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251.そういうときってある


なにかちょっとした悪いことや、がっかりしてしまうようなことがあったとき。あれ、なんだかツイてないな、とか、なんでそうなっちゃったのかな。わたしになにか良くないところがあって、そのせいでこうなっちゃったのかな。

とか思うとき。


って、わたしはわりとよくあるんだけれど、そんなときはまず、「そういうときってある」って考える。

そういうとき、まるで自分ひとりがとても大変でみじめでかっこわるく感じて、自分以外のひとがとてもすてきでシュッとしていてうまくいっているように感じるんだけど、ぜったいにそんなことはないのだ。

だれしもみんな、どこかでそんな日を、そんな夜を、そんな時間を過ごしている。それはもう「そんな時間を過ごしたことはありません」というひとが、人類でたったひとりもいないであろうと断言できる。それくらいに、たとえそうは見えなくったって、人間ってそういう部分を内側に持っているものなのだ。
それを、ひた隠しにしているだけで。自分からも、他人からも、隠しているだけ。

だから、「そういうときってあるよな」って思えばいい。


その上で、なんだか頭が悪い小学生みたいな言い草なんだが「そういうときこそ、いつもどおりになにも変えずに過ごしていると、必ず、そのときよりずっとずっと、ずっと良くなっていくものだ」と、思うのだ。


そういうときに、それまでやってきたことを、くさってやめたりせずに。
そういうときに、焦って、これまでとやり方を変えたりせずに。
そういうときに、あわてて、誰かに「どうしよう」って相談したりせずに。
そういうときに、目をそらすための、空虚な気晴らしをしたりせずに。
そういうときに、不安になって、いっぱい情報をかき集めたりせずに。


そういうときってあるなあ。

でも「そういうとき」って、終わるんだよなあ。

で、終わったあとって、もっとぐっと良くなっているんだよなあ。


と、そのカオスな渦中や、失望感に満ちたそのあとにやってくる、”摩訶不思議な実り”としかいいようのないものへの、かすかな希望を胸に、心の中では盛大にじたばたしつつも、心の外では、ただこれまでやってきたように、やるべきことをたんたんとやって、早寝早起きして、身近にいる家族や友達や仲間をたいせつにして、なるべく身体にいいふうに過ごして。

そんなふうにしていると、忘れた頃にその「そういうとき」っていうのは終わっていて、どうしようもなくじたばたしていた、そのじたばたも、摩訶不思議な実りとともに報われていて、


ああ、あのとき、すっごい「どうしよう〜!」とか思ってたけど、いま考えてみたらあのときのあれがあったことで、いまのこの幸せにつながったんだよなあ〜!
人生ってうまくできてるなあ!


なんて思っている、自分がいたりするのだと思う。



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