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爆発塩大福殺人事件 【後篇】

 もちろん塩大福が爆発して中年男が死んだ事件は、この街で大きな話題になっていた。地元住民のSNS、ブログなどからもその関心の高さはうかがい知れた。それも当然だろう。

 しかし全国的に、あるいは帝都全域としては、そこまで大したニュースとしては扱われていないようだった。いま世界中を騒がせている崑崙奈と呼ばれる新型のウィルスに比べれば、帝都のある街で、一人の中年男(しかもケチな詐欺師)が不明な死を遂げた事など、取るに足らないローカル情報なのかもしれない。

ドンドンドンドンッ……!

 戸を乱暴に叩く音。
 それに続けてガチャガチャとまた騒々しく玄関のドアを開ける音がする。

 ヤゴが調査だか買い出しだか暇つぶしから帰ってきたに違いない。チャイムを鳴らせばいいのだし、私の事務所はいつも鍵を閉めておらず、どうせ勝手に入ってくるのだからノック自体必要ないだろうと思う。でも毎回こうやってドアを叩かないと気がすまないらしい。

「……ま、状況は変わらねえな。商店街も駅前も、やっぱり自粛してんだかしてねえんだか。帝都警察にも動きはない」

 部屋に入ってくるなりビニール袋をドスンと乱雑に床に投げ出し、ヤゴが言う。袋の中身はすべて塩大福だ。門前のあの店はまだ営業を続けているし、もともと塩大福はJ通り商店街全体の名物のようになっていて、他にも二軒ほど評判の店があるのだ。ヤゴはその三店舗の塩大福を毎日必ず買ってくる。「事件の核心は、やっぱコレだろ」と言って。

「さすがにもう食いたくないぞ」
「じゃ、また冷凍しとけ」

 食べきれなかった塩大福は冷凍しておけばいいと、すっかり顔なじみになった店の人に聞いてきたらしい。そして実際に冷凍したものをレンジで温めて食べたが美味かった。しかしもう冷凍室は塩大福でパンパンだ。いくら好物だといっても、こう毎日持ってこられるとたまらない。

「そっちは進展あったのか」
「進展ていうか、変な展開にはなりそうな気がする」
「どんな?」

 私はまた事務所に引きこもって各種情報端末を操り、電子空間の網を辿って個人ブログやSNSを中心に探る在宅調査担当、つまり安楽椅子探偵タイプの調査を進めていた。その結果、我々が目撃したあの爆殺事件の前後から、じつはこの地域一帯で不穏な事件や事故が何件も起こっていることが分かってきた。そしてどうやら、かなりの数の死者が出ている。

 たとえば、この界隈では有名な饂飩屋に「極楽カレー饂飩」という名物メニューがあるのだが、個人配達請負人制度を利用して自宅にそれを届けさせた老人が、その丼に顔をぴったり嵌め込んで窒息死。老人は近隣住民からひどく評判の悪い高層集合住宅のオーナーで、あらゆる観点から見て他殺の可能性が高いと噂されている。

 それから駅前の喫茶店を根城にしていたマルチ商法野郎(彼とは個人的に顔見知りでもあった)も、金満老人相手の健康器具店で横死していた。頭皮に電流を流し、按摩効果を与えて血行改善……という触れ込みの怪しげな機器を頭からぶせられた彼は「全身剛力高次元揉みほぐし」が売りである高級自動按摩椅子に身体を縛りつけられていた。彼の隣には、この店で働くサイコパス女性従業員も同じように死んでいた。この二人が男女の仲であったことから、心中ではないかとも噂されている。しかし生前の二人を多少なりとも知る者としては、どんな理由であれ彼らが自ら死を選ぶとは考えられない。良くも悪くも、そんなヤワな性質ではなかったはずだ。

「……じゃあ塩大福だけじゃねえって事かよ」
「いや塩大福も次々爆発してるみたいだぜ。やっぱり誰かの腹のなかで」

 私がそう答えると、タイミングよく窓の外からドォーンという大きな音がした。続けてパトカーや救急車のサイレン。この所、こんな感じがずっと続いている。


みずの


「はっはっは! すげーな。どうなってんだろうなあ、この街も、それからこの国、っていうかもう世界? どんどん滅茶苦茶になってんじゃねえか。ちょっと笑えてくるな」

 帝都警察や軍部に聞き咎められれば不敬罪として連行されかねない発言もヤゴはまったく気にせずにするし、何とも無責任に笑ってみせる。自分にはそんな事は関係ない、とばかりに。

 私はデスクトップ型情報電算機のキーボードを叩き、純国産検索エンジンそれから半ば非合法の中華製検索エンジンにも同時に一連の騒動に関連するキーワードを打ち込んでいく。やはり国産の方には大したものは引っかからず、中華製のそれにだけ引っかる情報も多い。その中から、最近になって頻繁に更新されている個人ブログを画面に大きく表示させる。

「ほら、これ見てみろ」
「……何だ『J通り食い倒れ日記』って、食べ歩きブログか? これがどうしたってんだよ」
「とりあえず目につくのは、この辺りの食べ歩きとか買い物とか、そういうのばっかだろ。でもこうやって記事の並びをよく見てみると……」

 この所頻発している爆殺の現場、またその他の事件や事故の舞台となった飲食店や商店などについて、そこで何かが起こる数日前には必ずといっていい位触れている。この界隈、ごく限られた地域での事とはいえ、ちょっと不自然に思えてくる。これはまるで惨劇を予知する死の電脳日記……デスブログではないか。

「じゃ、こいつ犯人?」
「そこまで決めつけるのはまだ早いけどな」

 ブログの作者プロフィール欄には「ジョン塩大福」とある。まさか本名ではあるまい。自画像は写真ではなく、塩大福を擬人化したイラストになっている。どうやら顔出しはNGなタイプらしい。あとは「帝都、そしてJ通りが大好き。三カ国語ベラベラの在日異邦人。趣味は食べ歩きと映画鑑賞……」そんな自己紹介文も並ぶ。

「……ま、とりあえず怪しいのは間違いないか」
「ああ」
「よし、こいつは常にチェックしとけ」
「……ああ」
「おれは引き続き街の調査しとく」
「……」
「けどお前もたまには外に出ろよ。そうやって引きこもってっからデブるんだ。探偵は足、使えよな? それちゃんと分かってんのか?」

 急に説教をかましてくるヤゴ。相変わらずうるさい奴だ。私はここ数年ずっと神経衰弱気味で外に出るのはただでさえ億劫だったわけだし、何と言っても現在は感染のリスクだってある。そういう事情などヤゴは少しも考えない。むかしから、ちっとも変わっていないのだ。

「……じゃあ聞くけどな、外から戻ってお前手洗ったか? うがいはしたのか? マスクちゃんと玄関に置いてあるだろ。外出るときはマスクしろって、ずっと言ってんだろうが」

 この一週間ばかりずっと気になって何度も言ってきた事を私はまた言った。そんな事ヤゴに言っても無駄だと半ば諦めてもいるのだが、やはり言わざるを得ない。もうこれで何度目だろう。何で私が一々口うるさく注意しなければならないのか。

「は? おれが感染なんかするわけねえだろ。だって、おれだぜ?」
「……だから、おれがお前にうつされたくねえから言ってんだって、ずっとそれも言ってんだろうが」
「だーから、そもそもおれがかかんねえんだから、お前にもうつんねえんだよって、おれもずっとそう言ってんだろ? お前馬鹿なのか?」

 案の定ヤゴは無茶苦茶な理屈で言い返してくる。まったく予想通りの反応なのだがしかし……こいつ何でこんなに偉そうなんだ? いい加減に腹も立ってくる。どう考えても直感タイプにして本格頭脳派でもあり難事件解決の実績もある自分がもちろん主役の探偵、そしてただただ野蛮なだけのヤゴはトラブルメーカーの探偵助手か相棒役がいい所で、まあ見せ場はたまに挿入されるアクションシーンくらい。そんなポジションに決まってる……にも関わらず、名探偵であるこの私の、おれの事務所で、こいつはどうしてボスみたいな態度でおれに威張り散らす?

「……あ、てめえ、そこで煙草吸うなって言ったろ! ソファに灰落とすんじゃねえ!」

 自分専用の大事なソファにドカッと乱暴に身体を投げ出してふんぞり返り、そのまま煙草に火を点けたヤゴに、おれは思わず怒鳴っていた。

「何だ急にキレやがって。……やんのかよ? 久しぶりに」

 じっと睨みつけるおれを下から睨みつけ、それから薄く笑うヤゴ。いかにも尊大で、おれの怒りなど取るに足らないものと心底から思っている余裕の態度。……このクソ野郎。相変わらずヤゴはヤゴだ。こういう所にずっとムカついていたんだと改めて思い当たり、めずらしく自分の怒りが目の前の対象にストレートに向かう。……いいだろう、やってやろうじゃねえか。

「表出ろ。おれの事務所からいますぐ出ろ。出てすぐ公園あるから、そこで殺してやるよ」
「おおー、いいね。ファイトクラブするか。マジで久しぶりじゃん」
「いや今日はマジだ」
「……あ、そうだ、マスクしてやろうか? ほら感染怖いし?」
「しなくていい!!」
「ま、どうせ血反吐まみれになるしな。……もちろん、お前がな」


ソファ(セピア)


 そして実際その通りになった。
 自分ではなくヤゴが言った通り、あっという間におれは裏の公園の地面に転がされ、少し遅れてやってくる局所的に破壊された身体の痛み、口の中には赤錆の味わいと酸味、それから乾いた土の匂いと砂利の手触り……久しぶりのリアルを五感で堪能する羽目になった。

「よえー。弱すぎる」
「……」
「風が語りかけます、お前は弱い。……むかしより、さらにメタメタ弱い」
「う、るせえ……黙れ……」

 もともとヤゴに殴り合いで勝てた事などなかった。まず体格が違いすぎる。高等小学校の終わり頃からヤゴは無駄に急速に上背を伸ばし、その後さらに軍学校に進んで野蛮な筋肉と軍式の格闘術を身につけてきたのだ。まともにやって勝てるわけがない。しかしそれでもあの頃は、傲慢さの隙をつく騙し討ちなり不意打ちといった奇襲攻撃あるいは捨て身を振り絞り、せめて一矢むくいることもできた。少なくともあの頃の自分ならば……。

「これに懲りたら、ちょっとは鍛えろ。探偵は身体が資本だろ?」 

 またもっともらしく説教くれてから、ヤゴはその場を立ち去った。おれはしばらくそのまま地べたに寝転び、それから何とか立ち上がり、痛む身体を引きずるようにして事務所に戻る。そういえば、この公園に来てヤゴと殴り合いをはじめてすぐに負け、それからまた事務所に引き返す間、人には誰も会わかった。ときどき遠くで物騒な物音が聞こえたりはするが、辺りに人の気配はずっと希薄なのだ。まるで戒厳令下のように。


ベランダ景色(夕)


 私の事務所のソファはベット代わりでもあって、慎重にそこに身を横たえる。ついさっき殴られたり地面に打ちつけたばかりの身体があちこち痛んで、思わず「いてて」と声がもれる。「随分やられたね……」と耳元で妻の声がした。したように思う。

「とにかくあいつは……」と私はヤゴとの想い出話をまた語り出す。自分にとって唯一の安息であり、昼夜を問わずもたれかかる私を支え、静かに包み込んでくれる亡き妻の残骸に向かって。

「すぐ人に偉そうに説教するっていうか、何つうのかな……ブレイクスルー? みたいのを強要してくる」
 
 たとえば、あれは自分が高等中学にいた最後の冬。軍学校の寄宿舎から案の定放り出され、地元に戻ってきたヤゴと再会して、二人であてもなく彷徨いていたのだった。恐ろしく寒い夜で、安いポケット瓶のウィスキーを回し飲みしながら、地元の退屈な住宅街や農閑期の田んぼや畑の間の殺伐とした夜の景色の中、我々はただひたすら歩いた。街灯の明かりが白々しく点々と、どこまでも続いていた。そしてどういうわけか自分はそのとき、ある女学生に交際を申し込む事になったのだった。
「お前ここで告らなきゃ一生涯チキン野郎で終わる分かってるのかチキンだぞ軟骨トリ野郎だ終わってんだそんな奴はだからさあ告れ今すぐに時間は流れ去って待っちゃくれないだから逆に自分から乗ってけ波乗りみたいにな腰抜けチキン野郎で終わりたくないだろお前だってだからいますぐ……」そんな繰り言を、ある時点からずっと耳ともでエンドレスに責め立てるように喚かれていたのだから堪らない。腹の中で妙な具合に再醸造された安酒と冷気で脳髄の芯が凍てつくような感覚、それらが混ざり合った結果とうとう自分はその女学生に携帯電話を掛け、しどろもどろに交際を申し込んだのだ。

「……まあ何か微妙な感じで断られたよ。いまはごめん、とか言われて」
「ふーん」と心無いソファの妻の返事。

 そんな無難な断り文句で交際を断ってきた彼女とは当時ごく普通に仲がよい友人関係にあり、自分としては本当に彼女と男女交際がしたかったのか、いまでもよく分からない。その後あまり思い出しもしなかったから、実際そうでもなかったんじゃないかと思う。いつもヤゴが他人に強要する突破者じみた思想に一時的に洗脳されてしまったに過ぎない。まったく無様な青い思い出。ただその後、数年間隔くらいで彼女から連絡があり何となく二人で会うような雰囲気になるもやはり直前になって予定が流れる……そういった事が数回繰り返された。だがもうそんな連絡もなくなって久しい。最後に彼女の消息を伺い知ったのは実名登録制のSNS(自分は勿論偽名で登録)であり、彼女はこの国を早々に見限って遠い北欧諸国の何処かで暮らしているらしく何というかとんでもないジパングザビッチのような風体になっていて「人生エンジョイ何でもウェルカム」というようなメッセージを矢継ぎ早に発信しているのを見かけた。「何故こうなったのだろう……」自分は何となく居心地悪い気分になったが本人は至って楽しそうではあるし、別に何でもいいではないかとすぐに思い直した。しかしあの冬の夜、ヤゴの洗脳攻撃を私が上手く躱して、ごく普通の友人関係をそのまま続けていたら……結果的に自分と彼女の関係は逆にもっと深くなっていたのではないかと思う。

「……そんな初恋話わたし聞いてないよ」耳元で妻の声。「だって言ってないから、そりゃ聞いてないだろうよ。あと初恋でもないし」と私はその幻聴にボソボソ返事をする。「……」別に嫉妬しているわけでもなかろうに、私の頭の中で妻は黙り込む。

「……ねえ、わたし犯人分かっちゃったかも」
「え?」
 しばらくして妻が急に言い出した。どうやら考え事をしていたらしい。


「犯人、ヤゴじゃないの?」


ソファ(カラー)


「犯人はヤゴ」
 じつのところ、その線はすでに自分の頭にあった。

 あのとき、釣り銭詐欺の中年男を追いかけた先のマンションで「塩大福が爆発した」と騒ぎ出したのはヤゴだった。その場の勢いに飲まれ、そこで自分もなんとなく納得してしまったのだが……。

 実際あの男は、あの店で塩大福を買ってはいない。

 男が買っていたのは、パック詰めの赤飯だけなのだ。いまははっきりとそれが思い出せる。その一方、あの店で自分が買ったはずの塩大福は事務所に帰ってくると買い物のビニール袋から忽然と消えていた……。

【真実その壱】
部屋で爆発が起こりドアが吹っ飛んできたのは、塩大福によるものではない。そして私がその場で気を失っている間に、塩大福が爆発したようにヤゴが偽装した。
【真実その弐】
ドアが吹っ飛んできたのはやはり塩大福によるものではなく、予め仕込んで置いた何か。ともかく私が気を失っている間に、ヤゴが男に超小型爆弾を塩大福に仕込んで無理矢理にでも飲ませ、そして爆発させた。

 先ほどの断片的ファクトから帰納法的に推理を展開して、私がたどり着いた蓋然的な真実は以上の二つ。

「……まあその推理が実際どうなのかちょっとあれだけど、どっちにしてもヤゴじゃん」

 ある難解な事件の当事者になってしまい、自分の探偵としての力不足が原因で命を落とした、愛する妻の魂が宿っていると思われる私専用の事務所のソファが、そうやって私に語りかけてくる。幼馴染の相棒が犯人なのだと、探偵である私に告げる。

「だから間違いないよ、ヤゴだって犯人」

 ここまではっきりと彼女の言葉が聞こえるのは本当に久しぶりだ。ひどく懐かしく、もう一度この耳で聞きたかった彼女の声……。思えばもう長い間、自分はずっと孤独だったのだ。つい涙が出そうになるのを辛うじてこらえる。私の妻は人の涙に価値を置いたりするタイプではなかった。私が急にさめざめ泣きはじめた所で、そんな愁嘆場を妻は喜ばない。

「これで事件解決だね」
「……」

 そのとき、デスクの片隅ですっかり埃を被ってた複合機能電話がファクスを受信する。

ビビ、ビ、ベーベッベッ……

 なんとも騒がしい音を立てペラペラした印刷紙を吐き出していく。吐き出された紙には、どこかで見覚えのある汚い手書き文字で大きくこう書いてあった。

「騙されるな。その女を信じるな。それはただのソファだ。目を覚ませよ、探偵野郎」


 ……ファクスの送り主は決まっている。ヤゴだろう。
 我が相棒にして有力な容疑者。爆殺事件の首謀者? とにかく存在が定まらないがとにかく自分につきまとい、この人生に小さくはない影響を与えてきた男が、そうやって私の妻の存在を否定する。それからすぐに、

ドンッドンッドンッ……!

 
 玄関の方から聞こえてくる、ドアを乱暴に叩く音。ああ、これもヤゴに違いない。あいつが呼んでいる。また勝手に入ってこようとしている。

「ねえ、開けたら駄目だよ? 中に入れちゃ駄目なんだよ? 分かってるよね? 怪談話の定石だよ?」
「それは分かってるけど……」

「でも選択は、すべてあなた次第。たとえば真理だって、そんなものでしかないから。気楽に、好きなように選んだらいいよ。結局勝手にするしかないんだし」

 いまはもうこの世界にいないはずの妻が自分に語りかける。いかにも彼女が言いそうな台詞で。


ソファ(白黒)


ドンッドンッドンッ……!

 前にもこうやって、よく乱暴に戸を叩かれた。
 あれは確か帝大で留年を重ねて居続けた二年か三年目の冬。昼も夜もボロい下宿に引きこもり誰にも会わずに過ごしていた所、乱暴に玄関の戸を叩く奴がいる。あまりにしつこいので仕方なく戸を開けると、そこにはヤゴがいた。ヤゴは数年前に洋行したきり音信不通であったから完全に不意打ちで、私はひどく驚いたがヤゴはそれに構わずズカズカと部屋に上がり込む。馬鹿でかい背嚢に、何故かおひつを入れていた。おひつの中身は大量の酢飯。あとは大量の海苔、それから雑多な食材の折り詰め。「特製メキシカン手巻き寿司」だとヤゴはいった。ヤゴはつい数日前まで南米にいたらしい。本場メキシコ産のハラペーニョやチリソースなど私があまり食べつけぬ調味料を取り出し、それとソーセージやチーズ、ピクルスなどの具材と一緒くたに巻き込んで異様に太くて辛くてくどい味付けの太巻き寿司を私の目の前で作り「ほら食え」と差し出してくる。一本食うとすぐに次が巻かれて目の前にまた来る。それが何度も繰り返される。ついに腹もはち切れんばかりになった後で「これは一体何だ」と聞くと「今日はお前の誕生日だろ」とヤゴは言った。自分でもすっかり忘れていた。そして巻き寿司は自分の好物だった。

ドンッドンッドンッ……!

 それから数ヶ月後、ひどい神経衰弱からようやく抜けだしかかった頃。社会復帰へのリハビリもかね、私は知人の紹介でアルバイトをはじめた。すると仕事先であった私立の大学校で連続殺人が起こる。被害者は十数名にも及び、教授や大学職員に研究者、さらに一般学生までもが二十年前の社会変革運動で流行った労働哀歌の歌詞をなぞるように殺された。私もこの事件に巻き込まれ、身の危険を感じはじめていたある日の夜、下宿で寝ているとまた不意にヤゴが訪ねてきたのだ。やっぱり戸を乱暴に叩いて。
「次は甘いものがいい……とか言ってたろ」と今度は背嚢が膨れ上がるほど大福を目一杯に詰めてきたヤゴ。「よし食え」とまた強要する大福は恐ろしいく甘く、すぐに胃がもたれたが「ほら次食え」と矢継ぎ早に果てしなく大福を押しつけられた。
 ……その甘味地獄を味わっているうちに、不意に天啓が降りてきたのだった。
 職場で起こった一連の事件の犯人、殺害に用いたトリック、ひいては犯人の動機、複雑な事件の背景など一切、私には突然すべて丸ごと一気に分かってしまったのだ。その後はもう自然な流れに任せるように探偵役を担い、さらりと事件を解決してしまえばよかった。

余談になるが、これが後に『インタナショナル 〜H大学連続圧殺事件 〜』というタイトルで小説化(映画化は協賛企業が中途で下りて頓挫)、探偵として私の名が僅かばかり売れる切掛となった事件である。


「そうだ、思い出せ。お前はデキる奴だ。おれがついてやってさえいれば何でもやれる。それを決して忘れるな」

 ドアを叩く音は一旦止んで、今度はまたファクシミリでメッセージ。まだほんの餓鬼の頃見たのと変わらない、ヤゴの汚い手書きの殴り文字。


「……で、今度は塩大福なんじゃないの? 甘過ぎるのは嫌だとか、あなた言ったんじゃないの? そのヤゴとかいう得体の知れないモノに」
 得体の知れない妻の声が、いま自分が座っているソファから発せられている。ある事件の関係者であった彼女と出会って紆余曲折を経て結婚、それから彼女は別の事件の被害者となって私の目の前で命が失われ……いやもう何も思い出したくもない。

 神経がまた衰弱の予兆を見せている。その混乱を避けるため、とりあえず私はどちらの声も無視することにした。「留保とは賢い者の選択である」と世界史上の偉人の誰かも言っていた気がする。言っていない気も同時にするが。机の上にはちょうど南米の有名な革命家がパッケージの煙草が置いてあったので、それを手にしてベランダに出る。

煙草(チェ)


「真相はいつだって藪の中さ。……だったら逆に、煙に巻いてやろう」

 これは私が解決した最初の事件を元に書かれた小説の作中、私をモデルにした探偵がいつも言う決め台詞だ。こんなわざとらしい文句、これまで自分で口にした事もないが、いまはじめて現実に口をついた。

「……だっせえ」

 言ってみたものの、やっぱりしっくりとはこない。あの文士崩れ、やはり三流もいい所だったなと何度か取材を受けた小説家のうらぶれた佇まいを思い出す。そんなだからあの探偵小説だって版を重ねず、いまはすっかり忘れ去られている。つまりこの私と同じように。

「うわっ」そこで思わず声を上げたのは、そこら辺に転がっていた百円ライターの火がやたらと大きく出たからだ。ヤゴが改造したやつに違いない。まあそれでも紙巻きに火は点いて、私は煙を思い切り肺深くまで吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

「空に立ち上る煙はいいね……」と意味のない独り言。

 久しぶりに濃厚なニコチン成分に脳がクラクラと揺らされるような感覚、それから揺り戻しを経て、やっと状態が定まる。すると妙な覚醒状態がやってくる。あるべき所にあるべきものがきれいに収まり、すべてがクリアに、霞が晴れていくように、灰色の脳細胞が正しく刷新されて動き出す……米花街の下宿屋で鬱屈して拳銃を乱射したり薬物にも手を出した伝説の名探偵をイメージ。

 ……さて、ここで唐突な謎解き。
 ヤゴなんて幼馴染みはもちろん存在しない。亡き妻の人格が、事務所のソファに宿ったりはしないように。

【真実その参】
ヤゴは自分のイマジナリーフレンド、或いは抑圧された別人格、実体と痛みを伴うリアルな幻覚、自己主張の激しい背後霊……大凡そんなものである。

 かつて優秀な探偵として世にも知られた私が導き出した結論は以上である。この結論を元に考えれば、自分が探偵として生きていくきっかけになった諸々の出来事もヤゴという存在と同時に雲散霧消するということになる。

 つまり私は探偵などではない、ただの引きこもりの虚言癖、あるいは妄想に生きる神経衰弱者……のはずなのだが、

【真実その四】
自分はやはり探偵として存在している。これは疑えない。私自身の実存と探偵である事は確かに不可分である。

「……なんだ、やっぱり藪の中。どれもこれもまた煙に巻かれるだけか」

 最早推理も何も成り立たなくなっている自分はあきらめ顔で紫煙をくゆらす探偵つまりは事件屋稼業である。

 たとえばよく晴れた気持ちのいい陽気。しかし見慣れた街の景色には人の気配があまりにも希薄。それなのに爆発音まで聞こえてくる不穏。ひっきりなしのパトカーや救急車のサイレン……騒々しさと静けさのコントラストが、この街を演出しているように思える、そんなとき。やはり自分が解決すべき事件が同時多発的に起こっているのだと、そんな予感に猫背も伸びる。

【真実その伍】
わけのわからないウィルスが蔓延して、世の中が変わっていく。身の回りで異様な事件が相次ぐ。自分の記憶が妄想と混同され、虚構めいてくる。時間軸や世界線など平気でずれて絡まり混線したままでアップデート。パラレルワールドが連続して互いに殺し合う……。
だから選びたいものを選んだらいいし、別に選ばなくてもそれはそれで、

 立て続けに数本煙草を吸ってベランダから部屋に戻ると、パソコンに何件か通知が来ている。

 まずは偽名登録したFacebookに、高校の同級生からのメッセージ。
「久しぶり。これ○○のアカウントだよね(笑)なんかすぐ分かったし(笑)……いま世界、大変な事になってるよね。だから日本にいる君にちょっと話したい事があるんだけど、よかったら……」
 信じられないくらい派手で年甲斐もなく破廉恥極まりない、だから逆に悪くないように見える、なかなかイケてる際どい水着姿のプロフィール画面の彼女が、いかにも魅力的なビッチのように自分に笑いかけている。

 それからTwitterには「ジョン塩大福」という巫山戯たアカウントからDMがきている。
「この世界の作者として至急貴方にご相談したい事がアリマース」
 やっぱり頭がおかしい奴のようだ。それに「アリマース」って何だ? 大むかしのギャグ漫画とかコントに出てくる記号的な外人の口調か? こんなキャラ設定がいい加減な奴に、やっぱり面白い小説など書けるわけがないだろうちょっとは考えろ。

【真実その六】
ところで塩大福は美味しい。餡も甘過ぎず、また皮に微妙な塩味がついていることにより、逆に甘さを上品にしつこくなく引き立てる。自分的には普通の大福よりも好き。

 

塩大福(白黒)


 何となく小腹がすいてきたので、冷凍庫に大量保存してある塩大福を一つ電子レンジで解凍したら、ボンッと音を立てて、レンジの中で塩大福が爆ぜた。どうも解凍方法が正しくなかったようだ。ラップに包まれた塩大福がグチャグチャに潰れてしまった。しかし勿体ないので、それをそのまま牛乳に浸してさらにグチャグチャに食べた。……まあ、これはこれでうまい。とにかく牛乳を飲んでいた少年時代。しかし身長は大して伸びなかった。

「また太るぞ、お前」
「そうだよ。ちょっとは痩せなよ」

「……うるせえな」と二種類の幻聴相手にぞんざいな返事をする。

 野蛮で勇敢な私の相棒と、無機物の腰掛けと成り果てた我が愛する妻。二人とも同じように得体が知れない、不確かな存在。だからこそ案外うまく共存するかもしれないと思ったりもする。いまの/これからの世界、もう何が起こるのか誰にも分からないじゃないか。新たなフェーズに入ろうとしている。すくなくとも、そうやって世界を捉える人にとっては現にそうなっているんだろうからね。

リングフィット(白黒)

 だからもう若くもない、自称名探偵である私は事務所兼住居のリビングのソファに座ってリングフィットアドベンチャーを起動した。何にしても身体が資本なのだ。言われずとも分かっている。すこしは身体を鍛えようと自分でもずっと思っていたのだ。それが真実の七番目。大体こういう真実とか謎とかは七個とか意味深でそれらしい。そういうものだ。

 とにもかくにも健康第一。
 清濁併せ呑み、塩大福もたらふく食べ、延年転寿にやよ励め。免疫上げよ、打ちてし止まん。それがこの街の思想。自分はそこに生きる探偵である。そうに違いないもんね。



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