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ある労働運動指導者の遺言 足立実の『ひと言』第65回 「戦争参加を許すな 湾岸戦争」 1990年10月20日

 「国連平和協力法」は資本家のための戦争の道をひらく、憲法違反の暴挙だ。
 憲法第二章の題は「戦争の放棄」第九条の全文は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」である。
 この第九条のために「平和憲法」と呼ばれ、朝鮮戦争やインドシナ戦争に日本政府は参戦できなかったのである。
 これはアジア諸国で二千余万、日本で三百万の人命を奪った侵略戦争の総括であり、国民は四十五年間それを守った。いま、海部はブッシュの要求に自衛隊を「平和協力隊」に入れて、陸海空の部隊をアラブに送ろうとしている。 兵器の携帯や「応戦権」を認めるといっているし、病院にしろ輸送部隊にしろ、 多国籍軍(事実上米軍)司令部の指揮下で戦争に参加することに変わりはない。 民間人でも同じことである。
 多国籍軍支援で儲けるのは資本家だけで、アラブと日本人民の利益に反する。
 日本の公然たる戦争参加は戦後初めてで、この重大な歴史的転換を絶対に許してはならない。闘いの意義は六〇年安保より大きくとも決して小さくない。
 国民の大多数は派兵に反対している。 私たちも「ノー」とはっきり云って、敢然と闘いに立ちあがろう。 (実)

(画像はPKO法案に反対する国公労の組合員)

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背景

1990年の湾岸戦争で、日本はアメリカなどの多国籍軍を支持して資金援助を行ったが、資金を出すだけの態度に、戦時中から戦後にかけてアメリカ・イギリスを中心に批判が起こった。これをきっかけに、国際協調主義の流れに沿って、自民党海部俊樹政権が「国際平和協力」=「PKO」法案を提出した。

参考

【湾岸戦争】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BE%E5%B2%B8%E6%88%A6%E4%BA%89

足立実の『ひと言』第64回 「危険は国内にある 湾岸戦争」参照https://note.com/minoru732/n/nf42eb50b2961

注釈

・「国連平和協力法」
いわゆるPKO協力法
正式名称は「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」。1992年8月施行。略称国際平和協力法。国際平和協力隊を設置し、国連平和維持活動(PKO=Peace-Keeping Operation)や国連の決議等を受けて行われる国際救援活動に対し協力を行うための体制を整備するもの。
自衛隊海外派遣を「軍国主義の再来」と捉えた社会党や共産党、労働組合や市民団体は強硬に反対した。

参考

【PKO協力法】https://kotobank.jp/word/PKO%E5%8D%94%E5%8A%9B%E6%B3%95-167919

【PKO国会】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/PKO%E5%9B%BD%E4%BC%9A

・「海部」 
当時の海部俊樹首相
(1931年~2022年)第76・77代内閣総理大臣。
PKO法案を国会に提出し、強力に推し進めた。

参考

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%83%A8%E4%BF%8A%E6%A8%B9

・ブッシュ
当時のアメリカの第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ。いわゆる「パパブッシュ」

参考

【ジョージ・H・W・ブッシュ】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BBH%E3%83%BBW%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

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湾岸戦争が勃発した中で、日本の自衛隊の戦争参加を可能とするPKO法が自民党海部政権から出され国民の多くが反対の声を上げた。

筆者はここで日本国憲法9条(第2章、戦争の放棄)を全文引用してその重要性を強調している。

そして、「多国籍軍支援で儲けるのは資本家だけで、アラブと日本人民の利益に反する」と警鐘をならしている。

このPKO法案成立阻止に向け「敢然と闘いに立ち上が」ることを訴え、この「闘いの意義は60年安保よりも大きくとも決して小さくない」と檄を飛ばしている。

実際、この法案に対しては多くの日本人民が反対の声をあげて立ち上がり、国会でも1992年のPKO国会で社会党、共産党、社民連が徹底抗戦したが、法律は1992年6月に成立した。

そして、同年9月に法律に基づいて自衛隊カンボジア派遣が行われ、1993年モザンビーク、94年ザイール、96年ゴラン高原、2002年東ティモール等々各地に派遣された。

これは実質的な改憲、違憲であり私たちは自衛隊海外派遣については今日においても反対の声をあげていくべきではないだろうか?

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