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つれづれなるままに

つれづれなるまゝに、
日くらし、
硯にむかひて、
心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。

(吉田兼好『徒然草』冒頭)




今年の4月について、
つれづれとつづろう。

この1年11ヶ月の中では最も調子が悪く、救いようがなかった。

唯一の救いをあげるならば、
1年11ヶ月前は、同じくらい体調が悪かったという点かもしれない。

何ごとも、
(先が明るいかどうかは別としても、)
ずっと同じということはない。
結局のところ、
そのときどきをやり過ごしていく他ないのだ。

調子が悪いときは、たいていはひとつではなく複数の要因が絡んでいる。
そのため、それを後に生かそうとしても、
「〇〇を除けば解決!」
とは、はっきり言えない。

今回は、4月に入りクレッシェンドしていくように調子が悪くなり、
二週目から夜中に目が覚めるレベルに痛くなった。
21日、生理二日目から痛み自体はだいぶ楽。
ちなみに生理の前日は、雨の前の日だった…

「分かる、分かる、女子はつらいよね」
と、やさしいルーナは慰めてくれる。
が、犬とは違いうさぎには生理はない。

ホーホケキョッ♪

この声を聞いたのは、中旬だっただろうか…。

そんなこんなで、4月末になった。
長かった、やっとたどり着いた。

〜〜〜

ありがたくも恐ろしいもので、多くのことは、
慣れてくる。

慣らす、均す。

痛み、つらさは、消えない。
目立たないように、
気にならないように、
なじませていく。少しずつ。

もしかしたら、痛みの強さ自体は変わっていないのかもしれない。

それでも、感じにくくなってくる。自分で自分を守るために。

ダメダメな自分に慣れてきてしまって怖くなったら、
そのことがそれだけダメージのあることだったと思いたい。
私が私を守ってくれている。


困りごとが、ショートケーキにのった苺のように、
摘んで食べられちゃったらいいのにね。

〜〜〜

こういう期間は、非常に疲れやすい。
嫌な場に行ったわけでも、
いじわるされたわけでもないのに、
少しの外出でヘナヘナヘロヘロに疲れて。
もうダメだぁ〜〜〜
と、徹夜ニ日目のようになっている。
頭はクタクタのぐったりなのだが、 
体は疲れていないらしい。
それはそうだ。
困ったもんだ。

気を遣わない場所が、
家以外にもうひとつほしい。

よくばりかなぁ。

〜〜〜

4月下旬は、雨ばかり。
気圧も湿度も気温も、
ジェットコースター。
何によってこんなにも不調なのか、またしても分からない。

臨機応変に対応できないことが、一番問題なのだろう。

その上、雨雲を背負って歩く人なので、外出のタイミングで見事にどしゃぶり。
以前にも書いたが、
私ができることの中で、最も世のため人のためになる仕事は、雨乞いではないかと本気で思う。 

庭に水やりをしなくていいように、
神さまからのサービスでしょうか。

恵みの雨に困る私。
雨の日の外出は、さらに疲れる。

〜〜〜

人というのは単純なもので、必要ないことはすぐ忘れてしまう。
これはすばらしい能力だと思う。

だから、忘れないようにするのではなく、忘れても困らないようにしておけばいい。
後で必要になることは、覚えているときに残しておく。

月に一回通院しているが、
通院日当日が不調のピークに重なることはまずない。

Dr「どうですか?」

の質問に、
「う〜ん、まぁまぁです」
と答え、

「では、このまま薬は変えずに様子をみましょう」

と、3分診療ならぬ1分で終わってしまうことになる。

たとえ36時間前に死にそうだったとしても。


そのことに気がついてから、診察室にはメモしたノートを持って入る。
6、7年前位からかな。

不調を感じているそのときに、その状態に一番近い言葉で残しておく。

「肩と二の腕にコリコリしたこわばりがあって、痛かった」
とか、
「ドクンドクンと脈打つように痛くて、目が覚めた」
とか、できるだけ具体的に。

いつからいつまで、どのくらいの強さか、
そのときの天気や温度、
食欲や気分なども。

どう対応したかも残す。
〇〇の薬を飲んで効いた、または効かなかった。
ひたすらくたばっていた。(笑)
などね。
しんどかったことは覚えていても、
こういったことは、すっぽり忘れちゃうものだから。

痛みなどは、
「前回のときを10とすると、7くらい」
とか、
気分なども、
「寝ている日を1、好調の日を5とすると、平均3くらい」
など、
数字で表すと分かってもらいやすい。

できるだけモヤモヤしないで、すっきりして帰りたい。

質問したいことは遠慮しないできく。
後につかえているのは気になるけれど、私もさんざん待ったのだから。

メモを見ながらでも、必ず何かしら、伝え忘れて帰って来るけれど。

伝えるために“言葉”はある。

上手に使いたい。
相手のためにも、自分のためにも。


書き残したものを見返して話すことになるので、思い出してつらいときもあります。
具合が悪すぎて、言葉に出来ない場合もあると思います。
無理しないでくださいね。


歯医者や眼科などに行くときも、いつから症状があるかをメモしておくといいですよ。


〜〜〜


4月の27日から、“ウォーキング”をしている。
お散歩ではなく、運動としてのウォーキング。
音声の向こうの先生に、
「あと15秒、速歩きがんばって!」
と励まされてがんばっている。
私は単純なので、これだけでがんばれる。
なお、イアホンが苦手なので、ポケットから
「最後まであきらめないで!大股歩き、あと10秒!!」

大丈夫、誰も気にしない。
たぶんね。


4月が散々だったので、
熱中症にならないように、今から少しずつ。
汗をかけるようになることを目標に、
無理なく楽しくがんばります。

〜〜〜

困りごとは、笑いごとではない。
例外がひとつ。
自分の困難は、笑い話にしてもいい。


他人の日常は面白い。
他人ごとだから面白い。
それでよいのではないか。

ユーモアは、人生に必要だ。

ユーモアは、愛があるものだから。
愛もちゃんと、受け取りたい。


2024.4.21 / 22 / 26 / 5.3

逃げられない人がいる。
断れない人がいる。
話せない、言葉にできない人がいる。

大切なのは、
そういう状況の人たちがいることを、ひとりでも多くの人が知ること。

伝えられる人が、伝えていこう。
無理なくね。

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