0816.1年前のわたしにありがとうと言おう
なんと今月末で、ベリーダンスを始めて1周年なのだった。
わたしは年単位で自分の動きを定点観測するようにしてるので(もちろん昔はできなかった)、1年目はどうなってるか?みたいなチェック項目が、Googleカレンダーに登録されている。
上達……は、多少している気もするけれど、センター感はまったくない。その証拠に、きのうのレッスンでここ最近の課題曲の仕上げDAYということで、みんなで踊っている動画を撮った。もちろんわたしもばっちり映っている(こっそりお腹は隠した)。
で今朝それを見てみて、あまりの自分の想像のダンスと、録画されたリアルな自分のダンスが雲泥の差ってほどかけ離れているので、がっくりと膝をついてしまったのだった。
下手だ……下手すぎる……。
1年やってこれかあ……ダンサーへの道のりって遠いんだなあ……。
まずウケるのが「今日は仕上げなので、録画しましょ!」と先生がカメラをセットした瞬間にもう、緊張マックスになっているのが画面越しにわかる。そのときも「あ、俺めっちゃ緊張してる」とすぐに思った。頭が真っ白になって、曲が入ってこなくって、ダンスの入りからすでにワンテンポ遅れていて、そこからも前半は緊張のあまり振り付けが飛んでいるので、とにかくいちばん踊れていないヤツポジになっていた。
「センターになってる?」って、センターどころかバックダンサーとしてもクビだろう。
そしてとにかく動きが小さい。自分ではがんばって大きく大袈裟に動いているつもりなのに、動画を見ると動きそのものが貧弱で、「なんでこの人踊ってないんだろう」くらいに、動けていない。
たぶん、カラダが動きによってぶれるのを避けたいという気持ちが、動きそのものを縮めてしまっているのだろう。
さらに、リズムに乗れていない。
振り付けをかんぺきに覚えていないせいで、音をカラダで表現するということが間に合っていなくて、誰かの振りを見てから動いているので、自分では合わせているつもりでも、動画で見ると微妙に音から遅れている。
当たり前の話だけれど、先生の動きをみながら踊ることができたとしても、それはダンスではなくやっぱり、エクササイズの域なんだと思った。
音楽を耳で聴いて、頭で考える、でもダメで、その音楽が鳴っているときにその音楽そのものとして身体が動いていないと、やっぱり遅いのだ。
リズム隊であるドラムやパーカッションが、次どんなリズムだっけ……と様子を見ながら打楽器を演奏していたら、その音楽は音楽として破綻している。
うーん、根本的に、うまくなろうという本気の意志がないひとの、甘えた踊りなんだな、と思った。来月から2年目に突入するので、意志・目標・ゴールの置き所を考え直さないと、ずっとこのままだということはわかった。
自分なりに、次の課題曲はテーマを設定して臨んでみようと思う。
たぶん、先生の動きを見て真似をしていく、ではダメなので、
ということをやってみようかな。
今日はずっとそんなことを考えていた。現状を見て、ありのままを見て、なにができていてなにができていないのかを過不足なくただ観察する。
このままではいやだ、と思うなら、できていない部分を少しでも”できる”に近づけるためにできることを考える。
小さなステップ、小さなテーマに落とし込む。そしてただやる。
ただやっているうちに、意欲は低下し、やっている意味や理由も忘れていくので(自然なことなのさ)、1ヶ月後・3ヶ月後・半年後、くらいのポイントの日付の中に定点観測日を入れておく。
とりあえず1ヶ月様子を見てみて、また過不足見て調整するって感じで!
ベリーダンス、楽しいんだね、わたし。よかったね、わたし。
始めてくれてありがとう、1年前のわたし。
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