薄荷

心理学修士の生活と意見

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  • うそのこと

    ほんとうのことはありません。

  • ほんとうのこと

    なにひとつ推敲しない日記

最近の記事

植物園

綯い交ぜになった植物の香りの中を歩いた。虫たちは勝手に暮らしていた。木のウロに触れた。葉が映す光を撫でながら歩いた。 人間の営みの中で最も有用で尊いものの一つに類似点の認識とそれによる分類があるのだと思う。何年も何百年も、幾人もの人間がそれに関わり、見つけ出し、名付け、伝えていく。 なぜ分類が必要なんだろう、とこの問いにとっさに答えられる人は少ないような気がしている。私も、答えられない。理解を促進するため、未知への不安を軽減するため。そんなところだろうか。ただ、私達は生得

    • ツレヅレ

      6 急に晴れて、それで急に夏が終わるのが怖くなったので、もう終わっているかもしれない夏の残滓を捕まえに行った。けれどもそれらはそこら中にまだ残っていてだからついふらふらと歩いてしまった。ひらべったい蜘蛛、後ろ髪で響くはためき、一秒ごとに流れる星、なくなった空、極彩色の爪をまとった花、白くそびえるはちみつの塗られた建物、四角いレモネードを食んでパンチアウト 7 自分の文章を感情分析にかけて遊んでいる。私の文章は暗いなどとよく言われる、うそ、勝手に思っているので、客観的な証左が

      • ツレヅレ

        1 引っ越してようやく落ち着いたので図書館に図書カードを作りに行く。図書館というよりかは、図書室といったほうが正しく伝わるような規模の、本当に小さな図書館だ。何しろそういう図書館だから、大抵の読みたい本は取り寄せることになる。 アニー・ディラード『ティンカー・クリークのほとりで』がずっと読みたくて、取り寄せた。すでに絶版になっていて、ネット書店でも古本が高値になっている。同著者の『本を書く』『石に話すことを教える』などはなんとか買い集めて手元にある。いつか『ティンカー・クリ

        • 軽い別れ

          根無し草のように移ろい続けている。だいたい周期は2年〜3年で大学も居住地も仕事も変わってきた。 今もそのタイミングが巡ってきたのでご多分に漏れず、家も職場も変えることにした。だんだんお別れが軽くなってしまっている気がしている。気がしているという言い方は少し卑怯かもしれない。本当は、明確に軽くなっている。そのことをなんとなく認めたくないから、不確定であろうとした。 いくつか理由は考えられて、例えば技術が発達し、またそれにアクセスできる層も広がっているのでコミュニティから離れ

        植物園

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        • うそのこと
          15本
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          9本

        記事

          私に詩は届かないけれど

          名古屋駅の中にあるひつまぶしの店で父親に会った。もう随分前のことで、7,8年前まで記憶を遡る必要がある。それが確か最後に会った父親の姿だった。 こう書くと亡くなってしまったようだけれど、おそらくまだ生きている。名古屋で会った数ヶ月ののちに両親が離婚をして、単純に会いにくくなっただけだ。会いにくくなっただけで、別に誰に会うことを禁じられているわけでもないけれど、以来一度も会っていない。もはや連絡先も、互いの住所さえわからない。 だから私がすでに大学院を修了したことや何度か転

          私に詩は届かないけれど

          声がきこえるうちに

          「人の世の歩みのちょうど半ばにあったとき」とダンテが歌ったその時から700年あまりが過ぎて、私はその声をようやく聞いている。時代を生き抜くのは、人ではなく、言葉だから、訳者という巫女を通してその声を聞くことができる。 言葉を生かすために生きる人がいて、その言葉によって生かされる人がいる。 私は誰のために、どのように言葉を使うべきなのか、使いたいのか、ここ最近よく考えている。本は人を呼ばない。言葉は人を呼ばない。それを求めない者のもとには決して、その言葉は思考は届かない。求

          声がきこえるうちに

          2020-11-15

          ミラーボールっぽい、ひかりがくるくると回る照明を買った。なんの理由もないし、意味もないし、全くの無駄遣いだったと思う。まあせいぜい意味を付けてなにかを納得させようとするなら、昨日、古い友人の誕生日だったとか(一言だけ祝いの言葉を送った)、ずっと家にいるからなんとなく変化がほしかったとか、テキトーなことを言うことはできるけれど、それ自体にも結局なんのいみもない事は知っている。 光を回らせて、チカチカと眩しくて、バカみたいだなって笑って、ひかりに酔って、電源コードを引き抜いた。

          2020-11-15

          2020.10.25

          あんまりお天気が澄んでいたので夕方からお散歩にいきました。近くに夕日のよく見える丘があって、そこに立つと自分の影が長く伸びていて、久々に自分が生きていることを目で見て感じ取ることができた気がします。多分みんな(とあえて誰しもをひっくるめて言います)、そこまで生に自覚的ではなくて、ほとんどの人は明日が来ることを疑っていないし、当たり前のように学校へ行ったり仕事をしたり食事をしたりして暮らしているのだと思います。いちいち振り返って(影を見て)、生きていることに安心なんてする必要は

          2020.10.25

          2020.10.21

          昨日の夜にオーダーした倉田悠子『エスカレーション』がもう届きました、早い。早すぎてちょっと不安になります。 『黒猫館 続・黒猫館』に続いてくりいむレモンシリーズの小説が復刊しています。これらが発売された当時、私はまだ生まれていない(はず)なので、当然知るよしもなかったのですが、数年前に『黒猫館』を知って、ずっとほしいと思っていたのです(すでに復刊された黒猫館も価格が高騰し始めています)。 それにしても登場人物が話していた理想の人が『愛と青春の旅立ち』のリチャード・ギアとは

          2020.10.21

          2020.10.20

          家にいるばかりなので、特筆すべきこともなく淡々と日々が過ぎていく。在宅勤務になって日々の濃淡、例えばそれは帰り道になんの気もなく寄っていた本屋さんであるとか、途中下車して訪れる百貨店であるとか、ギャラリーであるとか、そういったものがごく自然に毎日から失われていっているからだろうと思う。 それ故に小説や漫画とかにすがって生きているというところはある。最近はコトヤマ『よふかしのうた』などを読んだりしている。漫画。いつだって夜は憧れだった。これを読みながら、家の屋根に登ってひたす

          2020.10.20

          2020.10.19

          昨日の夜から体がだるくて、これは明日もだるいだろうなと思っていたら、思っていたとおりになったので、会社を休むことにする。午前中だけだけれど。 体調が良くないときに見る夢はいつも不穏だ。その詳細は覚えていないのに、不安とか怖いとか、辛いとか寂しいとか、そういう感情だけを残していく。記憶に結びついていないから余計に理不尽。 寝ていると死妖姫がいつの間にか隣に横たわり、私の顔をじっと見てる。私がそれに気がつくと、ぬるっとベッドの下へと潜り込んでいく。彼女の顔はよく覚えていないけ

          2020.10.19

          2020.10.18

          海外の映像を写した映像などをYoutubeでみている。似たり似てなかったりする価値観で世界を眺めるのは楽しい、本当は自分でいろいろ見たいけれど今しばらくは映像で我慢。そうとはいっても、現地の、市井の人が映像を全世界に共有できるって改めてすごいですね。遠くの国のどこともわからない道端にある落書きを日本にいながらに見れるって、すごく不思議。

          2020.10.18

          2020.10.17

          初めて荻窪に行きました。特に目的はなかったけれど、仕事が忙しいことに加えて家からも出ていなかったから気が塞いでしまいそうで、気楽に行けるところ、くらいの気持ちで。 駅からでると、ルミネの地下入り口に行列ができていて、なんだろうと思ったら検温と消毒の行列でした。ところで荻窪はすごいですね、駅からでなくても、無印にも西友にもルミネにもいけちゃう。ユニクロとかFrancfrancもあるし生活が駅だけで完結するじゃないですか、と驚く地方出身者。 古くなっていたバスタオルを新調した

          2020.10.17

          三世の書、自由意志について

          未来を知ることは自由意志を持つことと両立しない。選択の自由を行使することをわたしに可能とするものは、未来を知ることをわたしに不可能とするものでもある。 逆に、未来を知っているいま、その未来に反する行動は、自分の知っていることを他者に語ることも含めて、わたしはけっしてしないだろう。 (テッド・チャン「あなたの人生の物語」『あなたの人生の物語』公手成幸訳 ハヤカワ文庫) 一貫して、そしてそれは経験則として、「自由意志はあるのだ」という立場でこの物語は展開される。自由意志があるの

          三世の書、自由意志について

          桜の木の上半分

          今住んでいるところは3階で、この建物の最上階。目の前には同じ高さの建物があって、だから、視界に入ってくるのは目の前の建物の屋上と、その向こうに育っている桜の木の上半分。 家のことを描写しようと思うと、何を書いて、そうして何を書かないか、そんなことを思ってタイプする指が止まる。例えば、共用スペースの様子を書く人もいるだろうし、その住宅に住む隣人について言及することだってあり得る。陽当りについて書くかもしれないし、間取りについて書くかもしれない。はたまたキッチンだけを強調して書

          桜の木の上半分

          手続きによって失われる記憶

          春らしい、川を渡る吹く風は少し埃っぽくて、陽のひかりが滲んで見える、なんだかひかりを浴びるだけで生きていることが肯定されるような気分になるような日に、突然文字が理解できなくなった。 さっきまで当たり前のようにひかりを浴びて本を読んでいたのに、前触れもなく、言葉が頭を上滑りしていく。どうして言葉が理解できるのかわからなくなってしまって、頭が混乱する。どうして、さっきまであんなに晴れていたのに。読んでいた本はマクニールの『世界史』で序盤も序盤、最初の文明を人々が気付き上げようと

          手続きによって失われる記憶