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Lycian Way #6 ~いきなりカウチサーフィン~



ホーリーアロー

9月20日 Lycian Wayを歩き始めて5日目。
この5日目にはウルデニズで体調を崩し、ホテル療養した日はカウントしていない。
純粋に活動した日である。
時刻は7:30。
モバイルバッテリーの充電を進めながら荷造りをする。
本日は22㎞先の野営地を目指す。
アップダウンの少ない平坦な道歩きがメインになる。
道中では2か所ほど遺跡を観光する。
さながら安息日の様だ。
朝食のエナジーバーを喉の奥に放り込み、キャンプ場を後にした。

出発の朝
砂埃を防ぐのに優秀なバフ
ひたすらまっすぐな道。

昼食休憩も含め、歩き始めてから7時間ほど経った。
あいにくの暑さではあるが、アップダウンの少ない道を歩いているせいか体の疲労は少ない。
2か所目の遺跡を後にし、車通りの少ないまっすぐな道に入った。
調子よく歩いていると、アスファルトの道のど真ん中で野良犬らが堂々と寝ているのを発見。
「最悪だ…」
自分の家かのようにくつろいでいる。
3頭の犬だ。
今回の旅でさんざん野良犬や飼い犬に吠えられてきたため、彼らの睡眠の邪魔でもしようものなら恐ろしい未来が待っている。
そう思った。
吐息一つ漏らさぬよう、道路の端を慎重に歩く。
「そろり…そろり…」
万が一、僕の迎撃範囲内に侵入しようものなら、いつでも撃ち落とせるようにトレッキングポールを体の前に構える。
その様は歌舞伎役者さながらだ。
「そろり…そろり…」

しかし、一匹の犬が僕の姿を認識した。
「ワン!ワンワンワン!!!」
すると猛烈な勢いで距離を縮めてきた。
その声に呼応し、他の犬も目覚め吠え出す。
トレッキングポールと犬との距離を一定に保ちながらじわじわ進む。
睡眠の邪魔をしたせいか、一歩も引きさがってくれない犬。
今までの犬は自分の威嚇で敵が恐れおののいたと分かればすぐに足を止め、その場で敵の姿が見えなくなるまで吠え続けるだけなのだが、今回はしぶとい。
一向に足を止めてくれる気配はない。

すると、前方から一台のバイクがこちらに向かって来ていることに気づいた。
心の中で、
「よし!こっちこっちこっち!このまま俺のギリギリを通過して犬を蹴散らしてくれ!」そう願った。
バイクには二人乗りの兄ちゃんの姿。
こちらとの距離も縮まり、お互いの顔の表情が分かる距離になった。
僕は目の端で犬の動向を追いながらも、お兄さんに「助けてくれ!」のアイコンタクトを取る。
その願いがお兄さんに伝わったのか、野良犬に絡まれているかわいそうな日本人を助けるためか、僕と犬の間を見事に通過。
それはさながらアニメの一コマであった。
「やばい、やられる!」と思ったタイミングで「待たせたな!」というセリフを吐き、救いの一撃を繰り出す仲間陣営、あるいは第三勢力そのものであった。
今回の攻撃に名前を付けるなら、”ホーリーアロー”である。
実際は白い原付バイクであるが、僕の目には聖なる矢に見えて仕方なかった。

”ホーリーアロー”の介入で、
犬は慌てふためき、くるりとターンを決め、道路の中央に戻る。
僕はその隙に犬との距離を稼ぐ。
すぐに犬が吠え出すも、僕は体をまっすぐ進行方向に向けて足早にアスファルトを蹴る。
犬の顔を見たらまた襲ってくる可能性があったからだ。
聴覚を研ぎ澄ぎすます。
次第に犬の声は遠く細くなっていった。

僕は間一髪でバイク乗りのお兄さんに助けられた。
あのバイクが通らなければ、僕がポールで犬の頭部を引っぱたくか、犬が僕
に嚙みつくか、どちらも良くないことが起こっただろう。
ホーリーアローの介入が、一人の男と一匹の犬を救ったのであった。

ホーリーアローを受けた後も吠え続ける犬。


ゴミ捨て場の出会い

犬との鬼気迫る死闘を繰り広げた翌朝のことである。
僕は目的の野営地で夜を明かし、そこで葡萄を取りに来たおばあさんのお手伝いをしていた。
昨日の死闘が嘘かのような、のほほんとした朝を送っていた。
また、お手伝いのお礼に葡萄もいただき、朝から活力に満ちていた。

甘くて美味しかった。
蔦を引っ張り房を回収する。

本日は23㎞先のパタラビーチを目指す。
昨日出発したパタラビーチの東側だ。
パタラビーチを海沿いに歩けば一直線で目的地に着けるのだが、Lycian Wayはそうさせてくれない。
しかし、このルートを歩かなければ出会えなかった人達がいたのも事実である。

8時に野営地を出発してから1時間後、≺Üzümıü≻と言う小さな町に着いた。
そこでたまたま大きなゴミ袋を持った男性と出会った。
彼の名はバトゥ。
彼はいきなり「水でもいるか?」と言う。
僕は「すぐ近くのマーケットに飲み物があるから大丈夫。」と言うと、彼は「まぁとりあえず家で休んできなよ!」と言う。
僕は何となく付いていっても大丈夫な気がしたので、彼の家に向かうことにした。
鉄格子の門に綺麗な石畳の庭、プールまで付いていた。
凄く立派な家だ。
僕「君の家なのかい?」
バトゥ「いいや、仲間と借りて2週間滞在しているだけさ。」
そういうと、家の中から見た目も出身も違う5人の男女が出てきた。
そのひとりから、ジュースとフルーツを貰った。

恐らく桃だろう。

話を聞くと、どうやらカウチサーフィンで集まったグループらしい。
カウチサーフィンとは、世界中の旅行者にホストが無料で宿泊場所を提供し、そのホストの元で交流を楽しむというものである。
バトゥはこのグループのホストである。
今回はこの家を皆で借りているらしい。
早速バトゥは、「もしよかったら、一緒に海やリュキアの遺跡、ご飯を食べに行かないか?もちろん今日は家に泊まってもいいよ!シャワーもあるし洗濯機もあるよ!」と言う。
ものすごい条件だ。
昨日はシャワーも入っていないし、洗濯機なんてトルコに来てから一回も使っていない。
これほどの好条件なんてそうそうないと思った。
それに、絶対楽しい!
僕は彼らと一日行動を共にすることにした。
メンバーはバトゥ含め全員で6名。
バトゥ、アイラ、アナ、レナ、マリーナ、ベリケェ。
バトゥはこのグループのホストでドレットヘアのトルコ人。
家はイスタンブールにある。
アイラはバトゥのお母さん。
アナ、レナは二人とも20代前半のロシア人。
マリーナはオーストリア出身の高身長女性。
カミーノ巡礼路も歩いたという。
ベリケェはダンディなトルコ人。

1日の流れはこうだ。
リュキア人の博物館→ビーチで海水浴→遺跡→美味しい魚料理を食べる→帰宅。
早速、車を走らせ博物館へ向かう。

車内の様子。愉快である。
途中で休憩。

休憩をはさみつつ、移動すること1時間。
リュキア人の博物館に着いた。
ここでLycian Wayの地図を見ると、およそハーフポイントであることが分かった。
すさまじい速さだ。
2週間かけて歩く距離を、1時間足らずで移動してしまうのだから。
僕はこの博物館の感動より、車という偉大な発明品に心を打たれた。
博物館の展示品に書かれた説明は、正直英語が難しすぎて何て書いてあるのか分からなかった。

博物館の後はお待ちかねの海水浴。
海は透明度が高く、海の底まで太陽の光が差し込んでいる。
海に入って少し進むと、いきなり深くなった。
僕はやばい!と思ってすぐに引き返す。
何を隠そう僕は泳ぎが得意ではないのだ。

ここに来る道中、「これから向かう海は少し深いよ!飛び込みポイントもある!」という話をしていた。
僕は泳ぎが得意じゃないという話もしていた為、浮き輪が売っている場所を皆で探しながらビーチに向かっていた。
しかし、浮き輪が見つけられずビーチに着いた。

そんな経緯もあってか、レナが僕に泳ぎの指導をしてくれた。
それでほんのちょっと息継ぎが出来るようになったが、この先の深いポイントに進むにはまだ不安があった。
なので僕は「先に行っててくれ!行けそうになったら行く!」という絶対行かない人のセリフを吐いて浅瀬でぷかぷか浮かんでいた。
しかし、しばらくすると先に行ったはずのレナがこっちに向かってくるのが見えた。
なんと彼女は、ベット型の浮き輪をビート板のように両手に抱えて戻ってきたのだ。
「あそこのお兄さんが貸してくれた!これで先に行こう!」と言う。
お兄さんたちはもう一台の浮き輪に揺られながら、こちらに向かって笑顔で手を振っている。
僕は早速、浮き輪をビート板代わりに使い、みんなの元へ向かった。
みんなの元に着くと、すでに高さ5~10mほど岩壁の上から海に飛び込んでおりテンションMax。
そして僕も岩壁をよじ登り、勢い良く岩壁を飛び出す。
岩壁から飛び出した体は2秒ほど宙を舞い、すぐに母なる地球の羊水に抱かれる。
「バシャーン!ゴボゴボゴボ…」
海面に顔を出すと、次の飛び込み者がすでにセッティングをしている。
僕がその場から捌けると、次から次へとその飛び込みループが繰り返された。
そんな時間を15分ほど過ごし、体の冷えてきたタイミングでビーチに戻る。
帰り際には、浮き輪ベットの上に乗った僕を女性二人が引っ張るというなんとも情けない光景が地中海で晒してしまった。

絵になるベリケェ
小魚も泳いでいた。

途中のカフェで少し休憩を取り、次は遺跡に向かった。
そしてこの遺跡でも、飛び込むことになった。

カフェでの一枚。
キンキンに冷えた川。
綺麗な川
日本の寺のような建物
飛び込みスポット

体も動かし、皆のお腹が空いてきたタイミングでバトゥおすすめの海鮮料理を食べに向かった。
魚の名前や、料理の名前も忘れてしまったが、久しぶりに食べた魚の味は格別であった。

トルココーヒー占い。

腹いっぱい食事を食べたら後は帰宅するだけ。
帰り道は美しい夕焼けに染められた。
太陽が淡々と一切の情けも見せずに去っていく姿を見て、少し悲しい気持ちになった。

バトゥ
アナ

グループの滞在先に着いたのは、日の暮れた頃だった。
家に着いてからは各々の時間を少しだけ過ごし、外のテラスに集合した。
僕はメインのカロリー源であるドリトスをつまみに持って行った。
バトゥは「これが彼のメインの食事らしい!ハイカロリーで軽い!賢いね!」と言う横でベリケェ、マリーナは「まじかよ…」と少し引いていた。
そこでお酒やナッツ、引かれたドリトスをつまみに語らった。
あいにく語らえるほどの英語力は持っていなかった為、Google先生の力をお借りした。
お互いの国の気になることを質問しあった。
ここには書けないようなこともあったが。
 アナ「日本人は肌が雪のように白いね。」
 僕「最近は化粧をする男性も増えているよ。」
 バトゥ「僕の出会った日本人の旅人皆、肌が黒かったよ。」
 僕「旅人は皆肌が黒い。それは僕みたいに日焼けしているだけだよ。」
 僕はタンクトップの僅かな袖を捲って見せた。
 皆「ワーオ…」
ナルトで言う ”白ゼツ黒ゼツ” 状態だ。
昼間ビーチで見ていたはずなのに改めて驚いていた。
僕はフェティエで感じた疑問を聞いてみた。
「ゴミ箱は多いのに、街に散らかったゴミの量も多いのは何故なんだ?日本の方がゴミ箱が少なく、散らかったゴミの量も少ない。もちろん日本にもゴミは落ちているし、日本ほど綺麗な国も少ないだろうけど。」
バトゥは、少し痛いところを突かれたかのように笑ってこう答えた。
「ここ数年で街に散らかるゴミの量が問題になって、ゴミ箱の数が増えた。しかし、僕の親世代の人は平気でゴミを路上に捨ててきた。その姿を見て育った子供もまたそうする。多分、ごみ箱が増えたとて根本的な思考が変わらないから問題は解決しないのかも。」と。
たしかに、いくら生活が豊かになる便利な物が増えたとしても、その使い方を知らなかったら何も変わらない。
結局は、使い方を教えなければ無意味ということになる。
「ゴミを捨てる場所はゴミ箱です!」という教育を広めなければ根本的に路上のゴミが減ることはない。
今を生きる若者が、使い方を教える世代になってくれることを祈る。

そして、演奏タイム。
僕のギターを陽気に引っ張りだしてきたのはバトゥだ。
僕は、安定の「ダディーダーリン」、「サヨナラcolor」を演奏した。
皆で、「カントリロード」やトルコの歌も歌った。
僕たちの声はトルコの夜空に吸い込まれていった。

ギターを弾くベリケェ

翌朝、僕が目覚めると既に皆は活動し始めていた。
リビングのソファで寝させてもらった僕は、その物音で目覚めたのだ。
バトゥは「おはよう。よく眠れたか?ヨガするか?」と自然な流れでヨガを誘ってきた。
僕は何でも経験したい主義の為、快諾。
先生はマリーナ。
バトゥ、アナ、僕の三人が受講生だ。
犬の邪魔もあったが、本格的なヨガ体験ができた。

その間にレナは朝食のパンケーキを作ってくれていた。
ヨガチームも合流し、朝食を作る。
僕の仕事はテラスにあるブドウ狩り。
そして豪華の朝食の時間。
皆との最後の時を過ごした。

バトゥの左胸に「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」のタトゥーが入っていた。

朝食を済ませ、アナ、レナ、アイラとお別れのハグを済ませた。
ベリケェは友人の結婚式のため朝方出発していた。
バトゥとマリーナは僕とLycian Wayを少し歩いてくれるというので一緒に出発した。
マリーナはカミーノ巡礼者の脚力で余裕の表情。
バトゥもそれに続く。
約10kmほど歩きお別れ。
二人はヒッチハイクで自分たちの家に戻った。
最後にバトゥは「君は英語があまり得意じゃないと言っていたけど十分だ。英語は使えば使うほどもっと上手くなるから安心しろ。」そう言ってくれた。
僕は山の尾根を歩きながら、アスファルトの道を下る二人の帰路を見守った。

最後の瞬間。

ゴミ捨て場でのひょんな出会いから、はちみつのようにコクのある濃密な時間を過ごした。
バトゥは大きなゴミ袋を捨てに行ったのに、それ以上に大きい人間を拾ってきたのだ。
ゴミ捨て場の女神は僕を差し出した。
いつだってギブアンドテイクなのかもしれない。
僕は「一期二会」を願いながら、次のキャンプ場へ向かった。




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