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演劇教育の必要性

 仕事に求められる最初に重要な要素は「コミュニケーション能力」です。コミュニケーション能力とは、「話がこじれた時に、それでも何とかやっていける能力」のことです。お互いが真剣になればなるほど、ものごとはもめます。誰かの真剣は誰かの迷惑になります。
 かつて、空き地で子供たちが毎日、みんなで遊んでいたときは、そこでぶつかり、笑い、怒り、くっついたり、離れたりしていました。子供たちは、集団で遊ぶことで「コミュニケーション能力」を学んだのです。
 誰かの真剣は誰かの迷惑になります。どんな遊びを、どんな風に、どんな組み分けと配置でやるのか、真剣になればなるほどぶつかり合い、それを調整し、落としどころを見つけることが「コミュニケーション能力」なのです。
 しかし、今、空き地で遊ぶ子供たちは消えました。子供たちは忙しく、塾や習い事に行きます。遊ぶときも、それぞれが好きなことをして時間をつぶします。友達の家に集まっても、ゲーム機で遊ぶ子供、漫画を読む子供、スマホで動画を見る子供、ただ話す子供と各々好きなことをして時間をつぶします。
 大人も同じです。昔は、ビジネスマンは、無条件で部下を飲み会に連れ出し、そこで延々と会話が続きました。人間関係がそもそも濃密だったのです。しかし、今は、強引な飲み会はパワハラになり、それぞれが自分の時間を大切にしたいと思うようになりました。
 はっきりしていることは、大人も子供もコミュニケーション能力を磨くことなく、スマホによって希薄な人間関係の中に放り込まれているということです。仕事もまた、誰かの真剣は誰かの迷惑に、さらには誰かの損失につながります。どうしても、コミュニケートしなければならないことはたくさんあります。しかし、その方法がよくわからないのです。圧倒的な経験不足です。
 演劇は議論することで作られてゆくものです。それぞれが真剣になれば、要求を語るようになり、それは誰かの迷惑になります。お互いが主張をぶつけます。演劇系の学生は、コミュニケーション能力を鍛えられるのです。声がよく通って、人間関係のトラブルに強く、もめても何とか処理します。これらは全部、演劇の現場で必要に迫られて磨かれたスキルだからです。
 演劇はライブですから間違います。大切なことは、間違った後、どう立ち直るかです。人生は0か100じゃない、68とか46で生きていくものです。人間は間違うもので、そこからどう立ち直るか、踏ん張るかを教えてくれるのはライブである演劇の優れて教育的な特徴なのです。
 「コミュニケーション能力」を育てるには、「演劇教育」が必要な時代に来ています。スマホによって、知識を得ることはますます簡単になっています。だからこそ、教育の目的は、知識の獲得ではなく、思考することの習熟です。心と魂に触れることによって、人は深く思考するのです。例えば、「うるさい」という相手の言葉をただ文章で読むことと、登場人物として相手から言われることは、実感として全然違います。また、セリフがない部分をアドリブで足していくことで、登場人物への理解は間違いなく深まります。
 演劇を続けていくと、人が話す言葉に敏感になります。欧米の演劇手法に「シアターゲーム」というものがあります。「毎日飲まなくても」「初対面の緊張をほぐし」「自己表現にもつながる」「様々なコミュニケーション能力を高める」ための「楽しみながら」やる手法です。海外では「生きる練習」と言われ、学校の授業でも実践されている「演劇教育」ですが、日本でも小中高の授業で「シアターゲーム」から始まる演劇教育を取り入れることでコミュニケーション能力を育て、子供たちの息苦しさを解消することにつなげることができるのではないでしょうか。

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