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民話ペディア③ 『迷宮おじさん(架空生物)』


神奈川県川崎市のある会社には「迷宮おじさん」が生息している。迷宮おじさんとは、以下のようなクリーチャーである。

迷宮の入り口近くにいつも佇んでいる、一見人の良さそうなおじさん。親切に迷宮へ案内して、そこに人を引きずり込もうとする。

その迷宮にうっかり足を踏み入れたが最後、大抵の人間は二度とそこから出られない。複雑な迷宮ダンジョンに飲み込まれ、永久にそこを彷徨い続けるか、悪くすれば死んでしまう。迷宮に入り口はあっても出口はない。

そして迷宮おじさんの本体は、じつはその迷宮自体なのだ。

いかにも善良そうで人当たりの良いおじさんは、その迷宮から伸びた触覚のような器官であり、本体に餌を誘い込む役割を果たしている。いわばチョウチンアンコウの提灯部分なのである。


・「働かないおじさん」との類似性について

本項目「迷宮おじさん」については、俗世間でも最近話題の「働かないおじさん」との類似性が一部で指摘される。たとえば「仕事に大して積極性がない」「仕事をしているふりをする」「オーラを消して仕事をしない」などの特徴である。
 
もっとも弊社の迷宮おじさんは、まったく威張ってはおらず、誰に対しても物腰は柔らかく丁重で、不当に高い給料を貰っているわけでもない。在籍年数でいえば文句なくベテランで定年も近いのだが、何の役職にもついていない。以上の性質から、いわゆる「働かないおじさん」とは区別されるべきである。

とはいえ、迷宮おじさんもまた積極的に会社に貢献するわけではなく、彼が何の業務についているのか、多くの場合は不明である。そういった点において「働かないおじさん」との類似性はたしかに見出だせる。


・迷宮おじさんの一事例
 
彼はとにかく職場の中をうろつき、自分の話を聞いてくれそうな同僚に片端から話しかけて回る。会話の糸口としてはその日の天候や時事ネタから始まり、ときに大きく脱線してロボットアニメーションからB級グルメ、怪談話に古典SF小説まで、かなり幅広くも思われるのだが、やはり結局は彼の趣味であるカメラや模型作り(彼は典型的なオタク第一世代である)の話題に流れていく。

私自身としては、彼の存在を嫌っているわけでは決してない。全体的に何を考えているのか不明な人物ばかりで不気味に静まり返っている事が多く、何かに呪われているような雰囲気の職場環境において、むしろ迷宮おじさんは救いでもあったのだ。


ウィザードリィ(タイトル画面)


「ああ、そのタイプのディスクね。結構な年代物だけど……ちょっと待って、確か機械室の奥に」

 たとえば自分の業務の事で他の同僚や上役に質問などしても「それは知らない」と冷淡な反応をされる事も多く、そもそも気軽に尋ねる事すら出来ないようなオーラを露骨に出されたりもする中で、このように親切に対応してくれる迷宮おじさんは希有な存在である。

「あ、見て見て。これは中世期の地中海地方で使われてた呪具で」

 しかし彼に付いていけば、そこは迷宮の入り口。倉庫の様になっているその一室で、彼は用途不明の機械類や怪しげな祭器などを引っ張り出しては解説をはじめる。その解説自体もあっちこっちに内容が飛び、それでもやっと一区切りついた所で、また別の対象物を発見。また一々それについて解説してくれる。よく分からない解説が、とにかくずっと終わらない。聞いているうちに、こちらの頭はすっかり混乱していく。

 最初に彼が意図した目標物にようやく辿り着いたとしても、その頃には当初の目的は半ば失われている。そこに至るまで、あまりにも多くの時間が費やされた。だが締め切りは迫るばかりで決して待ってくれず、自分の残業は確定。勿論それにも付き合ってくれる構えの迷宮おじさんなのだが、そうなると家路につく事は永遠に困難になるので丁重にお断り申し上げる……。

 そんな事が何度か繰り返された後、私はようやく彼との程よい付き合い方を心得たのだ。

「ねえねえ、これ見て」

 そうやって人懐こく奇妙なものを自分の所に持ち込んでくる迷宮おじさんの相手を、やはり自分としてはしないわけにはいかない。中には、はっきりと「いま忙しいから」「興味ないです」「あっち行け」などと切って捨てる同僚や上役もいる。すると迷宮おじさんは悲しそうな顔でその場から去っていく……。そういった場面も実際何度か目撃した。私にはそんな事は出来ない。彼の事が嫌いではない。すげなく彼を拒絶する人間たちこそ面白味に欠け、魂のステージなども低いように思える。だから彼の話に一応は耳を傾ける。しかし彼は迷宮おじさん。油断すれば出口のないダンジョンに引きずり込まれるので注意が必要だ。

「あー、そうなんだ。なるほど。すげーな。……ところで、この案件なんですけど」
「うん、それはね」

 際限のない彼の話にほどよく相槌を打ち、ときには自分からも話題を振る。だが適当な所でサッと話を切り上げる。彼のペースに完全に飲まれないよう心がける。油断をすれば、何もかもが迷宮入りだ。不用意な深入りはせず、しかし有用な情報を引き出したりもする。そのような案配、コントロールが肝要である。

「ちょっとボクの席においで。猫背のおじさんがチョコを上げるよ」
「……なんですか、その昭和の誘拐魔みたいな誘い文句は? あと猫背のおじさんて」
「チョコいらない? 新発売のだよ」
「チョコは貰います」

 私はそうやって、迷宮おじさんとの付き合いに習熟していった。それで実際に仕事の効率も多少は上がり、また自分の部署の気詰まりな雰囲気から逃げるように、適度な息抜きとして彼との雑談を楽しんでもいた。そんな余裕すら出てきたのである。

 ……そうやって、上手くやっていけると思っていた。

 あの頃の慢心が、いまの自分にはひどく愚かしいものに思われるのだった。



「いやー、いっそもうみんな消えちまえ! って感じです」

 その日、私は彼と喫煙所で出会した。いつものように雑談をしているうち、自分の口からは思わず愚痴が吹きこぼれた。私の業務は時期的な問題でかなり煮詰まり、また詰まらないミスが原因となり、全体的に何ともややこしい事態に陥っていた。さらに社内状況も急速に悪化、とにかく居心地が悪かった。

「マジでやってらんなくて」
「うん、そうだね。気持ちはよく分かるよ」

 嫌な顔もせずに自分の悪口を聞いてくれる迷宮おじさん相手に、つい際限なく愚痴を吐き出してしまう自分がいた。

「まず何がやってらんねえかっていったら……」

たとえば自分の部署には邪悪なBBAが一人いて常に悪口ばかり言っていて、それを毎日聞かされて大変に気分が悪い。どうしてくれる。ああいったBBAによって現在その業務が回っているとしても、総合的、長期的に考えればその存在は害悪。たとえば自分はこの所ずっと体調が優れない。とにかく職場にいたくない。さっさと在宅業務体制を整えろ。まずもってこの職場は呪われている。給湯室の流しの下には昨年末に失脚した営業部長が殺した老婆の骨がある。たしかに自分はそれを知っている。会社の発展の為には強力な呪術師を招いて根本からの刷新、アップデートをする必要がある。しかしそれが行われる気配は一向にない。名目だけの管理職を野に放て。野犬の群れから生き直せ。僅かな肉片と役職手当を奪い喰らい合い、それを鳶にさらわせろ。とりあえず、もう少しまともな仕事をとってこい。まともな賞与を出せ。

「……あーあ、こんな会社、もう丸ごと何かに飲みこまれて、消えてなくなればいいんだ」
「まあまあ。とりあえず、もう一本吸いなよ」

 呪詛混じりの愚痴を一息に吐き出し、いまだ興奮が冷めやらぬ私に、迷宮おじさんが煙草を差し出す。ありがたく受け取って、その煙草に火を付けた。そんな私をじっと見つめ、彼はいつになく真剣な表情で言った。

「でもやっぱり、キミもそう思うんだね」
「え?」

「……では、そうしようかな」

 そうつぶやいてから、迷宮おじさんは口を大きく大きく開けた。信じられぬ程に大きく広がった彼の口腔内は深遠なる暗闇で、その先の見えない漆黒が自分の視界を覆い尽くした。ただ一瞬のうちにそこに飲み込まれたに違いない。


迷宮


 おそらくは自分だけでなく、あのとき職場に居合わせた同僚や上役たち、そして会社の建物、あるいは会社のある川崎市の一帯ごと飲み込まれた可能性もある。気がつけば冷たくジメジメと湿った石造りの床に寝そべっていた。その場で立ち上がって辺りの薄闇に目を凝らすと、すぐ側に迷宮おじさんがいた。

「リクエストにお応えして、みんな飲み込んじゃったよ……。そんでつい、ボク自身も飲み込んじゃった……」

 彼の言葉から、私は自分の置かれた状況を把握した。不用意な自分の発言により、全てが迷宮に飲み込まれてしまった。ここは迷宮おじさんの本体である、迷宮ダンジョンの中なのだ。

「じゃあ左手の壁伝いで進んでいきますよ」
「あ、それ迷路の法則だよね。なるほど。キミ、結構やるね。……でも何でボクは拘束されてるのかな?」

 私は左手を迷宮の壁につけて歩く。もう一方の手にはロープを握っている。ロープの先には迷宮おじさん。だらしなく太った胴回りに、工事現場用のトラロープが何重にも巻き付けてある。かつての職場にあった迷宮おじさんのデスク回りと同じように、この迷宮もとにかく乱雑に散らかっていて、至るところに築かれたガラクタの山から、手提げランタンなどの探索に役立つ道具を回収した。このロープもそのうちの一つだ。そしてロープを手に入れると、すぐにこうやって迷宮おじさんを拘束した。

「だって、油断すると消えたりするでしょ?」
「うーん、まあたしかに、ちょっとボクはもう戻りたいかな。……ここ散らかって汚いし、何か居心地良くないよね」

 そうやって迷宮おじさん(先端器官)は自分の本体であるこの迷宮を否定するわけで、油断したすきに彼がこの場から姿を消すだろう事が予測された。出口のない迷宮ではあるが、やはり脱出手段はあるのだ。少なくとも、この迷宮の一部である彼には、それが可能に違いない。彼に去られ、ここに一人置き去りにされてしまえば、脱出の可能性はかなり低くなる。何とかして彼と一緒に、彼の脱出に便乗する必要がある。あるいは……。

「でもねえ、この迷宮の奥には、それはそれはもう凄い、得も言われぬ至高の秘宝が眠っていて」

 やはり、そうなのだ。人を迷宮に誘い込むクリーチャーの言葉をどこまで信じて良いのかという問題はあるが、こうしたダンジョンの奥には必ず宝が隠されている。それは一つの決まり事、いわばお約束である。こうした呪術的なフィールドは、そのようなルールに厳密に基づいて形成されるものなのだ。迷宮おじさん(先端器官)は、この迷宮内において脱出の糸口であると同時に、迷宮最深部に眠る秘宝への羅針盤でもあった。

「でもそんな宝物、自分はいらないよ。第一、宝物じゃなくてとんでもない怪物がいる可能性だってある。むしろそっちの方があり得そうに思うんだけどね」

 そんな慎重な意見を口にするのは、職場では数少なく仲良くしていた同僚のヤマネ師である。(ヤマネ師については、以前に何度か書いた)自分が倒れていたフロアから少し先に進んだ辺りの暗闇で、ヤマネ師は呆然と立ちすくんでいた。私は手短に状況を説明して、なおも混乱したままの彼をともかくはパーティに加えたのだった。

「ねえ、だからとりあえず脱出の方法教えて下さいよ。知ってるんでしょ? ここの一部なんだから」
「いやー、たしかにボクはここの一部で、だから知ってると言えば知ってるんですけど、厳密に定義すれば知ってるという訳でもなくて……」
「まどろっこしいね、あんたは」

 先頭を歩く自分の後方から、迷宮おじさんとヤマネ師の会話が聞こえてくる。ヤマネ師はすぐにでも脱出したいらしいが、迷宮おじさんに核心部分をかわされ、更なる迷宮のような会話に引きずりこまれようとしている。しかし世代も近く、共通の話題も結構あるらしいこの二人は、暗い地下迷宮に似つかわしくもない、割合にほのぼのとしたトーンで会話を楽しんでいる……ようにも思えた。

「そんなことより、ヤマネさん、戦艦大和のプラモデル、子供の頃に作ったっておっしゃってましたよね」
「作りましたね。ちゃんと細かく色も塗ったし」
「あれの甲板部分なんですがね、ボクが以前独自に調査したところでは」

 何はともあれ、悪くない流れだった。こうして迷宮おじさんの興味を引きつけておけば、不意に彼が姿を消す事も防げる。迷宮おじさん(先端器官)を手放す事は即ち、脱出、秘宝、その両方の可能性が消失するという事だ。

 このおじさんを決して手離してはならない。

 こうなっては、命綱のようなものなのだ。不健康によく太った、この猫背のおじさんが、広大な迷宮を彷徨う自分たちの運命を握っている。


螺旋階段


 それにしても。

 おそらくは全社員が飲まれたに違いないが、自分はこうして迷宮おじさん(先端器官)とヤマネ師と一緒になった。それはまだ不幸中の幸いと言えるのだった。弊社には他に、脳の半分を機械化したおじいさんであるとか、そのおじいさんを支配しようと企む邪悪な魔女、それから煎餅をチャクラムのように操り人を切り刻む愛想皆無な女子なども在籍している。彼彼女らと一緒にパーティを組んで迷宮を探索する……想像しただけで大変に息苦しい、まるで生き地獄、地獄カンパニーである。しかしその地獄状態が自分の部署における通常業務であったわけで、いっそこの迷宮に飲まれた事自体が僥倖かもしれないと、そこまで考える。

 居直りだけが人生だ。

 誰かが言っていた。いや言ってないな、いま自分が言った。ともかく、いまはこの迷宮を奥へ奥へと進むしかないのだと居直る事にした私である。どうせ飲み込まれてしまったのだから、この先に隠された宝を手に入れようと思う。しかし少しでも油断をすれば迷宮おじさんはこっそりとパーティーから離脱、あるいは迷宮の中にあって更なる迷宮へと自分たちを誘おうとする。注意深くあらねばならない。襲いかかる怪物たちに応戦、様々な罠を回避しながらも、彼の様子には常に気を配り、彼が少しでも興味を持ちそうな模型やSF宇宙人やUMA、グルメ情報ディスカバリーチャンネル縄文文化の話題なども適宜提供、とにもかくにも決して彼を逃がさぬようにするというマルチタスクが自分に求められている。

ウィザードリィ(宝箱)

目指すは迷宮最深部、そこに眠る秘宝。そして無事の帰還。ゆきてかえりし物語。出口の見えないこの迷宮において、私はそれを提案する次第。近いうちに失業保険の申請も行います。


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