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女性で生まれて気づいたこと

医学的や見た目は【女】という位置づけになるのだろう。

名前も中性的で本名は男性に間違われやすい。いつも、幼い頃から、本人確認をさせられてきた。世間や人の思い込みって、面白い!
人の名前は、その人を表すというけど、スピリチュアルカウンセラーの先生に言われたのは、加護という意味にあたるのだろうか…!?違う名前なら、ハッキリし過ぎて、人生を激しく破綻してたかもしれない。
世間の価値観や思考までもが伝わってくる。HSP傾向の人に特有の空気や雰囲気で察知してしまう、周りからは考え過ぎなんじゃないかと片付けられるからツラかった。
構え過ぎたり、見ようとし過ぎてるのではなく、ワザワザ、腹を探ったり、あら探しをしてるのでも無い。気質だから、仕方がないのだ。自然とその場の雑念に敏感なだけ。この年になれば、対処方法を見出してきた。

病院へいくと【〇〇〇〇君】と言われてきた。本人を前にして、ゴメンネ(・・;)女のコなんだねって(笑)www

人が変わっても、何回か言われた事がある。

一応、フォローをしてくれる人はいたな。看護士さんとかね。いつものことだし、まぁ、エエけど…(TдT)

ワタシは父から認知されず、母方姓で私生児として育てられた。父は、身近にいたが、本妻と妾と分られ、うちの子・外の子という位置づけだった。

母は父のDV&薬物依存の後遺症で、精神科の入退院を繰り返し、幼少期は、父親の近くにいたから、アングラ社会の父の影響で、単純に幼い頃は、男の子の方が気楽に付き合えた。先輩のお姉ちゃん・お兄ちゃんも、天然マイペースな私には、よく話してくれた。

いつも、自分の存在意義や価値が分からず、そだってきた。自己肯定感が薄い薄いと分かりながら生きてきたし、この世からいずれは、サヨナラできる機会を伺っていた時期があった。思春期は特にかな。青年期も少しあったと思う。

心療内科・精神科・催眠療法・スピリチュアルカウンセリングと受けて、今に至る。

性的コンプレックスも相まって、ワタシの人生は変わってると思う。女性という【性】に対してコンプレックスを抱くトラウマ&PTSDを抱えている。noteには違うカテゴリーで書いてる。

女性という性で生きなくて良いなら、単なる器に過ぎないなら【無性】として、生きたいと子供の頃から願った事がある。社会に適合するために、何とか這いつくばって、ギリギリ女性という着ぐるみを着せられてる感は否めなかった。

発達障害の人によっても、性別という括りが苦手な人もいたりする。環境が左右したり、色々だということ。人は1つでは語れないと思う。特性や病で、性別という枠も必要ではなくなる日も近くなれば良いと思う。

メンタル的に、男・女でもない、性別という部分では、どこにも属せない孤独感と絶望感は、味わった人にしか分からないだろう。思春期〜青年期、やるせない部分とむきあってきたのだ。
これに答えを求める気はサラサラないし、こういう人生もアリなのかなって思う様にしたら、気楽になった。性別という枠に苦しめられる事も減った。

自分自身を認めてないと、何をしてもうまく行かなかったから、身にしみるとは、このことだ♥♥(っ.❛ ᴗ ❛.)っ

今はアラフォーアラフィフになり、20代前後半で両親を看取り、今は高齢出産で我が子と主人とのんびり暮らしてる。

ここまでは、ワタシの生い立ちも含め、性に関してテーマに書いてる。良くも悪くも自分自身を知る。

👇ここからは、暴力的描写の表現・性的描写・血・PTSDフラッシュバックのある人はスルーでお願いします。

13才〜14才で、初潮がきて女になって、赤飯を炊いて喜んでる育ての親と父がいたが、紛れもなく【生理だ!めでたい!】とかって、ワタシは迷惑のナニモノでも無かった。

悩まされる種を蒔いたのは、親なのに【何を喜んでるねん!】と思ってましたね(눈‸눈)

幼い頃から【血】をたくさんみた経験を持つとトラウマになり、女性という【生理】さえも恐怖の対象になるのだ。リストカットしたくてもカッター持ってもでき無い…自傷行為と言うものを探していた。

児童期や思春期に破綻してれば、精神科や警察のお世話になっていただろう。紙一重だが、精神的にはスレスレだったと思う。病院の方が守られていて、逆に日常生活が異常に耐えられない事もあるだろう。

思春期は、1度、補導された事がある。育て親には、怒られたけど、クラスメイトにつられて、1度だけ、注意されて終わった。

変にイジメや何かに遭うと、自傷行為なのか、余計に楽しくなってしまった。クラスメイトの女の嫌がらせとか、女特有の嫉妬やグループ化・カースト制に・イジメ(中傷)や仲間外れにされても、元から孤独だった人間には、媚薬すら感じてた時期があった(・・;)変態なのかも(笑)

ドラマでも花より男子とかで、道明寺がつくしをイジメるシーンもナカナカ堪らないのだ、もっと、イジメて、もっと、名前を呼んで欲しいとさえ思ってしまう。歪んだ愛かもしれ無いけど、ああ言う感じがワタシは普通の現実恋愛が出来なかったから、見るだけで安心してた時期があった。

どのドラマも暴力シーンは嫌いだけど、好きな人に激しく求められるのは、それはそれで、愛情表現だと思ってた。

月経前緊張症の症状は悪化してたし、一般の人でも、人が変わる程に、ホルモンバランスも不安定で、気分も心もコロコロ変わる思春期や青年期は大変だった。婦人科や心療内科へ20代は行ってましたね。

思春期は、完璧・潔癖を求める育て親と父への反抗に、不潔にしたり、片付けず散らかしたり、アタマ、ボサボサで休みは過ごしてましたね。

自分自身は、女という体に生まれて異様に恨んだ時期が思春期だった。

幼少期〜児童期にみた、アングラ社会の底辺にいた亡き父は、落とし前の指を舎弟がハネたり、ピストル音・救急車・パトカー・飲み屋街の抗争などなど、よその女とラブホへいく。本妻の子供より、大人の世界の場数を踏むことになる。 

私が、中学の頃は、父は、刑務所から帰ってきては、酒乱もあったし、女と飲み練り歩くし(・・;)父繋がりの外車に乗った舎弟が薔薇を持って、スーツ姿で来てた。今思えば、この人たちは、父への恩があった様だ。

メンタル持たないから、コタツのモリをしてた。ひたすら、静寂のある場所を探していた。

幼い頃は、遊園地や動物園と子供を楽しませてくれた、優しい父親とは二面性の裏腹に、ワタシHSP気質で、いつも大人の顔色伺い、瞬時に状況を判断して生きてきたから、子供らしくは無かったと思う。

良い子でいたら愛がもらえると勘違いしてた。とんだ勘違いだったな。

お腹にいたときの胎内記憶から、出生してからと言うもの、幼少期と児童期は、見ない様にしていた。離人感の発症は、思春期は強かったと思う。

ワタシの内面とは裏腹に、亡き父の派手派手な世界のアングラ社会に羨ましいとさえ、思ってる人もいたり、男の子なら、仁義なき戦いやトラック野郎とか昭和の映画の世界を垣間見る事が出来るが、当事者の子供にとっては、そんなに、心地が良いものではない。迷惑でもあり、同じアナのムジナと思われるのも不快だった。

ワタシは異母兄弟・姉妹が早くに結婚したので、中学生くらいで、オバサンになっていた。今なら32歳〜34歳位のイトコになるだろう。小学生位までは、会ってたな。大人になって会うことはないだろう。

【生理と性欲とホルモンバランス】について

知り合いも私の生きてきた、周りの女性も何人かは、生理がある日は何もしたくなくなると聞いた事がある

子宮から血がドバドバと出るのに動くたびに気持ちが悪い。生理用品によっては、改善される。子供を授かった自分からすれば、それは、それで、10ヶ月生理を見なくて済んだのだが、生理の役割を改めて痛感しました。(・・;)

生理前は、性欲が増す人と、何もしたくない人と分かれるらしい。生理前が性欲が高まるらしい。いつも生理前後はイライラが増す。更年期なると、余計にイライラも増す。

海外のニュースでも、犯罪をおかすのが、生理周期であるそうだ。月経前症候群の症状がヒドイ女性は犯罪傾向に表れるそうだ。窃盗・殺人・色々だそうだ。月経前症候群と分かれば、海外によっては、考慮されるそうだ。

女は、金がかかると言われるが、確かにそうだ、生理用品から、下着まで、化粧品などなど(・・;)思春期は、自分の扱い方が分からなかった。化粧品に興味わいても、心と体がついては行って無かった。

女性というイメージやメンタルが落ち着いてると、化粧もオシャレも一時期ハマる時はハマり、物を買ってバランスをとっていた。

母もコスメが大好きだった。母もメンタルバランスでオシャレや何かをしたい人だったのだろう。唯一の趣味だろう。

今は、とにかく、アラフォー・アラフィフになると、生理がなくなる日が近づく、もう、女としての一部を失くして、シュンと落ち込む女性も多いと聞く。ワタシはその逆を生きてる人間かもしれない。

生理が無くなるまでは、何年間はかかるが…(笑)ワタシは逆に清々しいとまでは言わないが、半分、肩の荷がおりる感覚なのと、どうなるか分からない気持ちと2つだ。

生理を見る事でショック療法になっていたのかもしれない、向き合う事で、それを見る事で【血】PTSDやトラウマを改善してこれたのかもしれない。

いまは、そういう、不甲斐ない自分自身を認めて、今がある。

セックスや性についても、日本はもっと、真面目に取り組んでも良いと思う。大切な事を見失わない様にと思う。

恥ずかしい・身近な性について語らう場面がない。逆に、性について、あからさまに扱うのも良くないが、子供は受験&勉強マシーンでは無い。親の所有物や付属品でもない。人の心がある大切な一人の人間なのだ。

毒親・兄弟・姉妹・先生・会社・学校・友人への愛着がなく、甘えれる事が出来ないなどなども気をつけてみてあげてほしい。愛着障害は、大切な関係やパートナーにでてくる。

のちのち、友人を作る時、学校で何かをする時、性に目覚める時、自慰行為や性教育をしているか、男女交際する時、会社に入って、人との付き合い、結婚、子育て。

年齢相応の情緒があるか、子供がのびのびと興味津々に過ごせる事は大切な時期です。

愛着というのは一生ついてきます。

抑圧・否定的な教育は、人格は歪んでしまうだろう。性=人格って別モノに思ってるかもしれないが、人格形成に大切な時期に甘えたり、親子のスキンシップ、子供らしくワガママする事は大切なことです。ハグや抱っこ、褒めてもらえる。何か失敗をしても、リカバリーさせてあげる。失敗はコワイものと、うえつけない。その子の特性・病や個性を大切に見出してあげる。

同調圧力し過ぎで、子供は壊れる

子供たちの未来や少子化減少に被害者・加害者の歯止めとは言わないけど、今ある時代に必要なのは、性に対しては、恥じらい躊躇うというタブー化するのではなく【臭いものに蓋を】し過ぎない様に、積極的に真面目にエロを考える道徳教育があっても良いと思う。

文学作品では、恋愛だったり、男女の情事や秘事が残されてる。ベールにつつまれた、世界だけでなく、踏み込んで、もっと、大切な事を子供たちに後世に残して行くほうが良いと思う。

あからさまに性にオープンになりましょうという話ではなく、冷静に子供には、人生を生きていくために、ブラッシュアップしてもらえる環境を整えて置く事だと思います☀️🤗

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