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『海街チャチャチャ』最終回-大切な人と過ごす時間こそが人生の喜び

『海街チャチャチャ』最終回を視聴。

最終回らしく全てが順調&前向きで、癒しのドラマ『海街チャチャチャ』らしい良きラストだったと思う。

見終えた瞬間から「チャチャチャ・ロス」が始まっているけれど、エピソード16で感じたトキメキを忘れないうちに『海街チャチャチャ最終回』の感想を綴っておく。


1. 美しき海街コンジンの風景が胸に焼き付く

ガムニハルモニのお葬式から始まった最終回。

ホン班長や街の人たちを温かく見守ってきたガムニが唐突に逝ってしまった。
大きな病気をしたわけでもなく大往生なのだけど、それでも人が亡くなれば、喪失感に襲われる。
皆に愛されたガムニであればなおさらのこと。

しかし、コンジンの住民たちはお葬式とは思えないほど賑やかに、そして笑顔で宴会を楽しんでる。それがガムニの望んだお葬式であることは、ホン班長からガムニの思い出話としてへジンに語られる。


次に来る盛大な式といえば お葬式だから

みんなで笑って騒いで 楽しんで帰ってほしい


この言葉、すごく愛があると思う。

そしてガムニの最後の願いだからこそ皆、悲しみを隠して笑っているのだ。


それにしても、葬列のシーンは美しかった。
色とりどりの旗が風になびき、ケーキのようにで飾り付けられた真っ白な棺が一際目立つ。
田舎だからこその葬列なのだろうけれど、亡くなった人を送り出す儀式として、厳かで、壮大で心に残る映像だった。


ところで、お葬式とは「死者を送り出す」という意味合いはもちろん、「残された人の心の整理のため」という側面を持っている。儀式を行うことで亡くなった人が「旅立った」ことを受け入れるのだ。

そしてガムニのお葬式に集う人々を見るにつけ、また、彼女の死をそれぞれの形で受け止める姿から、人はお互いそこに存在しているだけで実は支え合っているのだと言うことを改めて。

それは、ガムニがホン班長に残した手紙にもシンプルな言葉で語られる。


どんな苦してくてもご飯は食べなきゃだめだよ

人は皆 関わり合って生きていく

(だから)一人で閉じこもらないで



彼女の素朴な言葉が心に染み入るのは、それが生きることの核心をついているからだ。


そして、こういう素朴な真実が挿入されるところがこのドラマの良きところであり、心癒されるのだなと、しみじみと。



また、同じ文脈で、ガムニの息子が親孝行を先延ばしにしたことを後悔する言葉も涙を誘う。誰にとっても自分ごととして感じ入るこのエピソードに共感し、私もまた、じんわりと泣いた。


実際のところ、歳を経るごとに「いつでも会える」というのは自分に都合のいい言い訳だと思うようになった。それは親に対してだけじゃない。
友達にだって会える時に会っておくべきなのだ。

日常に忙殺され、加えて最近はコロナの影響ですっかり人に会う機会が減ってしまった今日この頃。SNSで近況を知ることができるのでそれほど疎遠になっている感覚はないが、それでもやはり、会って、食べて飲んで、話し笑い、共に過ごす時間は大切なのだ。

そう、思い立ったら今すぐ行動しなれば。
時間は有限。だから人生は忙しい。


ガムニの死にまつわるシーンを見ながら、そんなことに想いを馳せた。


2.「柔軟性」こそがへジンの真の魅力ーユン・へジンの底力

さて、この作品で一番の変化を遂げた人物は誰か。

それはへジンだ。

エリート意識が強く、どこかで田舎を見下していたへジン。
コンジンで暮らし始めた頃はソウルで培った価値観が抜けず、海街に馴染めずにいた。
が、ホン班長との出会いによって徐々に変化を遂げていく。


さて、彼女の特徴は変化のスピードが早いこと。
間違ったことはすぐに改めるところは彼女の良き性質の一つだけど、あまりに切り替えが早く、その「サバサバさ」についていけないこともある。

でも、これはへジンの「賢さ」の象徴だと思うのだ。
それは、つまらない言い訳で時間を無駄にしない合理的思考や潔さに通ずる。

その賢さがあるからこそ、彼女は視野を広げることができた。
そしてそれは、ホン班長がコンジンを愛する気持ちを理解し、へジン自身もコンジンの良さを知り、それまで「能力が勿体ない」と理解に苦しんだホン班長の生き方(定職につかない)を受け入れることにつながる。

これは大いなる変化だ。

実際のところ、誰かと競っても意味はないし、人が羨む人生が自分が望む人生とは限らない。


そもそも、幸せの基準は人それぞれであり、その事にへジンは気がついた。

これは彼女の中で「価値観の変化」が起きたということ。

とはいえ、ホン班長が「ソウル大学経営学科卒」の秀才であることは、現実主義者の彼女にとって大事なポイント。ホン班長に「班長より上を目指せ」とけしかける野心も然りで、それはそれでへジンらしいけど。


ともあれ、彼女は愛するホン班長の心の拠り所になると決めた。
弱音を吐けないホン班長に涙を受け止められるのは、ガムニさん亡き今はへジンだけ。


「彼をひとりにしたくない 家族になってあげたいの」



この言葉は彼女の成長を如実に表している。



それにしても人から干渉されるのを嫌い心を開かなかったへジンが、傷ついているホン班長を支え、太っ腹母さんのように逞しくなっていく様は見ていて気持ちがよかった。

そもそも二人の恋をリードしてきたのは常にへジンであり、その情熱と包容力、そして突破力が彼女の強みであることは間違いない。
彼女には底力があるのだ。
それに加えて、必要とあらば、価値観さえもしなやかに変化させることのができる。その柔軟性こそが彼女の真の魅力なのだと思う。


さて、「価値観」と言えば、このドラマは「新たな価値観」を所々に散りばめている。ドラマとは社会の写し鏡でもあるので、それを如実に反映した結果なのだろう。

たとえば、主要コンジン住民の「家族の形態」は様々だ。
離婚したカップルや父子家庭、独り身も。
むしろ、夫婦親子が揃って暮らしている一般的な家族形態はボラスーパ一家のみ。コンジンでは一般社会においてのマイノリティー家庭の方が勢力が大きい。

また、女性上位のコンジンでは昔ながらの「男女の役割分担」的な発想は希薄で、男尊女卑的な価値観も皆無。プロポーズも女性からだし。
加えて、多様性という文脈でLGBTエピソードもさりげなく挿入されていれている。

そして、この「新たな価値観」体現させているのがソウルではなく、古い価値観が残る田舎町でというのが、ある意味新しく興味深い。



3.ホン班長の幸福な表情に癒された&ありがとう「海街チャチャチャ」

さて、エピソード15で過去と向き合い、気持ちを整理したホン班長がいよいよ自分自身の人生を歩き始める。

そんな折、ガムニが亡くなるという悲しい出来事も起きるが、ホン班長の隣には愛するへジンがいて彼女がしっかりと彼を支える。

おかげで、エピソード15ではほとんどみせることのなかった「ホン班長の笑顔」も、最終回では無事解禁。へジンと過ごす時間が彼を癒したのだ。



ところで、このドラマが始まった当初、「ホン班長との出会いで新しい価値観に目覚めたへジンが、新たな幸せを見つける」という流れを想像していた。

そういう側面はもちろんあるにはあるのだけれど、どちらかといえば「へジンに出会ったホン班長が、彼女の存在に助けられ幸せになっていく」というのがこのドラマの本筋なのだと思うようになった。
「頼りになる男」として存在するホン班長が他者に見せなられなかった弱さを、「頼りになる女」へジンがしっかりと支え、光のある方向へと導いていくという感じ。


また、ヒロインであるへジンを「男に守られる女」という、ロマンティックコメディにありがちな立ち位置からあえて遠ざけているのも興味深い。

とは言え、視聴者的には「守ってくれる男」の存在にはトキメキの源泉なので、そういうシーンも多数盛り込まれてはいる。しかしそれは「自立した強い女=へジン」の助っ人的な立ち位置で、守るというよりはフォローする程度に留められる。

一方で、へジンのブレない強さに支えられ、本来の自分を取り戻していくホン班長は、本当の意味で彼女に助けられている。そう考えると、この恋愛で恩恵を受けているのはどちらかと言えばホン班長なのだ。


さて、ホン班長の過去、「空白の5年間」を乗り越えた二人に待っているのは希望に溢れた未来。
Ep11-12を彷彿とさせるホン班長とへジンのイチャイチャシーンが、最終回では更にレベルアップして再現されていた(このサービスシーンにはこちらも思わずにやけてしまった)。

ともあれ、「ホン班長の辛い過去」を乗り越えた後だからこそのハッピーエンディングが心に沁み、涙、涙の最終回。何度も温かい涙が流れた。

それはホン班長とへジンの恋模様のみならず、コンジンという素朴な海街、そしてその場所で地に足をつけ生きている人々と、彼らの関係性があってこそ。

視聴後、幸せの余韻に浸りながら、共に時間を過ごすことを誓い合ったホン班長とへジンの将来を妄想しつつ、癒しドラマ「海街チャチャチャ」と共に過ごした数ヶ月に感謝するのであった。


私が運営している「ミントブログ」でも考察を書いています。
↓是非ご覧くださいませ↓


トップ画像:tvN「海街チャチャチャ」公式サイトより引用用http://program.tving.com/tvn/chachacha



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