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おおらかな世界

前回の「読むこと・書くこと」は、
書きっぱなし(…書いて、投稿して、任務終了になってしまっている)のお詫びをお伝えしたいと、書きました。
ぼやけてしまったかなと思い、あらためて。

私は「書くこと」をしたくてnoteを始め、
そのように使っていますが、
リズムのよい、キャッチボールのような
やり取りを大切にされている方も、いらっしゃると思います。

言い訳になりますが、
思うように「読むこと」ができず、
申し訳ない気持ちでいます。

たびたび私の言葉を読んでくださり、
よかったよと伝えてくださる方がいらっしゃいます。
そのおかげで、続けたいという気持ちになり、
ただ書いたもの、を読める形に整えるためのエネルギーをいただいています。
ありがとうございます。

これからも、気長にごゆるりとお付き合いいただけましたら、嬉しいです。

―――

前回の記事の中で、
ディスレクシアに触れました。

被災地で生活をされている方から、
本を送られても読めない、
というお声をききます。
(送(贈)られた方のお気持ちは、受け取られていると思います。)


疲れているとき、追い詰められているとき、
しんどくなることや、できなくなることが、だれにもあるはずです。
自分が切羽詰まっていることに
気付いていても、いなくても。

その、今まで通りにできない何か、は
一時的かもしれませんし、
私のように十年以上続くかもしれません。

たぶん、その何かは、
できているときは、気にもしていないことです。


何かをしんどそうにしていたり、
できなくて困っている様子を見かけたら、

その方の困難さは、ありふれた日常と地続きなものかもしれない、
と、どこかで感じられたらいいですね。


特別処置、のような位置づけではなく、
もう少しおおらかな…
お困りの方はどうぞ、
お困りのときはどうぞ、という形。

私も、あなたも、
困ったときには使えばいいのです。
その可能性は、
十分に、いえ十二分にあり得ます。

完全にできなくはないけれど、
するのがつらくなったとき、
これが厄介だな、と思います。
気合い、がんばり、やる気、踏ん張りがきかないことは、
周りからも、自分自身でも、
「怠けている」との見分けがつきにくいからです。

私は、
つらくなくできる人がいるなら、
おまかせしたらよいのでは。
つらくなってきたり、しんどく感じるときは、
そのときの自分にとってやさしい方法(楽な方法)を選べばよいのでは。

と感じています。
その“楽な方法”を社会でも用意しておくことが大事ではないかな、と。


ライターは、片手ではマッチがすれないので生まれたもの。
PASMO、Suicaなどのタッチ決済も、車椅子の方からの声で生まれた、とききました。
車椅子ユーザーの方は、改札に着いてから、カバンやポケットから切手を出します。
時間がかかってしまうことを、
当事者の方たちはしんどく感じられていて、
そのようなお声から、ピッで完了する改札へと進化したとか。

これらは、今ではだれもが当たり前のように、便利に使っていますね。


歳を重ねれば、耳は聞こえづらくなり、
目も不具合がでてくるかもしれません。

健康だけが取り柄だった父も(失礼)、
来月、緑内障の施術を受けます。
今は片目は見えていない状態です。


私は、両親がいつまでもピンピン元気ではないことを自覚してから、
大切の優先順位が変わりました。
歳を重ね、身体が弱っていくこと(ここではこの言葉を使います)は、
必ずしも悲しいこととはかぎりません。
そのときどきで
できるかぎり、過ごしやすくいられるように、と思っています。

今まで通りが一番かは、分からない。
変わることを拒否してしまうことが、
拒否させてしまうことが、
もしかすると
悲しいことなのかな、と。


いつでも絶好調の人はいません。
生まれつきでも、そうでなくても、
関係ないのだと感じます。

大丈夫。
だれかが直接助けてくれるかもしれないし、
だれかが生み出した道具が助けてくれるかもしれません。

世の中は意外とやさしいものです。

〜〜〜

いつだか(10年くらい前)、
ドジな私は、キャッシュカードを落としました。
心当たりのあるコンビニに電話すると、「届いてますよ」と。
急いで取りに行きました。
店員さんは後ろを振り向き、
電子レンジにセロハンテープで貼られたソレを、はがして渡してくれました。
ちなみに、
取りに行ったのは、落とした翌日。
名前はきかれませんでした(笑)

2024.2.21










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