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【調香師の横顔】 Suzy Le Helley

2024年4月17日に、Acne Studiosより同ブランド初となる香水が仏の高級香水メゾン、フレデリック マルとのコラボレーションにより発売された。

調香を担当したのは仏シムライズ社のSuzy Le Helley スージー・ル・ハレ(32)。VOGUE Japanの記事によれば、フレデリック マルへの最少年での起用となる。

私は偶然にも2023年9月にパリでスージーと面会する機会があった。
彼女は香料の原料となる植物の産地を世界各地にたずね、インスタグラムに数々の美しい風景写真とともにアップしていた。
画面から伝わる自然へのまなざし、繊細な美意識に魅了されていた私は、「香りを巡る旅」の第1回フランス調査の際してコンタクトをとり、彼女から話を聞く幸運にめぐまれた。

正式なインタビューではなく、お酒をのみながらのカジュアルなやりとりであったが、本記事では回想エッセイの形式で、才能あふれる彼女の人間的な魅力を紹介する。


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南仏からの夜行列車でパリに着いた朝、スージーから連絡があった。
フランス渡航前にインスタグラム宛てにメッセージを送り、パリでの面会の了承を得ていたが、そこから連絡が途切れ「もしかしたら今回は会えないかも」と思っていた矢先だった。

新製品発売や携わったプロジェクトの発表が重なって、多忙を極めていたようだったが、最終的に会う決断をしてくれた彼女の対応は早かった。

金曜の夕方、私はパリ市北に隣接するクリシーのバーの前で待っていた。彼女の職場がすぐ近くにあるらしい。しばらくすると、仕事帰りの小柄な女性がやってきた。普段からインスタを見ていたせいか、なぜか初めて会った気がしなかった。でもこの感じのよさが、なんといっても彼女の最大の魅力なのだ。

彼女は連絡が直前になったこと、郊外まで出向いてくれたことを詫びてくれたが、「こちらこそ忙しいのに、個人の申し出を受け入れてくれてありがとう」とすぐさま返した。「できるだけ多くの人に返信するよう努力しているけど、なかなか全部には…」と前置きしつつ、自身もいち個人として各地の生産者へコンタクトをとることがあるのだと教えてくれた。

彼女は香りの産地を求めコスタリカ、マダガスカル、カナダなどで農園等を訪れていたが、その多くが休暇を利用した個人的な訪問であることを初めて知った。

スージー・ル・ハレはフランス南西部の自然豊かな環境で育った。両親はそれぞれ仕事を持っていたが、家庭菜園で農業を営んでおり、いつも身近なところに植物や自然があった。
幼い頃好きだった遊びは料理のレシピ当て。できあがった料理を口にして、材料を一つ一つ言い当てていく。感覚器の鋭さはこの頃から発揮されていたということか。

調香師を目指したきっかけは、高校の化学の授業。最初の授業で教師が化学が社会にどう用いられているか、化学を専攻して就ける職業などを一通り説明してくれた。
「その時、調香師こそが私の目指す道だと直感したの。私は自然が大好きだったし、同時に数学や化学も得意だったから」と。

調香の学校を卒業後、香料大手のシムライズ社にインターンで入り、そのまま独シムライズ社で4年間、調香師としてのトレーニングを開始する。
その後2018年仏シムライズ社に配属され、マダガスカルでの原料調達に携わったほか、モーリス・ルーセル、アニック・メナードの元で調香を学ぶ。

「モーリスは優しい祖父のような感じ。いつも温かく見守ってくれる。アニックは求めるもののレベルが高く、もっともっとと背中を押してくれる」

恥ずかしながらこの時、両名を知らずにふんふんと話を聞いていたのだが、帰国して調べてみるとどちらもレジェンド級の大物であることがわかって驚愕した。
アニックはブルガリ「ブラック」、ル ラボの「ガイアック10東京」など、モーリスはフレデリック マル「ムスク ラバージュ」、ルラボ「ラブダナム18」などをそれぞれ調香している。

色々なところで調香師になれる人はほんの一握り、その中でも香水の調香を担当できる者は更に少ないと言われているが、目の前にいるのはパズルのピースを一つずつ確実に埋めている人、輝かしい未来への階段を駆け上っている姿が見えた。


彼女の話を聞けば聞くほど、調香師になるべく生を受けたように思えてならなかった。ただ才や能力があまりにも自然に備わっているため、その語り口はまるでありふれた話をする人のようだ。
彼女の言葉や表情には香りや自然、原料への愛や情熱があふれているが、トーンはどちらかというとフラットで、その淡々とした調子で巨匠らに可愛がられもすれば、無名の外国人(私のこと)の求めにも応じもするのだろう。

ところで彼女と会ったのは夏のバカンス時期があけてすぐの頃だったが、彼女は休暇中、同僚の招きでポルトガルを訪れていた。

その同僚とは彼女のアシスタントを務める年配の女性で、最初の出会いはスージーが新人だった頃に遡る。この女性はとあるベテラン調香師の下で長く働いていたのだが、その人物が定年退職し、入れ替わりで入ってきたのがスージーだった。
彼女が着任した頃、その女性はかつての相棒調香師を懐かしんで日々涙にくれていた。新しい環境にもまだ慣れていないのに、毎日目を真っ赤に腫らした女性を横目に仕事をしなければならず大変気まずい思いをしたが、次第に彼女は打ち解け、あるときスージーにこう言った。「決めたわ、私あなたのアシスタントになる」。思いもよらぬ宣言に、彼女はいとも冷静に返した。「ええ、でも私はドイツに行くことが決まっているのよ」。数年後、パリに戻ることになったスージーは彼女に連絡をいれ、今の関係に落ちつている。

スージーは何かを大袈裟に表現したり、溢れるエネルギーを周りにふりまくタイプではない。その代わり、全人類、いや全宇宙の存在全てに対して公平なフランクさがある。ハートの底がじんわりと温かくて心地いい、そんな人物なのだ。この同僚女性もスージーの温かさに触れ、その魅力と共に将来性を直感したのではないだろうか。


職場での一日を尋ねると、彼女の朝は早い。
朝8時頃には出社して、自分のためのクリエイティブな実験をしたり、アイディアを整理したりする。
9時半に始業すると忙しい一日の始まりだ。会議やクライアントとのやりとり、急な変更や修正を求められれば対応にあたる。同僚たちとの関係は良好で、時には一緒にお昼を食べることもある。嗅覚を守るために控えている食べ物や習慣は特になく、他の人たちと同じように飲んだり食べたりして生活している。

朝、人気の少ない職場で、静かに色々な香料を試しながら、ノートをつけている姿を想像すると、素敵だな、と思う。

彼女が香りの歴史に描いていく新しいページを、これからも楽しみにしている。


参考:スージー・ル・ハレが調香した香り
- BOSS BOTTLED ELIXIR| Hugo Boss (アニック・メナードとの共作)
- Souchong journey| ÉDIT(h)

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