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石けんの香り

ある時、日本でも売り場を増やしている北欧の高級香水店で「こちらはムスク調の香りです」と説明を受けたので、「ムスクってどんな香りですか?」と尋ねた。

ムスク(麝香=じゃこう)はジャコウジカからとれる香料で、一般的に甘くパウダリーな香りと形容される。ムスクそのものの香りは天然と合成、両方をかいだことがあるのだが、いずれもはっきりと香りを感じることできなかった。すごく有名な香りなのに、感覚的に捉えることができない。それでこんな質問をしたのだった。
すると二十代の女性店員が「まあ、よくある石鹸の香りですね」とったので衝撃をうけた。

石けんは油脂と水酸化ナトリウムなどのアルカリ成分から作られ、石けんそのものには香りがない。香料として添加されるムスクが、翻ってムスクそのものの香りの形容に使われていることに驚きだった。

一瓶2万円以上する自社製品について店員が「よくある香り」と口にしていたこともショックだったが、それ以来「そうか石鹸の香りか」と思うようにもなった。それを思えば分かりやすい例えだったといえる。会社のマニュアルか何かにそう言えと書いてあったのだろうか。

このことがあってから石けんは数あれど、石けんの香りと言われれば「あんな感じ」と、みんなが何となく思い浮かべることができるってすごいな、と思うようになった。


調香師が複数の香料を混合して作る香りには、身に着ける香り(香水)「ファインフレグランス」と、洗剤や石けんなどの日用品に添加する「機能性フレグランス」に大きく二分される。一般的に調香師と聞いて思い浮かべるのは香水を作る人のことで、調香のなかでも花形である。もともとどちらも裏方の職業であるが、最近では差別化のために、特に高級フレグランスやブランドで、有名調香師の名前を前面に出して売り出しているものも多い。

「機能性フレグランス」にあてはまる石けんや洗剤の香りは、自社の研究員である調香師、もしくは香料メーカーなどに外注して作られていると思うが、彼らが香りの作者として表に出てくることはまずない。しかしこれらはロングランの製品が多く、ものによっては親、子、孫と世代を経て使われている場合もある。われわれの暮らしの身近なところで心地よさをあたえ、かつ長く使ってもじゃまにならない、そんな香りを設計した人というのはすごいな、と改めて感心する。

私にとって石けんといえば、子供の頃、家で使用していた牛乳石鹸の青箱で、今でも自分で買っている。
昔から青箱と赤箱の違いがよくわからなかったが、調べてみると青はジャスミン調、赤はローズ調の香りらしい。そういわれても、すぐ香りが浮かんでこない、それくらい控えめな香りだ。では香りそのものに個性がないのかというと、箱をあけるたびにいい匂いだなと思っているから、そうでもない。この距離感が絶妙なのだと、今更ながら思う。


これまで牛乳石鹸一筋だったが、そういえば花王の「ホワイト」という石けんも昔からあるよな、と思い店頭で手にとってみた。

鼻を近づけると、慣れ親しんだ銭湯の情景が浮かんできた。
ホワイトは清潔好きな日本人にあった香りを追求したそうだ。

こうしてみると、我々の日常は色々な人の功労でなりたっているのだなと気付かされる。名前は表にでないけど、みなに愛される香りをつくったのはどんな人たちだったのだろうと、ワクワクしながら思い描いてみる。


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