『リセットボタン』のはなし
「人生にリセットボタンはありません」って説法を垂れる大人たちはまだいるのだろうか。
僕が子供のころはまだソシャゲどころかスマホすらなく、ゲームといえばもっぱら家庭用ゲーム機だった。
子供たちが放課後をゲームに費やすことを快く思わなかった大人たちは、少しでもゲームにネガティブな印象をつけたいのか、
「ゲームばかりやってると現実と区別の付かないゲーム脳になる」
「人生はゲームほどに甘くない」
みたいな意見を子供たちに振りかざすこともあった。
「人生にリセットボタンはありません」もそのうちの1つ。人生は簡単にはやり直せないのだから、ゲームばっかり無駄にやってないで真面目に生きろ、と。
まー、言いたいことはわかるんだけど、でも人間関係にはリセットボタンもあるよなあ、と大人になってから思う。人間関係が主にSNSで構築される昨今は、特にだ。遁世したくなったらアカウントを消せばいい。
それでリセット。
そしたらまた、新しい名前と顔で人間関係をやり直すことだってできる。人間関係のしがらみから脱するためのセーフティネットとしても機能することを考えると、リセット自体は悪いことじゃないよなあ。
だけども、リセット癖がつくと大変。アイデンティティが蓄積されない。一時的にはラクになれるけど、あまりに繰り返せばただただ孤独が深まるだけ。
だから人生にリセットボタンはあるけど、カンタンには押さない。そういうことですね。大人になってやっと、リセットボタンの持つ意味が深くわかった気がする。
ちなみに僕がプレイしている人生という名のゲームはというと、どうやら古くなってきて記憶装置がバカになってきているらしく、ありがたいことにリセットボタンを押したいと思うことは少なくなった。
「失敗」に関する記憶が星のカービィスーパーデラックスのセーブデータよりも頻繁に消失するので、なにかあっても「ま、いっか」とプレイを再開することができるからだ。
最新鋭のゲームもいいけど、古くなってきたレトロゲームを遊ぶのもなかなか悪くはない。
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