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『うん十夜』

第一夜

 こんな○○○が出た。
 腕組みをしてそこに腰掛けていると、自分の尻の奥の方から声がする。「もう出ます」と声がする。それならば出たらよかろうと声を掛けると、果たしてそれは出てきた。
 割合に固めだが、大きさはそれほどでもない。色や形などは自分の位置からはよく見えない。しかしわざわざ確認しようとも思わない。ただ水の溜まったあたりでゆらゆら漂っているらしい気配はある。
「まだ出ます」
 その水の底から、また声がする。
「お前はもう出ているじゃないか」
 その声は自分の腹の底からしているわけではなかった。水の底だ。やっぱりさっきの奴に相違ない。そうすると、やっぱりもう出ているのだから、これ以上そこから出るという道理はない。
「しかし出るのです」
「いや出ない。お前はもうそこにいる」
「では百年待ってください」 
 百年待つとはどういうことなのだろう。百年待つとどうなる。百年ここで待っていればいいのなら、朝になって気のすすまない勤め先に出る必要もない。また新しい職を探す必要もない。これは願ったり叶ったりではないかと思う心もある一方、やはり百年待つということが分からない。
 その百年——。
 自分のいる個室を隔てる壁は年月の経過によって崩れ落ち、この個室を有する建物自体、百年を何事もなくやり過ごすようには思われぬ。すると自分はすっかりむき出しに、廃墟の隙間に放り出される。そこに腰掛け、ひとり呆けたままで。
「百年待って」
 やがて朝焼けと夕焼けとの隙間がなくなり、夜と昼との区別も不明瞭だ。その間に誰か声を掛けてきた気もしたが、じっと黙って待っていた。だから返事もしなかった。灰色で、モノクロームじみた景色が視界一面に横たわっている。
 そこで、ようやく気がついた。
「……百年はもう来ていたんだね?」
 俯いて、股の間を覗き込んで問いかけた。頼むから返事をして欲しい。そこは暗がりになって、なにも見えないのがいまさら不安だ。
「百年は、もう来ているのだ」
 出るのなら、もうすぐにでも出てもらいたい。さもないと、

第二夜

 こんな○○○が出た。
 バベルの図書館。ボルヘスが言った通り、そこにはこの世界に存在する可能性のある、すべての本が用意されている。まだ書かれてもおらず、もちろん出版される予定もない自分の本もそこにあるのだ。
 螺旋状の階段を少しだけ昇ったところにある書庫。その一角に居座る○○○は、どういうわけかやたらに偉ぶった態度で、それが気に食わぬ。
 彼は私が書いた作品、または今後書かれるはずの作品をぱらぱらと読み飛ばして、もっともらしい批評を加えていく。頼んでもいないのに。
「ところで君のこれは、この作品によく似ているね。この作家からの影響があからさまにうかがえる」
 彼は手元にある本を示して言った。有名なその作家のことはもちろん知っているし、作品をいくつか読んだこともあるのだが、自分ではとくに影響を受けている自覚はない。しかし無意識の部分で影響があると言われれば、そのように考えられなくもない。
 そういうわけで自分の作品の固有性に疑いを抱き出して、気分が落ち着かない。一方的にこちらを批評する視線が、彼から自分に注がれている。
「でも、こんな文体は、君には向いていない」
 まるで私の全存在、全履歴を否定されたような気になってくる。とくに最近の自分には被害妄想がつよく出ている。たまらなく口惜しい。その圧迫に対して抗うような作用で、今度は怒りがわいてくる。
「あの作家だから成り立つものだよ。身の程をわきまえた方がいい」
 一体何様のつもりなのだ。いずれ○○○だろうに。力一杯に握った拳が細かく震える。その物言い、御前の自信の根拠は何処にあるのだ。煮え立つ怒りのあまり目がいつもの倍くらいに見開かれ、そこから何かが飛び出しそうになる。こめかみの血管がどくどくと脈打つ。
 このように先輩面をして講釈を垂れるのだから、さぞや自分の作品も立派なのだろう。くるりと後ろを向いて、自分の背後にあった本棚から一冊の本を手に取る。
 そこに書かれているのは、この○○○の過去あるいは未来における作品である。
 ……なんだ、つまらない。まったく面白くもないじゃないか。
 予想した通りであった。ざっと字面を追っただけですぐに分かる。なんとなく雰囲気のようなものはあるのだろうが、その雰囲気だって格別に大したものには思われぬ。背景に幾人かの外国人作家の顔や名前が浮かんでくる。ただお粗末な海賊版に過ぎないではないか。
「どうしてお前にそんなことが言えるのだ。ろくに読みもしていないのに!」
 目の前の○○○は、急に余裕がなくなったのかヒステリックに叫ぶ。
 別に読まなくてもすぐに分かる。御前の書くもの、その文体こそまやかしのようなもの。つまるところ御前の存在自体まやかしであり、所詮は○○○なのだから……。
 そこで世の中は大洪水時代を迎える。
 地表をすべて洗い流すような洪水が、このバベルの図書館にも迫る。
 少しでも長く生き残ろうと、雪崩を起こす本棚をかき分けて螺旋階段を駆け上る。しかし○○○が身体にしがみついて邪魔をする。その浅ましく見苦しい根性が、自分にはよく理解できた。
 自分も目の前の○○○と同じように、○○○なのだ。
 激しい同族嫌悪の憎しみで、自分は○○○を力に任せて振り払おうとする。同じ○○○同士、組んずほぐれつして階段まで来たところで大水はとうとうやってきて、それで塔も書庫もすべて押し流されてしまう。
 荒れ狂って渦を巻く波は、白く泡立っていた。黄ばんだ地表に、僅かに痕跡だけが残った。

第三夜

 こんな○○○が出た。
 女の姿をしている。どこか見覚えのある女。自分はその女の手を引いて歩いている。宵闇の住宅街で、あたりに人の姿はない。女の歩みは妙に遅く、それを自分は苛立たしく思っている。ぐいぐいと女を引っぱるように先へ歩く。
「御前様は、あの夜に揚げ物を食べたのだろうね」
「いや食べてない」
 自分のすぐ後ろから声を掛けてくる女。その問いかけに対して、自分は否定した。
「そんなことはない。食べたでしょうね」
「食べてない」
 女はしつこい。それに声の調子もたまらなく陰気だ。いよいよ腹が立ってくる。ぐい、と握った手を強く引く。大体が、なんでこの女の手を引かなくてはならないのだろう。
「責任を取ってもらわなくては困るでしょう」
 ……責任。そんなものは誰にもない。本当の意味で責任を取れるものなんて、なにもない。誰もいない。世の中や日々自分が携わっている業務のことを考えながら、その一方でやはりこれは言い訳でしかないという気もしてくる。
 責任を取らなければならないように思えてくる。
「やはり揚げ物を食べただろうね」
 古びた公民館のような建物が見えてきた。そこでまた女が言った。
「だから、揚げ物など……」
 ……いや、よくよく考えてみれば、食べた記憶がある。
「それから麦酒や焼酎の炭酸割、冷たいものばかり、よく飲んだね」
 たしかに飲んだ。あの日は大勢が集まる飲み会があった。揚げ物料理が多く並んで、それで酒がすすんだのだ。
「此処だ、此処。丁度あの辺り」
 いつしか公共施設らしい建物の敷地に入り込んでいた。建物の隅の方、植木や塀によって外からは死角になっている辺りに向かって、私は歩いている。女の手を引いて。そんなところに行きたくはないのに。
「ほら、ここだ。この木の陰だったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「あれは平成最後の夏の夜で、とても暑かった」
 そのように思われた。
「御前様が私をこんな姿にしてしまったのは今から丁度百年後」
 その女の言葉を聞くや否や、時空を捻った未来においての記憶が忽然としてよみがえった。おれは急に腹を下して、ここで○○○をしてしまうのだなと気がついた。その途端、握っていた手がぼろりと欠けて落ち、その手の先の女もいかにも不健康な○○○のように変わり、その場に崩れてへばりついた。


あとがき

しょうもないパロディで、ともすると下ネタ。なのですが、取りようによっては意味深、どこか高尚にも取れ……なくもないような。こんなものを、つい夜中しこしこ書いてしまった……そんな恥じらいをティッシュに包むようにアップしました。
第四夜〜第十夜は、万が一要望があったり、または気分がのって書いてしまったらそのうちアップします。すいませんすいません。

 

お読みいただき、ありがとうございます。他にも色々書いてます。スキやフォローにコメント、サポート、拡散、すべて歓迎。よろしく哀愁お願いします。