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ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第69回「アメリカは日本の盟主ではない」 1991年5月10日

 四月五日の日米首脳の記者会見。
 ブッシュはズボンのポケットに手を突っ込んで、「貿易面で幾つかの問題を解決した」と切りだし、建設・半導体・自動車など対日要求を、脅迫もチラつかせながら羅列した。最後に「日本は『砂漠の嵐作戦』に貢献した」と、お礼の一言もない傲慢な態度。
 次いで海部は「湾岸戦争で示した米国の偉大な指導力、兵士の犠牲に敬意を表します」「米国が世界の秩序に最大の役割を果たす国であることが証明された」 「日本国民の中に不満を持つものもいるが、日米のかけがえのない将来のためにこの状態を解消する必要がある」などと 卑屈なゴマスリに終始した。
 アメリカのアラブ支配が目的の戦争に日本国民が九十億ドルも戦費を負担させられたうえ、ブッシュからこういう侮辱を受けるのかと憤慨した人も少なくなかったと思う。
 神戸市外大のアンケートでは、湾岸戦争でアメリカが嫌いになったと答えた学生が八〇%もあったという。
 アメリカはまたもコメの輸出で日本を脅迫し、海部は屈しようとしている。それは日本の農民に大きい打撃を与える。
 アメリカの不当な干渉を、国民的大衆闘争で粉砕しなければならない。
 冷戦時代が終わり、日本が侵略されると本気で考える人は少ないだろう。
 米軍の駐留も基地もいらない。
 日米安保条約もいらない。
 真の平和国家をかちとろう。(実)

(画像は1990年3月、ブッシュ大統領〈左〉との首脳会談を終え、米パームスプリングズで会談の成果を発表する海部俊樹首相)

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1990年の年末に第2次海部俊樹改造内閣が発足した。この内閣は翌1991年1月に勃発した湾岸戦争開戦時の内閣であり、湾岸戦争が開始されるとすぐに多国籍軍に対する90億ドルの追加支援を行った。

この湾岸戦争における「砂漠の嵐作戦」とは1991年1月から始められたクウェートを占領するイラク軍に対して、国際連合安全保障理事会決議678に基づき、アメリカ軍を中心とする多国籍軍が軍事力を行使したもので、43日間の空爆と100時間の地上戦によってイラク軍は敗走した。

結果、多国籍軍が勝利し、その後地上戦に突入し、100時間後にクウェートはイラクから解放された。

そして、湾岸戦争後の同年4月には海上自衛隊の掃海艇部隊をペルシャ湾に派遣した。いわゆる「湾岸の夜明け作戦」である。

これは、日本の自衛隊が主権回復後はじめて軍事的緊張のある海外で準軍事的活動を行ったものである。

参考

90年の湾岸危機、ブッシュ米大統領が自衛隊派遣を事実上要求…外交文書公開2021https://www.yomiuri.co.jp/politics/20211222-OYT1T50094/

海部はこの掃海艇部隊のペルシャ湾に派遣に先立つ4月3日に訪米し、5日にアメリカ大統領のブッシュ(父)と首脳会談をした。

ここで、湾岸危機に対し日米間の協力関係を再確認した。

参考

【海部内閣818日】http://www.anan.ne.jp/kaifu/mizutama/818index.html

さらに、近年の報道によると当時巨額の対日貿易赤字を抱え、米議会では日本への強硬論が台頭するなか、議会の圧力を受けたブッシュ政権は、自国企業の日本進出のため、日本の市場開放を強硬に要求していた。

そんな中でブッシュは、両国の関係悪化を防ごうと海部に会談を呼び掛け、1990年3月に海部を米カリフォルニア州パームスプリングズに呼んで日米首脳会談を行った。

その際にはブッシュが難航していた日米構造協議を打開しようと、海部に「助けてほしい」「日米関係は深刻な転換期にある」と重ねて懇願していたことが外交文書で明らかになった。このブッシュの発言を受けた日本は政治決断を迫られ、4月に日米構造協議に関する「中間報告」を取りまとめ、閣議了解し対米経済危機を乗り越した。

参考

ブッシュ氏、海部首相に懇願 90年首脳会談、日米構造協議https://www.kochinews.co.jp/article/detail/530642

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湾岸戦争が終結した後、海部内閣は「金だけだして人は出さない」「一国平和主義」などの反動的一部世論におされる形で憲法に違反して自衛隊を海外に派遣した。

そして、「米国が世界の秩序に最大の役割を果たす国」と最大限持ち上げ、「日本の盟主」だとアメリカの飼い犬の如く尻尾を振って対米従属をさらに深めるに至った。

それは経済面においても顕著であり、「建設・半導体・自動車など」の貿易自由化の対日要求を突き付けられ、その後日米の協議は加速し、日本側の公共投資拡大や大規模小売店舗法(大店法)の見直しを迫られた。

 これにより、日本が10年間で総額430兆円を支出するとした当時の日米合意が、健全だった日本財政を恒常的な赤字体質に転落させることとなる。

まさに、この時点が日本の財政が悪化する転換点であり、海部内閣の対米政策の犯罪性は歴史的に証明されている。

筆者はこのコラムの最後に「米軍の駐留も基地もいらない。日米安保条約もいらない」と至極当然の主張をしているが、それから30年経過した現在においても米軍は日本に駐留しており、日米安保条約も破棄されてはおらず、日本はいまだに「真の平和国家」とはなっていない。

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