない内容で成り立っている。 先生や来賓の方々を非難するつもりはない。 たくさんの生徒や保護者の前で披露する内容だ。 肝が据わっていないと、一風変わった大衆の興味をひくようなスピーチはできない。私も多分、無難でつまらないスピーチをするタイプだ
自分の身近にいる女性が男性に対して媚びを売っているのを見ると、なんとも嫌な気持ちになる。ムカムカする、とさえ言える。 それは自分の子供の頃の経験と関係しているんじゃないかと予測する。 私は昔から内向的な人間で、感情表現が下手な不器用な子供だった。 家族以外の人前で感情を表そうとすると、なぜがどうしてもしっくりこない。自分で自分がわざとらしく思えて、うまくできない。 そして結局何もしない、何も言わないので、傍からみればどうも無表情で大人しい、静かな子だと認識された。 感情がなか
時々、スイスはスウェーデンと間違われる。 SwitzerlandとSweden、言われてみればなんとなく似ていなくもない。 そして、それぞれの国のイメージも共通している箇所がある。 裕福な国、治安の良い国、ヨーロッパにある平和な国。 アジアをよく知らない人が、日本と中国をごちゃ混ぜにしてしまうそれと同じような現象だ。 ヨーロッパの悪ガキたちはアジア系の人をひやかそうとする時、チンチャンチョン、とかなんとか言いながら合掌してみせたりする。 チンチャンなんたらはもちろん中国語を
朝は6時半起床。 金曜日の今日は、子供たちは2人とも8時登校。 朝の家事を終えたら、経理の教材3冊目のオンラインテストをやっつけにラップトップの前に座る。8時半。 神経集中してさっさと済ませようと思ったら、前回のテストより問題が相当多かった。始めは順調だったが、4問目あたりで理解できない問題に突き当たり、冷や汗かきながらあれこれ答えを出そうとするが、出た答えが間違っているのがわかる。でも正しい答えが出せない。時間制限はないが、さすがに時間をかけすぎたのでそのまま進む。残りは順
音信不通の人間のことを毎日思うのは どういう心境なんだろう まだ一緒に話せていた頃は 時が経っていくうちに 憎らしくなっていくのに 話せなくなったら どんどん 恋しくなるのは どんな名前の矛盾なんだろう 何度も仲直りして 何度も破綻する 繰り返していくごとに 少しずつ消えていく 希望と言う名の灯火 許したくない 忘れられない 会いたくない 心を通わせたい 嫌い 好き でも無理 もう一線引こう 決断しようと 考えている頭の反対側で 仲直りの一瞬を想像している 次に会
2月から家で経理の勉強をしている。 4か月かけて自習できる教材を買い、7つのテーマごとにネットで試験を受ける。すべての試験に受かると、証明書がもらえる。 本当は経理士の資格が取りたかったのだが、20云年前の職業訓練時代に習ったはずの経理の基礎ノウハウをほぼ忘れてしまっており、能力判定で落ちた。そんなわけで、基礎から始めることになった訳だ。 10年も専業主婦をしていると、社会に戻れるかどうか本気で心配になる。 ふとした日常会話で言葉が出てこなかったりすると、自分は脳を使わな過
ああ眠い。 日曜日の夜に夜更かしするものではない。 おかげで月曜の今日は眠いし体がふわふわしている感じがした。 絶対寝不足。 でも約束してたので、朝、子供たちを学校へ送り出したら8時半にママ友と散歩に行った。運よく今日は快晴で気持ちの良い朝だった。 このママ友がすごい。子供が4人いて、そのうちの3人は生まれながらに耳がほぼ聞こえず、頭部に手術で補聴器を埋め込んである。でもその事実を忘れるほど元気はつらつな子たちで、長女以外は皆ホッケーをやっている。このホッケーというスポーツが
ぽっこりお腹が出てきた。 ショッキングな話だ。 なぜなら、私は生まれてこのかた、自慢たらたらに言うが自分の体重を気にしたことがない。 というのは嘘だが、ダイエットは本当にしたことないし、痩せるために運動したこともない。 運動する理由としては、いつも免疫力アップとか体力つけたいとかそっち系だ。 ありがたいことに、太らない体質だった。 父と祖父からの遺伝の賜物だ。 二人とも痩せすぎ体質。私自身も今までの人生ほとんどどちらかと言うとひょろひょろだった。思春期あたり、60キロ近くあっ
何をやっても、やり遂げる前に次の何かが気になってしまうのは凡人あるあるなんだろうか。 絵を描くにも、文章を書くにも、料理にしても運動にしても、しばらくはやり続けないと上達しない。ましてや達人になりたいのなら、定期的にコツコツ同じことを長い期間やり続けなければならない。小さいことにこだわらなくてはいけない。いくら才能があったとしても、その一つのことをやり続けなければ、才能などなくてもたくさん努力する人たちにすぐ追い抜かれる。そういうもんだ。 でも私はこう考えてしまう。 何か
水曜日の夜は、スイス恒例のカブ提灯の行列が村を通った。 小学2年生の次男と私もその一行に加わっていた。 カブ提灯とは、その名の通りカブの中身を削り、薄く壁を残す。そしてその壁に外から星や動物などを形どって皮を剥き、中にろうそくを入れれば綺麗な提灯になる。 幼稚園児から小学2年生までの子供たちが、各々で作った提灯を手に行列をつくって夜の村を歩くのだ。 提灯を持った子供たちだけが列をなして歩けば、美しい行列になる、、、、はずなのだ。だが、私たちが住む村は、なぜかそれがうまくいか
忘れたくないのでアウトプットしておこう。 精神科医でユーチューバーの樺沢紫苑さんのチャンネルでまた良いことを聞いた。 人間の脳とは、自分が言う言葉から大きな影響を受けるらしい。 つまり、ネガティブな言葉ばかり使っていると、脳はネガティブに敏感になり、不安や恐怖を出しやすくなる。 まさかそんなことあるんかいな~と半信半疑で動画を見続けたわけだが、そこで出てくるネガティブ言葉とポジティブ言葉の例が絶妙に良かった。 ある視聴者さんが、「ヨイショ」を「わっしょい」に変えた。 す
昨日次男と大喧嘩した。 7才児と41の自分がだ。 音読の練習をしようと提案したら、相当やる気がなかったらしく教科書を投げつけてきた。 それが無性に頭にきて、感情が昂っていくのを止められなかった。 「ねえ。投げないよね?」 「だから何」 「だから投げないでしょ? ママびっくりしたし、痛かった。」 「ふーん。だから? はやく音読始めれば?」 「なにその態度。こんの、、、」 クソガキ。 言いたくなかったのに声に出してしまった。 内心混乱していた。 ああ、どうかクソガキの意味がわかっ
サラは時々、無意識に姉のことをあれこれ考えている自分に気づいて腹を立てる。 噂には聞いていたが、好きと嫌いは本当に隣り合わせなんだなと納得する。 好きだったこともある、とサラは思う。 いつもではないけど、仲が良かったこともある。 でも今は、今はもう姉はきっとサラが知っている姉ではないんだ。 考えてみれば当たり前のことだ。 お互い国籍の違う男性と結婚し、子供を授かり、暮らしている国さえ違う。 変わって当たり前。 サラはなんとか忘れようと、この数か月間もがいている反面、姉のことば
サラは静かな子供だった。 サラが赤ん坊だった頃、母乳の出が悪くなり、母はそれに気づかず、なぜサラが泣きやまないのかわからなかったことがあった。医者にみてもらってやっとその原因はサラがお腹を空かせていたからだと判明した。 それ以外は特に問題もなく、普通に育った。 少なくとも、両親からはそれ以外のエピソードは何も聞かされていない。 いや、もうひとつあった。 夜中に赤ん坊のサラが泣き止まない時は、父はサラと一緒に夜空に浮かぶ月を見上げた。そうすると、サラは泣き止んだ。 この話を
サラは姉が嫌いだ。 正確に言うと、サラは自分の中で創られた姉のことが嫌いだ。 サラの中では、もう姉との悪い記憶しか思い浮かばなくなった。 何年も何年も、どうして二人の関係がここまで悪化してしまったのか悩み、考え、自分なりの答えを出してきたが姉はサラの出した答えにまったく納得しなかった。話し合って衝突するたびに、関係は悪化していくばかりだった。 そのうちに、サラの中には悪徳な姉の像が出来上がっていた。 姉の性格が嫌だと感じた一番最初の記憶。 それはキャンプ場での出来事だった。