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松本人志の映画の話②

この間、松本さんの映画に対するnoteを投稿したところ
フォロワーさんから松本さんの人生を映画にしてほしいという意見をいただいたが
それで思ったのは松本さんの映画自体が彼の人生そのものなんではないかという事だ

大日本人では人々のために戦い日本を守るも
市民からは誰にも感謝されずむしろ苦情を入れられる毎日
これは松本さん及び、芸人人生そのものである
人を笑わせ人を笑顔にし楽しませる
それだけが望みなのに人から文句を言われ嫌われる
松本さんが大好きな特撮ヒーローに絡めたのではないだろうか

しんぼるでは密室からの脱出が描かれる
これは芸人が固定観念という縛りからの脱出を描こうとしているのでないかと考えている
ジブリ作品「耳をすませば」で主人公が小説を書こうとするシーンでダイヤの原石だと思い手を掴んだものが雛の死骸?だったシーンがあるが
これは小説家が良いアイデアを探そうとさまざまな知恵を絞るが結果出した答えが最悪なこともあるというメタファーと言われているが
しんぼるにもそれに近いことが描かれている
男性器を模したボタンを押してアイテムを出して脱出しようとするも出てきたアイテムが自分の望むものでなかったり、そのせいで酷い目に遭うシーンもある芸人もオモロイと思った発言で叩かれてしまったり仕事が激減することもあったりする

さや侍は前回のnoteでも語ったが、娘のために笑いに向き合う男の姿は父親になった松本人志の姿に一致している
そして最後にさや侍は誇り高く死ぬ事を選ぶ
その姿はまさに笑いに真剣に向き合う松本人志と言われている


そしてR100の作品をはじめ松本人志の映画は大衆受け、そして理解されない
それはある意味、彼の映画が松本人志の笑い、そして松本人志の人間性の一部だからであるからと考える

芸術家という生き物はいつの世も人に理解されないという事を書きたいんだけどそれはまた別のお話!

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