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ある労働運動指導者の遺言足立実の『ひと言』第82回「戦争前夜は誇張ではない! 日米安保ガイドライン」 1999年5月1日

 戦争はある日突然はじまる。
 そして異様なふんい気の中で国民全体がまきこまれていく。 私が体験した日中戦争と日米戦争はそうだった。
 このことが、いま私にとってにわかに現実的な不安になってきた。
 日米安保新ガイドラインの周辺事態とは、「第二次朝鮮戦争であることは明らかだ」 と竹岡勝美元防衛庁官房長は言っている。「突然はじまる」 日が綿密に準備されているのだろう。
 ベトナム戦争 (クリントンが徴兵拒否をした不正義の戦争) のときは、この法律がないために、アメリカは日本の自衛隊や国民を動員できなかった。こんどは参戦を義務づけるわけだ。
 日本は朝鮮を36年も植民地にし、人々を悔辱・搾取・殺害し、その後始末もまだなのに、 「ならず者」アメリカの片棒をかつぐことなどできるか!
 自衛隊だけでなく、公務員も民間企業の社員も「業務命令」で戦争参加を強制され、あげくの果ては、国土と国民を戦災にさらすことなど許せるか!
 新ガイドラインを推進する連中は、恥ずべき非国民・売国奴である。
 4・15国会デモに行って、60年安保のとき、この同じ道を何十万人のデモが進んで国会をとり囲み、アイゼンハワー大統領を追いかえし、岸内閣を打倒したことを思いうかべ労働運動の後退の重大さをにがく痛感した。
 それにして東部労組の参加者は少なすぎる。後の世代に謝らないですむように、反戦・平和のたたかいにも敢然とでていこう。 (実)

(画像は「戦争が廊下の奥に立つてゐた」
この句は俳人で当時26才の渡辺白泉が1939年に詠んだもので、季語がない。当時の日本は日中戦争の最中で、第二次世界大戦に参加する2年前であった。1938年にヨーロッパで世界大戦が始まるが、まだ日本は対岸の火事であった時でもある。

参考

【渡辺白泉】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/渡辺白泉)

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背景

この年(1999年)「周辺事態法」(周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律)が「改正」自衛隊法、「改正」日米物品役務相互提供協定と伴に成立した。

これは周辺事態の際に、1997年9月に朝鮮半島有事を想定して改定された日米安保新ガイドラインに基づき、日米相互協力計画を実施するための法律で、自衛隊の米軍への後方支援活動を合法化し、自衛隊が日本の領土の外で活動することが可能になった。
さらに地方公共団体や民間への協力要請も出来るとした。
これに対して周辺の概念について、近隣諸国からの懸念が表明されている。

また、本文にもあるように、元官僚で防衛庁人事教育局長、官房長、調達実施本部長などの防衛庁(現防衛省の前身)の要職にあった竹岡勝美氏も「第二次朝鮮戦争であることは明らかだ」と懸念を表明している。

ちなみに、この竹岡氏(故人)は後にこうも言っている・・・

「独立国・日本の安全と名誉のために、南北朝鮮や中台の和平確立に日本も貢献し、その成果として日米安保条約を日米友好条約に切り替え、在日米軍の縮小から撤収への道を切り開くべきではないか」

「今『平和憲法』『専守防衛』の金看板を廃棄するのは、我が国の安全保障と徳義のため、かつ周辺隣国への影響からも余りに惜しい。改憲に何のプラスがあるのか」

参考

我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る―防衛省元幹部3人の志』 憂国の士の「内部告発」
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200703201252452

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周辺事態法の成立を目前にして、筆者の批判のボルテージは上がっている。「新ガイドラインを推進する連中は、恥ずべき非国民・売国奴である」と最大限の批判を当時この法案を推進した小渕内閣に浴びせている。
これは、まさにアメリカが「第二次朝鮮戦争」を実行するのを後押しするための法律であり、完全に「平和憲法」「専守防衛」の原則から逸脱している。
それは本文にもあるように元防衛官僚からも声が上がっているのだ。
そして2024年現在、それは米中間の対立による「台湾有事」という形として、現実化しようとしている。
筆者の言った「後の世代」がこの法律によりまさに戦争に巻き込まれようとしているのだ。
筆者はこうも言っている。
「60年安保のとき、この同じ道を何十万人のデモが進んで国会をとり囲み、アイゼンハワー大統領を追いかえし、岸内閣を打倒したことを思いうかべ労働運動の後退の重大さをにがく痛感した」
「それにしても私たちの組合の参加者は少なすぎる。後の世代に謝らないですむように、反戦・平和のたたかいにも敢然とでていこう」
当時の「周辺事態法反対集会」への組合員の参加が少なかったのであろう。
筆者の悔しさが滲み出ている。

これは、現在岸田内閣が推し進める軍拡路線においても言えることである。

私たちも「後の世代に謝らないですむように、反戦・平和のたたかいにも敢然とでてい」かなくてはなるまい。

いま、まさに「戦争が廊下の奥に立つてゐ」るのだ!

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