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伝説の教師というドラマ

25年ほど前
日本テレビで放送されていた伝説のドラマがあった
松本人志中居正広W主演
普段演技(特に他者が監督脚本したものだと)をしない松本人志が珍しくドラマに携わりしかもちょい役などではなく主役を演じたドラマがあった
ストーリーはとある高校にやってきた気まぐれ教師の南波次郎が独自の屁理屈、いや考え方の元生徒や他の教師たちに人生観を教えるドラマである。
DVDやサブスク配信が現在でもされておらず視聴が難しいドラマで
僕もダウンタウンファン歴12年以上になるが、まだこの伝説のドラマだけは見た事がない
しかし去年それを見る事がようやく叶った
松本さんと中居さんの掛け合い、アドリブを交えたシーンが幾度にありそれは松本さんのコントや即興漫才のようだが
このドラマは生徒が抱える難しい問題、イジメ・親関係・恋愛問題・教師との関係・友達との関係、そして自殺や犯罪、病死など難しい社会問題を描いている
その中で人生の学び、哲学になる名言や名シーンがたくさん存在する

南波流常識論

この南波はことあるごとに常識という言葉を嫌う
しかしこの教師は「常識」的な教師ではない
パチンコをしていて借金があり、難癖をつけて飯をタダ喰い、借金とりに脅されて女子生徒のブルマを取るように男子生徒に押し付けるなどの普通じゃカッンガエラレヘンッ!!!私生活をしている

しかしそれはそれにしても、確かにこの「社会」に常識という言葉は本当に存在するのであろうか?はたまた絶対的な「常識」はこの世に存在するのかということである
暴力、不倫恋愛、薬物、不正
名前だけ聞けば悪として認識される事
指導、人助け、友達だから、家族だからという一見正しい判断のように聞こえる言葉も
悪や善になりえたり、人それぞれで価値観が違ったりする
暴力も、リンチや脅しなどの人を傷つける為だけのものから悪漢を止めるため、人を守るための暴力
笑いのツッコミや罰ゲームといった笑いの暴力など様々なものがある
そして、薬物も他の国では違法ではなかったり医療などの目的で使用されたり芸術関係のファンには薬物をそれほど悪いと考えていない人もいる
そして人のためにという考え方も人へエゴの押し付けだったり、それが原因でさらなる悩みに陥る人も多い
そして絶対悪とされるであろう殺人なども
死刑だったり、安楽死のような事だったり
時代によっては(戦争やイクサの時代など)多くの戦士を殺したものが英雄として崇められていたこともある(もちろん、これは絶対的悪い風習であると僕は思うし、これが善に変わるような出来事などあってはならない)
そしてコロナ禍や松本文春騒動を経て
多くの人々がいろんな意味で今まで生きてきた常識が崩れ去った事だろう
マスクの着用義務、人と会えない、人がいつ死んでもおかしくない、会食や外出が禁止・悪い事にされる
そこから自宅勤務や授業の良さだったり、宅配の注文の需要など風オケのような形で他のものの見方や考え方が変わることもある
そして松本さんの件でも週刊誌の報道の考え方であったり
個人的には風俗遊びをする芸能人は一般的にだらしがないイメージもあったが
これを機に少し考え方が変わったのは
一般の女の子と遊ぶにしてもこのようにトラブルにつながったり、声かけ自体が白い目で見られてしまうケースも多々見られる
しかし本当に最初からソレ目的で金銭を払いサービスが行われる店なら
そういったゴタゴタなしに欲も満たす事ができる
もっとも、サービスにないことの強要や
一部店ではそういった内容をバラされることもあるし
結局、反社関係や性病などそこから二次被害につながるケースもあるので絶対安全な場所ではないが
少なくとも店の場合だとよほど出禁になるようなことをしない限り
万一、客の情報をバラすとそれがモラル違反になることもある
だから異性のトラブルをなくすために
独身の芸人はよく行くのかな?と思ったというわけだ
そしてこの世の中でも、おかしな法律やルールに文化
そしてそれらに対しても多くの人がこれはおかしいと声を上げても理由をつけられてどうにもならないと反論されたり
また不倫や脱税などの不祥事が発覚してもその地位から立ち退かない人や、逮捕されても金の力で釈放されるという事もある
学校内でも髪を染めたりメイクをしたりするのは校則違反、でも先生はそれをしていたり
僕の通っていた中学でも成績のいい生徒は多少の校則違反を見逃されたり、贔屓される事がよくあった
成績の悪い生徒にはいってる事に矛盾だらけの指導が付きまとう

僕がいじめを訴えれば「君は我慢を覚えよう」
僕に非があれば「人が嫌なものは嫌なんだ」
僕以外にもこういった理不尽を受けた事がある人は多い
ここでもう一度考えるのは、この世界に本当に「常識」なんで考えは存在するのか?そしてこんな適当な「常識論」を生徒に守らせる必要は果たしてあるのか?それを守らない人を「非常識」と言って差別することは正しいのか?

自分自身に絶対的根本、信念があるので大きく考え方を変える必要はないが
そういった新たな考え方や見方を常に持つことは、人間の成長の一つだと僕は思う
だから「常識」という言葉にとらわれたり
悩まされる必要はないということなのです

南波流性教育論 
恋愛、片思い、sex、妊娠、結婚、性の考え方、その恋愛の対象、未成年恋愛やsex
どんな形であれ人間はその悩みにぶつかる
このドラマでは教師に恋愛感情を抱いてしまった女子生徒や、彼氏との恋の向き合い方に悩む女子生徒などが登場する
その中で、女子生徒が彼氏と性行為中に妊娠が発覚(実は嘘)し、生徒にコンドームが支給される事になったのだが
それに対して南波は言う「お前らは責任を持って恋愛やSEXをするよう指導してるのに、なんでこんなもん渡すねん!SEXはいつでも真剣勝負やねん!いつ妊娠するかわからんから毎回真剣に付き合うねん!これの普及こそが遊びの恋愛を助長してる!」と声をあげた
この論理はかなり賛否が湧くかもしれないが
僕がこの言葉が響いた理由は、このドラマは松本さんの脚本ではないので松本さん自身の言葉ではないのだが
松本さんは今の奥様と授かり婚で結婚した
今の報道がどこまで本当かわからないので
浮気または既婚者なのに異性と飲み会に行っているがそれを無しにしても
子供ができても親になる責任を放棄する人間、そして親になってもすぐに離婚したり子供を育てられない人もいる中で
松本さんはパパになる道、伊原さんの旦那になるという選択をされた
そして松本さん自身も「最初から俺はそのつもりで彼女と接していた」と番組で述べていた
授かり婚にも様々な私見があるが
それをどう見るかは、その人がどんなお父さんになったかを見てからなのではないのかなと考えた

補足:この報道で松本さんの娘さんや奥様が何を思っておられるかは僕も知りませんが、日が進むにつれて松本さんが性犯罪は愚か性行為もしていない証言の方が多く見られるので、松本さんはやはり今の家族にしっかりと向き合っておられるんだろうなと僕は考えております

そして南波次郎は性の考え方に対して
俺達はそれでこの世に存在している、そしてエロいことをしたい願望は人間が誰しも持っている事やねん、それを悪い事と教えてどうする?恥ずかしがらんと好きなら好き言えばええやん!と述べている

これも賛否ある考え方だが
昨年放送された「松本人志と世界LOVEジャーナル」と言う番組で
日本人のせいの価値観が世界に比べて遅れているなと思ったのが(多分それが大きな文化ではなくそういう考えの人もいるんだよっていうのが事実なのだろうが)
他の国では性にかなりオープンな人もいて、全裸でトークバラエティをしたり、裸を見て恋愛対象を決めるバラエティ、そしてアダルトグッズを日本のように隠したりしないで売られていることもある
それを恥ずかしいこととしてとらえるのではなく、人間誰もが通る道・持っているものなんだから悪く言う必要ないよ!と考えている

もちろん、強姦や痴漢・盗撮などの行為はダメだが
コスプレ・ロリ(実年齢は大人)系熟女系・またはセクシービデオでありがちなフィクション的な犯罪行為で興奮を覚えてる事などは
多少引くことはあっても、悪者にする必要はない
早い話、人様の性癖を酷評するような「記事」は載せてはいかんぞ!

南波流正義論  

ある時、学校で女子生徒の下着が盗まれる事件が起きた。犯人はイケメンで成績優秀生徒だったが、そいつがブサイクで抜けている生徒に頼まれたんだと嘘をつくと
教師達はそれを一斉に信じ出した
それに対して南波が一言
「なんでこいつの証言だけ聞くねん?もう1人の言い分も聞いてやれや!ほいでなんで成績だけでこいつがやってない証拠になるねん!」
これは言わずもかな 
現在の被害者女性の言い分だけ記事になり
松本さんの意見が言えなかったり
また大谷さんが推定無罪を信じ、松本さんの事実無根が信じられてない事の矛盾などに言える
これも最初の「常識」の話につながりそうだけど
結局、顔が良ければ声をかけられても許される
この人なら同じことされても許す許せないは
善悪や犯罪、常識として教えちゃいけないのだ
それならわざわざ校長室やら教員室でダラダラ
「常識とは〜」など教えるよりも
学校にトレーニングジムを用意したり
もういっそ教員をIKKOさん、GACKTさん、藤原紀香さんみたいな人にしとかんと!
そしてこの南波次郎さんは、他にもイジメやカンニングなどにも独自の考え方を持っている

「ええか?イジメなんてものはなくならへんねや、それらがなくなるっちゅうことは世の中のSMがなくなることやねん」 

南波次郎

一話と4話で大きな問題、いじめや無視による不登校問題を描いている
皮肉にもイジメ、つまりそれは共通の敵を作り出しそれを皆で力を合わせる行為は何かの団結になるのだ
いじめられないようにするには自分がいじめっ子になるといい
その原理を利用し
南波はそいつと他の生徒の家に行き全員にパイ投げをした※実際にやったら問題になります
そして毎日、同じやつをいじめるから不公平が生まれるねん!ほな、毎日違うやつをいじめてしまえばいい(自分も含む)
そしてそのいじめられっ子もいじめる側としていじめっ子や先生をいじめる事で生徒と共同体になった
結局、平和や暴力のない世界は作るのには時間がかかる 
そういった意味ではいじめをなくすは不可能な夢なのである
しかし、考え方を変えてしまえば
また状況によっては苦手な人や仲の悪い人同士の隔たりをなくす事はできるということなのだ

お前ら友達同士なら殴り合いのケンカの一つや二つやってみぃ!

南波次郎

南波は一話で退屈そうにしている生徒にあろう事が殴り合いを進める
拳と拳で本気でぶつかり合うと言うものだ
勿論、暴力しかも本気で顔面を殴り蹴るはダメだが
現代の人間関係は本気でぶつかり合う事が少ない
皆トラブルを避けたいあまりに遠慮してしまう
しかしそれが必ずしもいいことばかりでない
本気でぶつかり合えば見える本質やその人の思い、を新たに見るきっかけになり
それが強い友情や愛情に繋がるが
それを避けるあまりにぶつかれば避けるを繰り返す現代人(自分を含め)が多いので
自己満足で終わることも多い
一話と二話で起きた生徒の喧嘩は
南波はあえて生徒を叱るなどするわけでなく
生徒同士をぶつけ合わせて
騒動を解決した

(なぜ生きているのか?と言う疑問に対して)笑うためや、笑いこそ人間に唯一与えられた権利やねん!俺がお前を笑わせたるよう見とけ!

南波次郎

南波の生徒が余命あとわずかということを知る
南波はその生徒に自分の笑いを届ける
南波は「松本人志」ではない
ここまで松本の人間性を受け継いでいるようなレビューをしているが
松本と南波は別人
したがってこの男に松本人志のような「芸人の腕」はない
つまり生徒達が見ているのはお笑い素人の先生達が考えた即興漫才という事になる
つまりそれはプロの芸人から見たら身内のノリ、シンプルに漫才の下手さ、ネタの不完成さなどがある
南波も風間も自分たちがサブいことをやっている認識はあるんだろうが生徒を笑わせるために必死でしゃべくる
それはまるで人生なのだ
我々もいつか不幸になっていつか死ぬ
やりたい事がうまくいかないかもしれない
またはいつか失敗するかもしれない
しかし必死でやり切る(生きる)しかない
その中に楽しいことや生まれる笑いがある
それこそが人生というものなのだ
そしてネットの感想で書かれていたことだが
この回のエンディングにて、この生徒は亡くなったあと
普通のドラマなら幽霊として映るなどの演出があってもいいがそれがない
人の死をしっかり死として描いている
もう戻らないからこそ、彼女を笑わせるために本気で向き合った2人の思いがそこに生きてくるのだ

南波流犯罪心理論 
 ある日、学校内に爆弾魔が現れる
犯人は風間のかつての教え子であった
彼は風間に名前を覚えてもらえなかった腹いせに学校がいかに必要ない場所か生徒に暴露し
そこを爆破する計画を立てたのだ
しかし、なんとか先生達の活躍もあり
最小限の被害で犯人を逮捕する事に成功する
そして警察に連行される高部
そこへ南波が一声をかけるのだが
凡人の脚本・教師ならここで「しっかり反省しろ〜」と言うのだろうが
南波が言ったのは「お前の主張をしっかり言うんやぞ」
そして高部は必死で「俺は高野じゃない!高部だっ!!」と叫ぶのであった
僕も最初はわからなかったが
犯罪を犯す理由は正当化はできなくてもそこには、今まで受けてきた理不尽・常識の崩壊・意思半ばで犯行を犯してしまうなどの理由が考えられる
南波はなぜそいつがそこまでしてこのようなことをしてしまったのか
高部はずっと風間から名前を覚えてもらえず、高野と勘違いされ生徒に馬鹿にされ存在を蔑ろにされていた
この犯行は自分の主張を伝える為の意思半ばの行為だった
それだけの為に爆弾を使用したり大勢の生徒を監禁・強迫はあってはならないが
南波はそれだけを悪とせず
なぜ、人が犯罪に手を染めたのか?その理由を解決できればこういったことの再犯は少しでもなくなる
そう考えて高野に自分が伝えようとしたことを報道や教師達に聞かせたのではないか
と考察する

本当の南波による教師論 
 ドラマが進み重要な事がわかる
実はこの南波次郎は本当の伝説の教師ではなく木下次郎という偽物だった
木下は無免許で教卓に立ち今まで生徒にあれやこれやを教えていた
そしてこの木下を脅す借金とりの男(竹中直人演ずる浅井龍次)
コイツこそが真の南波次郎(伝説の教師)その人だった
風間はこの男に話をした
しかし浅井は言う
「この男の屁理屈は妙な説得力がある…免許もない適当な人間だがだからこそ伝わるものもあったんじゃねぇのか…」
そう、今までの核心のついた名言は全て教師でもない男のセリフだったのだ
それだけでなく僕が尊敬する松本人志・浜田雅功・ウォルトディズニー・赤塚不二夫など
成功者だがみなお酒やら遊び関係の悪い話やら問題があった話をよく聞く
これらに興味がない人からすればその話は
理解し得ない「なぜこんなことをする人たちが大物と崇めたてられるのか?」と言う疑問に繋がる
だが、だからこそ難しい説教性ではなく
気軽に彼らは人生のヒントになりうる考え方をその作品にこめて教えてくれる
その人達がタリラリラーンに生きてきたなりに学んだ経験が
我々の学びにつながることもある
そして木下は無免許の罪で学校を離れる事になるが
風間はいう
「先生になるには免許が必要なんですか?あの人はめちゃくちゃだけど僕も生徒も多くの事を教えられました。。。シェフは免許がなきゃ店を出しちゃいけないんですか?免許がなくても専門的知識やそういう人より良い仕事をする人はたくさんいる!!」
そう実際にも教師や警察、弁護士や社長などは
資格や学歴が必要だが
それを得てしても、適当な仕事・初心者以下の過ちや不祥事をする人も多くいる
そして松本さんの弁護をなさっている方は
過去にトラブルがあった方だが
その人は早くも「まずは被害者が誰なのか教えてください」のおかげで
多少なりにA子さんやB子さん達の存在の有無などを疑う声が出てきた
反対に、どれだけ資格を持っていても
そのキャリアや経歴に驕って
人の話を聞かないひとや、介護士や保育士は高齢者や子供を殺してしまうこともある

そして教師が解決できない
喧嘩・いじめ・不登校・犯罪・恋愛問題を南波は解決した
これはドラマだから〜という人は多いだろうが
これも前(遺書について語るnote)にいった通り
流石に南波のような教師にはなれなくても
南波のような考え方を持った人間になること、生きることは出来る
彼は羽があるわけでも眼からレーザーが出るわけでも、魔獣に変身できるわけでも、秘密道具を所持しているわけでもない
普通の人間である(考え方が特殊なだけ)
実際の先生が教育ルールなどで南波のようなことが出来なくても
生徒にこのドラマの存在を教える
くらいの事はできる
それだけで生徒はここから何かを学ぶ事はできる
そして教育が一般教養(国語算数理科社会)くらいなら免許がなくても理解していれば教えられるし
そしてそれが人生の学びであれば
なにも大人の聖人でなくても
たとえ子供や老人、事件の犯人やニートやホームレスでもその人が生きてきた事やそこから感じたことには
人生の学びや教訓がある(反面教師的な学びも含む)
それがこのドラマが伝えようとしていた事なんじゃないかと僕は考える

そしてこのドラマが今でも愛される事について

 若井おさむさんがこのドラマを見て自殺を考え直したように
いろんな人がこのドラマに助けられた
僕もこのドラマで描かれる哲学的学び、自殺や余命の悩みに向き合う生徒や南波達を見て自殺の考え方が変わった
僕もたまに死にたいと思う事が多々ある
この世の理不尽や不条理、うまくいけない現実に阻まれるからだ
25年もずっと
その声をあげてもうまくいかない事も多くある
わかってもらえない事も
しかし思うのは「自殺」を考えるという事はある種、その人はとても頭がいい(自殺への助長ではないのでよく聞いてください)と思う
その人は人生がいかに理不尽でこの社会が終わりに向かっているのか、人間が愚かなのかに気がつける知能があるのです
それは自分が周りより利口な証拠
そして僕らが死んだところで彼らはそれに気がつきません
そんな人たちのために果たして命を、自分自身を犠牲にする必要はあるのか?
死にたいと思う人同士が集まり、不条理に立ち向かえばその知能で世の中を変える事はできるはずです
少しずつでも

そしてこのドラマは24年も前の作品ですが
今でも名作として、この名台詞の数々も胸に響きますが
いやいやいや!待てとっ!!!
それは大いなる問題なのである
松本人志は「遺書」の中でこう述べた
何年も前の作品が今見てもおもろいのはダメである、人間の価値観がアップデートできてないってことや!!!
そう、本来これだけのことを24年前に描いていたら
そしてこのドラマもヒット作品なのは事実なので
多少なりに学校や社会の問題はこの時より変わってないとおかしいのだが
24年で良くなったどころか、よりひどくなった気もする

更に言えばこれに類似した作品「3年A組今からみなさんは人質です」
というドラマでも誹謗中傷で自殺した生徒の事件が描かれたが
この放送の数年後、誹謗中傷で多くのタレントが自殺
また不祥事を起こした芸能人に対する心無いバッシングが多く見られるようになった
本来、誹謗中傷と誹謗中傷による芸能人の自殺が多く起きる→このドラマの放送→皆考え方が変わる→事件が少なくなる
または今の状況を見て→このドラマを思い出して思いとどまるような事があってもいいはず
なのに毎日ネットには悪口が増えている
そう
要するに現代でも「伝説の教師」が名作、南波次郎の指導が名言になるのはいい事であるようで、ダメなのである!!!!

だからこの作品の円盤化や
サブスク配信を行い
少しでも現代の人にこの南波先生の教育論を、この考え方を忘れては思い出すという習慣を入れてほしいものである

最後にこのドラマの主題歌「青春」(ザハイロウズ)は
高校生の大人のような哲学的考え方あるようで最後の楽しい時を説明する言葉が時間が本当にもう本当に泊まればいいのにな、夏の匂いと君の匂いが混じり合うとドキドキするという
急な言葉足らずというか語彙力がなくなる感じが
素直な高校生っぽいような
そしてこの甲本ヒロトさんや真島さんの荒々しいけど決して不良や悪ガキではない
それは松本さんや浜田さん、中居さん、そして僕自身のような
喧嘩やらバイク暴走などのような明らかな犯罪的不良ではなく
少し捻くれてて尖った学生時代を過ごした人に刺さる歌詞や歌い方、そして曲調なので
是非一度聞いてみてほしいです


補足:松本さんは南波を演じる時、自分の嫌いだった教師を思い浮かべたそうですが
僕は松本さんや南波先生のような先生に出会いたかったです


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