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爆発塩大福殺人事件 【前篇】

 旧国鉄S駅を出てすぐに賑やかな大通りに出る。
 通りの中心には寺があり、その境内に佇む地蔵が全国的にも有名だ。

「あらゆる病を癒やす」という地蔵様のご利益にあやかろうと、季節を問わずに人々——主に年寄り連中が集まり、そんな彼や彼女たちから少しでも収益を得るため、いかにも年配者が好みそうな煎餅や茶、健康食品または精力剤、それから仏具に法具に衣類や小物などの販売店、そしてもちろん鰻に蕎麦や鼈などを食わす飲食店など、とにかく雑多な商店がみっしりと軒を連ねている。

 そういうわけで、この通りはいつも大勢の人々で賑わっている。帝都における一つの観光名所でもある。

 さて私はこの界隈に暮らして、はや数年。
 だからいまさら観光というわけでは勿論なく、ただ何となしに、その日の夕方頃、この通りを歩いていた。

「らっしゃい、らっしゃい」
「安いよ安いよ」

 漫然と歩きながらも自分の目は、あちらこちらの商店の軒先や行き交う人々を忙しなく追っている。それは私が駅前の雑居ビルに事務所を構える探偵であることに起因して……はいなかった。ただ純粋に、目に映る景色が珍しかったのだ。こうして近所をそぞろ歩くのも、本当に久しぶりだった。

「さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
「今日は独鈷諸に仏舎利がお買い得」

 一見いつもと変わらぬ様子の通りだったが、やはり人通りは減っている。まだ日も暮れていないのに、シャッターを閉めている店も目立つ。それでも営業中の店の前では、店員たちが声を張り上げている。

「新型に負けぬ円字の赤褌で」
「免疫向上、意気軒昂」
「チキンカツレツ特別割引中」
「現在絶賛増産過多」
「打ちてし止まむ精力絶倫お鼻が高い」

 通りを歩く人々を呼び止めようと懸命な店員たち……しかしその呼び込みの口上をよく聞いたり、表情を注意深く見てみると、懸命というよりはどこか物騒で、どこか捨て鉢な気配も感じられる。彼らは勿論、皆一様に飛散防止用マスクで口元を覆っている。そしてその目の奥には、どこか危うげな炎が揺らめいているようにも思えた。

「ぞうさん、ぞうさん、お鼻がもげても」**

「肩こり解消、疫病退散」
「憎い崑崙奈をぶっ殺せ」

【通達】
「帝都に於ける全民は、不要不急の外出は出来得る限り忌避しながらも、経済活動は止むことなく『産めよ増やせよ増産また増産』の精神で邁進する事。又これに違反せし場合は厳罰を以って……」

 全帝都民を対象とするこの条例が発布されてからというもの、帝都に暮らす人々の多くはまず戸惑い、しかし概ねはこの条例によく従い、感染を避ける為に自宅に引きこもった。

 さて困ったのは商売人、とくに客商売を営む者である。

「経済活動は止むことなく……」という方針により営業は続けるのだが、基本的に街には人がいない。だから当然客足もない、もしくは大幅に減る。まるで幽霊相手の経済活動。採算は取れぬ。とてもやりきれないにしても、やるしかない。政府からの指示などは先の条例以来、何もない。

 よしんば自棄に走る者が出てきたとして、それも無理からぬ話ではなかろうかと思う。

「……じゃ、こちらの特選鹿角茶でよろしいですか! これは滋養強壮、神経衰弱にもよく効きますよ!」
「(無言で頷いて会計をする自分)」

 このように世間は大変な騒ぎだが、じつは個人的にはちょっと気楽な気分でいた。

 私はS駅近くの貸しビルで探偵事務所を開いているのだが、今回の疫病騒動より以前から開店休業状態だ。開業した当初の熱意の様なものはとうに枯れ果て、すべてが停滞している。だからある意味「これ幸い」とばかり住居兼事務所に大人しく引きこもっていた。そこにいささかの痛苦も感じなかった。

 自分ばかりではなく世間全体が停滞、また「停滞するも詮方なし」と認められる……そんな風潮は私の精神をむしろ安らかにした。伽藍のように静まり返る事務所のソファで、確実に目減りする貯金残高からは目を背け、ただ思う存分に無為な日々を私は送っていたのだ。

「お買い上げ、ありがとうございやっしった!」
「(無言で会釈をして、その漢方茶屋を出る自分)」

 さて、こうやって久しぶりに歩く通りは以前に比べれば人も少なく、また自分を含めて誰もがマスク姿ではあるが、それでも活気はある。

 しばらく他人とまったく接していなかったせいもあり、私にはこの景色がひどく奇異なものにも思える。またそれと同時にその景色の中、一人無言のまま買い物などしている自分が、まるで幽霊であるかのようにも思われるのだった。


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 なんとなく参道入口まで戻って、大正期からあるという門前の軽食屋に立ち寄り、そこで塩大福とパックのお惣菜を幾つか買い求めた。

「じゃあ塩大福と、あとこの茸寿司でいいかしら?」
「……は、はい。それで頼みます」

 久しぶりに自分の声を自分の耳から聞いた気がした。しばらく声帯を使っていなかったので、まるで喉の奥に備蓄食料でも詰まっているように声が出しづらかった。

「あ、あと……ここ、もう閉めちゃうんですか?」
「そうなんですよ」

 店先に「今月一杯で閉店いたします。本当に長らくのご愛顧……」という張り紙がしてあり、思わずその中年女性に尋ねた。私が注文した塩大福や散らし寿司の折り詰めを袋に詰めながら、彼女は淡々とその質問に答えた。

「やっぱり今回の……」
「それもあるんだけど、まあ皆もう歳も取っちゃったしね……」

 彼女がちらりと後ろを振り返る。その視線の先に、この店の主らしい老夫婦の姿が見えた。丸椅子にちょこんと座って休憩中なのだろう、二人向かい合ってボソボソと何か言葉を交わしている。

「すいません、これも追加で。あと、これとこれも」
「え、あ、そう。何かすいませんね。じゃあ……」

 何となく物悲しいような気分になった私は、目の前のショーケースに二つ三つ並んだアンコ玉、水ようかんなどを指さし、片っ端から追加注文した。もう辺りは黄昏時で、店じまいも近いはずだ。半端に売れ残った品物を、いっそ自分がさらってしまおうと思ったのだ。

「赤飯一つちょうだい!」

 おばさんが私の追加注文の応対をしているところに、通りからひょいと軒先をのぞいた男が割り込むように入ってきて注文をした。

「はいはい。ちょっとお待ちください。(奥に向かって)ねえ、ちょっとお願い」
「……はーい。いま行きます」

 奥で掃除をしていたらしい若い女の子が呼ばれ、すぐに男の対応に当たった。男は赤飯のパックを一つ手に取り、いかにも忙しなく会計をする。いきなり現れたこの男を、つい私は横目で観察してしまう。

 ——大柄な中年男性。無頓着に着崩したシャツ、少し色が入った眼鏡の縁は白い。全体的に自由業ぽい雰囲気がある。何となくいかがわしい印象。あとは顎にずらしたままで意義をなさないマスク。まあこういう図々しいオッサンはわりとよくいて、それから大体自分が図々しいという自覚もなかったりするものだ。どちらにしろ好きなタイプではないし、とくに関わり合いになることもないだろうと私は思った。

 すぐに私の応対に戻ったおばさん店員は「ごめんね」と何となく詫びるような目顔を自分に向け、追加分の会計をする。私は「いや別に何も」という表情でそれに応え、小銭を渡して品物を受け取る。

「今月一杯だけど、よかったらまた来てね」と見送られ、その店を離れて歩き出したときだった。

「ちょっと悪いんだけど、さっきのお釣り、確認してもらえるかな? お札間違えてない?」

 私より先に赤飯を買って、さっき店を立ち去ったはずの男が戻ってきて、そう言ったのだ。

 さて赤飯を買った男の主張は、以下のようなものだった。

 自分は赤飯の代金伍百円を壱万円札で支払い、釣り銭を受け取った。当然その釣りは九千伍百円であるはずが、いまさっき確認した所、伍千伍百円しかない。
 そちらで釣り銭を間違えたのではないか。
 自分は財布を持ち歩いておらず、ポケットから万札を直に出し、受け取った釣り銭はすぐにまたそこに収めた。よってこちらで間違えるはずがない。
 ……ほら、このように(そこで男はその場で自分のポケットを引っ張りだして他に何も入ってない事をわざわざ示してみせた)。

 以上の主張に対して、男の会計を担当した若い女の店員は「そんな間違えは……しないと思いますが」と控えめに反論する。

 ところが男は「いや現にこうして、こっちにないわけでさ」とあくまで譲らず、水掛け論も長期戦も決して辞さぬという態度を示す。そこで私の会計をしていたベテラン女性店員が助けに入ったのだが、男はやはり店側の過失を主張するばかり。

「なんなら自分の身体をこの場で全部調べてもらって構わない。いますぐ服を脱ぐ」とまで男は言い、店側はとうとう折れた。この男は四千円を追加で受け取った。

「いや、本当、こっちの間違いだったら後から言ってくれて構わないから……」そういって金を受け取りながら、しかし実際に自分の名刺や連絡先を残すわけでもない。夕暮れ時の他の買い物客に紛れるように、その男は足早くその場から去っていった。

 この一連のやりとりを、私はただ黙って見ていた。すこし離れた所に立ち止まり、ただ黙って見ているだけだった。

 ……あれは、釣り銭詐欺というやつではないのか。

 男が去り、それから自分も歩き出したすこし後で、ようやくその考えに至った。

 あの男の態度、ふるまいは明らかに怪しかった。だが証拠はない。部外者である自分が口を挟む隙はないように思えた。しかし怪しい。あれはいかにも手慣れた、即興性の詐欺行為だったのではないか。あくまで疑惑の灰色はそのままに押し通し、自分の目の前で、まんまと四千円をせしめていった。この街角で起こった即席詐欺……。

 もうすぐ閉めてしまう、むかしから続く老舗店で働く女性たち。それから奥に控えている店主の老夫婦。今頃はなんとも苦々しい思いで、その日の売上を計算しているのではないだろうか……。そんな事を考えると、何ともいたたまれぬ気分になってくる。


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 両手に買い物袋を持って歩きながら、いまや私はすっかり憤慨していた。ブンブンとやたら手を振り回して歩くので、買い物袋もブンブンと振り回される。

 先刻の釣り銭詐欺の事をずっと考えている。自分の感情は、いつもこうやって遅れてやってくる。

 不意に出くわす不条理に、その場ではいつも言葉を失う。何故こんな事象がこの世界に起こり得るのか、目の前の相手は正気なのだろうか? 何か壮大な冗談とか騙し合いのトリック合戦に巻き込まれている或いはこの世界が、それを観測している自分自身が、そもそも絶望的に重大な欠落や錯誤に陥っており、それに自分で気がつかず……? 

 と、このように結局はすべてが根本的に疑わしく、ただ呆然とするしかなくなる。ただそのような混乱状態を経て、怒りは突発的にわいてくる。いつもそうだった。そして今回もまた同じだ。

 ……あの中年男。いかにもベテランのおばさん店員が自分と雑談をして、さらに追加注文によって手が塞がった、まさにそのタイミングを狙ってきたのではないだろうか。考えれば考えるほど、そのように思われた。すると私があの店の終幕、苦しい商売にほんの少しでも貢献しようなどと柄にもなく思っての行為、それが全て裏目に出たということになる。

 つまらぬ即興詐欺に私という存在が小道具として使われ、その結果、店側は四千円ばかりの不利益を被った。

 ……許せぬ。

 またもや呆然と立ちすくむだけだった自分に対する苛立ち。それも男への怒りを加速させる。「それでもお前は探偵なのか」と私は私を責める。いつも怒りはそうやって己の内で混ぜ返されて培養、どこまでも際限なく膨れ上がっていくのだ。

「あいつだ……!」

 そこで私は思わず呟いた。すっかり血が上って頭が重く思わず前のめりになって、つま先立って歩いていると、数拾メートルばかり前方に、あの中年男の後ろ姿が見えたのだ。

 もうすでに自分の中で、疑惑は確信へと進化している。間違いない、あの詐欺野郎め。だらしのない服装と締まりのない大柄な身体から、もう確実に後ろ暗いものが漂っている。

 早足にその男に近づくほどに、自分のその感覚が正しく思える。私もひどく早足になっているが、この男だって、ちょっと不自然なくらいの速度で歩いている。それもまた不徳の証なのであろう。

「さあ、どうする?」

 私は自分に問いかける。あいつの罪を、どう暴いてやろう。自分のこの怒りを、あいつを、どこにもっていこう……とにかく真実を暴き出し、罪を償わせる。とにかくそれだ……何故なら自分は探偵なのだから。と、それまで自分を支配していた怒りが、半ば自動的に、ある形質を取ろうとする……つまり観念と感情が自然交配、あたかも現世に受肉するかのような……。

ドンドンドンドンッ……!

 

 そうやって、乱暴に戸を叩く音が聞こえた。

 その音は自分の深い所から響いてくるような、むかし聞いたことのあるような、懐かしいようで厭わしい騒音。それから、やっぱりよく聞き覚えのある声。さっきの私の自問に、自分の代わりに勝手に答える奴がいる。

「決まってんだろ。後追うぞ。尾行は探偵の基本的な行為……ようするに存在証明だろうが」

 私の魂の戸を乱暴に叩き、ドアノブをガチャガチャ回して、勝手にこちら側に入って? 出てきた? あいつが、私にそう言うのだった。


路地裏の光景


「ずいぶん久しぶり? だよな、多分」
「……そうかもな」
「どうせ勘も身体もすっかり鈍ってんだろ。見失うなよ」
「そこは任せとけ」

 急ぎ足で歩く詐欺師から適度な距離を取りつつ、しかし決して見失わない様に、我々は本格的に尾行をした。

「……ちょっと思い出さねえか」
「何を」と不意に現れた昔馴染みの相棒に聞き返そうとしたところで、私もそれを思い出していた。

 あれは確か高等中学校の一年か二年。
 地元の中等学校の頃まではよく連んでいたヤゴに呼び出され、私は当時まだ馴染みのない帝都のある歓楽街まで、はるばる電気汽車に乗ってきた。古いカフェーで落ち合ったヤゴはいつものように状況説明などは一切せず「これ奢りな。とりあえず前報酬」と麦酒を二人分注文して、あとは黙って紙巻き煙草を吹かすばかり。やがて見覚えのある中年男がやってきて、それはヤゴの家で何度か顔を合わせた事のあるヤゴの父親だった。ヤゴの父親は不遜にも堂々と煙草を吹かし麦酒を呷る未成年の一人息子には別段取り合わず、どこか芝居がかった様子で「今回手伝ってもらいたいのはね……」と私に向かって話しはじめる。

「普通あんな事、ガキみたいな学生二人、しかもそのうち一人は自分のろくでもない息子に、頼んだりしねえよな」
「うっせえな」
「お前の親父、変だぜ」
「それは知ってる。おれが一番」

 あのときヤゴの父親に「依頼」されたのは、彼が役員の一人として勤務する軍備関係の小さな会社において、横領の疑惑がかかっている社員の尾行調査だった。「もうあと二つ三つ確証が欲しい」とヤゴの親父は小型の電気式写真機、それから必要経費として現金を幾らか手渡してきた。
 ほんとんど訳が分からぬまま私はヤゴと一緒にその会社員の後を尾けた。男は帝都高速道地下営団の支線を何本も乗り継ぎ、ある駅で降りた。途中、不意に後ろを振り返った男と目が合ったような気もしたが、結果的にその尾行は成功した。大きい公園の脇に止めた黒い車の後部座席に男が乗り込み、そこで運転手と言葉を交わしている様子を撮影した。
 帝都から地元に戻った私とヤゴは、男の行動を逐一報告。「想像以上によく働いてくれた」とヤゴ親父は喜び、かなり余った必要経費に加え、その年代の学生には不釣り合いな現金を成功報酬として渡された。

「まあ、お前に向いてると思ってたんだよな。ああいう探偵みたいなの」
「なんでだよ」
「図書館でホームズとかよく読んでた」

 お前それ、いつの話してるんだ? 尋常小学の何年のときだよ、そんなの。……多分、当時も同じようなやり取りをしたはずだ。そういえば成功報酬、何に使ったんだろうか。まあどうせヤゴに引きずられるように、ロクでもない何も残らない、後から考えて無駄にしか思えない、いかにも下らない使い方をしたんだろう。ヤゴといれば、いつもそうなるのだから。

「ほら、そこ曲がるぞ」
「分かってる。これでも本職なんだぜ」
「へえ、頼もしいじゃん」

 詐欺師男の背中からは、尾行に気がついた様子はうかがえない。だが油断は禁物だ。あくまで慎重に振る舞う、それがプロというものだ。

 しかしこうして曲がりなりにも、たとえ閉店休業状態だとしても、現在の自分が探偵として生きているのは、あの日の成功体験が影響している事は否定できない。つまり訳も分からずヤゴに引きずられた結果、自分は探偵になったのだとも言える。そんな不本意な事実にも思い当たる。


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「なんだ、お前の事務所のすぐ近くじゃん。まあ断然こっちのが家賃高そうだけど」
「……悪かったな」
「つまんねえ詐欺野郎の癖に、ムカつくったらねえよな?」

 悪態をつきながらヤゴが言った通り、男はS駅から汽車に乗るわけでもなく、街中をすこし歩き回って、あるマンションに入っていった。私の事務所からも、すぐ目と鼻の先の距離だ。

「で、どうすんだよ」
「それは考えてなかった」
「はあ? なんだよ、踏みこんで何かすんじゃねえのか? とりあえず暴れたり暴れたり暴れたりとかさー……」

 一応は小声であるが、耳元でやかましく喚き立てるヤゴ。確かに尾行した後のことは本当に何も考えていなかった。だからって意味もなく男の家に踏みこんで暴れた所で何の意味があるのだろうか。何もない。

 ここは暫く監視を続け……何か掴んで、いっそ脅すか? それでいくらか引っ張れるだろうか。この帝都に生きてきた探偵として、そういう知り合いがいないわけではないから、そういう選択肢も自然と浮かぶ。

 ……いや待て。

 私はそういった類いのダーティな探偵だったのか? もっとこう難解で高尚な事件を灰色でよく冷えた脳細胞を駆使して、鮮やかに解決……したかったんだ本当は、いつだって、あのときも。そう、たとえばホームズのような……なのに……私のアイリーン・アドラーは。

 すっかり萎んでくすんだ色をした私の脳細胞は、またいつもの神経衰弱の袋小路に迷い込んで……いこうとするのだが、急に目の前の現実に立ち戻される。

「ま、とりあえず正面から踏み込んで……暴れるか」とか言いながら本当に堂々と玄関のチャイムを押そうとするヤゴ。

「あ、馬鹿お前何やってんだ。止めろってば」思わず大きな声を出してヤゴを止めようとした、そのとき、

ボンッ

 

という音がした。それと同時に目の前のドアが枠から外れ、私に向かって吹っ飛んできた。



「……おい、目開けろ。プロなんだろうが!」

 バチバチと頬を乱暴に叩かれて、自分が一瞬だかどれくらいか、とにかく意識を失っていたことに気がつく。

 金属製の頑丈そうなドアが自分の横に並んで寝ている。何らかの衝撃により、すこし形がひしゃげている。そして内側は焼け焦げて黒く煤けている。どうやら密閉された部屋の中からの急激な空気圧、衝撃……つまり何かが爆発? ……したことによって、ドアが吹っ飛ばされた?
 
 私は身体を起こし、まだはっきりしない頭を振りながら、ドアが本来あった場所、部屋の玄関口に目を向けた。

 ブスブスと灰色の煙が濛々と、それから生ものが焼け焦げる匂いが、そこから漂ってくる。すっかり開放的になった玄関を入ってすぐのところに、何か横たわっているのが見える。「おい、行くぞ」なんてヤゴに偉そうに言われずとも、ここは踏みこんでみるしかない、そんな場面だ。なんといっても私は探偵なのだから。

「おー。こりゃ爆殺だ。すげーな。ド派手」

 玄関先に横たわっていたのは、あの中年男だった。仰向けに倒れ、でっぷりと突き出ていた腹部は内部からの爆発によって欠損して、その炸裂から僅かに残った内臓がむき出しになっている。まるでスプラッター映画のような光景だ。

「……見ろよ、これ」

 ヤゴがその辺に飛び散った内臓や、そこに収まっていたであろう内容物を指先でつまんで拾い上げ、いちいち私に見せてくる。

「なあ、塩大福だろ、これ? ……こりゃ、塩大福が野郎の腹で爆発したんだろうな。間違いねえよ」

 ヤゴは血にまみれた餅のようなものの断片を私の顔先に突き出す。

 血や臓物的な赤黒いものの他に、僅かにアンコのような小豆色がそこにへばりついている。

「マジかよ」
「マジだろ」

 現実離れしたこの状況に狼狽えている私に、ヤゴは平然とした顔で応える。いかにも野蛮で勇敢な、むかし私がよく知っていたヤゴという幼馴染みの顔らしく見えた。


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 凄惨な爆殺現場から、私とヤゴはさっさと退散した。

 居残っても面倒な事になるだけだ。そういう判断はいつも早い。そうでなければ探偵などやっていけない。

「やー、ビビったなあ」

 あまりビビってもいなそうな調子でヤゴは言って、私の事務所のソファにドカッと座って足を組む。

「おい、あんま乱暴に扱うなよ」
「なんだ小うるせえ。どうしたって景気悪い、つまんねえ事務所だろうが」
「……まあ景気はよくないが」
「だろうよ。あとお前、なんかすげえ太ってねえ?」
「まあ太ったか。年もとったし」
「あーあ。だっせえの。おれがいねえとテンで駄目だな、お前」

 相変わらず偉そうに、いかにも不遜に、あの頃とまったく変わらないヤゴは言った。それからズボンのポケットをあさり、グシャグシャになった煙草を引っぱり出して火をつける。ボッと音を立て、百円ライターの火が異様に大きく吹き出た。……そうやって改造するの、むかしよくやったものだなと懐かしく思い出しながらも、

「ここ、一応室内禁煙」
「ああ?」
「……ソファに灰落とすなよ」

 いつもの私の定位置で遠慮なくふんぞり返るヤゴの前に灰皿代わりの空き缶を置いて、私は洗面所に向かう。そこで手と布製マスクをしっかり洗い、うがいをした。念入りに鼻うがいまでする。

「……おいおい、さっきのマンション、テレビ中継されてるぞ! サイレンの音もすぐ近くから聞こえる。はは、おもしれー!」

 すっかり自分の家にいるようにくつろぎ、テーブルに足を投げ出してテレビを眺めているヤゴ。私は洗ったマスクを部屋の中に干しながら、そういう自分の行為が何だかすっかり馬鹿馬鹿しく思えてくる。

「いよいよ事件だ。盛り上がってきたな!」

 予防を重ねたところで感染力のつよい新型ウィルスによって死ぬ事もあるだろうし、近所の商店街で売っている塩大福が腹で爆発して死ぬ事もあるらしい。それから十数年ぶりに再会した幼馴染みは昔のまま少しも変わらず、外から帰ってきて手も洗わない。

 そのまま一週間ばかり経過した。


爆発塩大福殺人事件【後篇】」に続く

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