『行列のできるお店』のはなし
とにかく僕は待ちたくない。東京のランチはストレスでしかない。並ぶわ並ぶ。人が多すぎる。
そんな僕が忌み嫌っている行列だが、信じられないことになぜか世間ではアピールポイントとして扱われている。惑わされないでほしいのだが、「行列のできる」はどう考えてもマイナスの形容詞だ。
よく考えてみて欲しい。「行列のできるおいしいお店」と「行列のできないおいしいお店」ならどっちがいい?
後者だ。ほかの条件が同じなら行列のできないお店にいくっしょ。
でもなぜかテレビやら雑誌やらではこぞって「行列のできる」という売り文句を採用する。これって悪手じゃないの?
「行列ができるのは人気だからだろう。人気ということは人が集まる理由がなにかある。それはきっと美味しいとか、コスパがいいからとかポジティブな理由に違いにない」みたいなこと?
でもさ、単純にお店が小さくてキャパシティがないだけかもしれないし、業態的に長居する人が多いだけかもしれないよ。都内のちっちぇ~カウンター席しかない個人経営のカフェとかさ。そりゃ並ぶよ。
あるいは「行列に並んででも食べたいくらい良いお店だ」ってこと?じゃあやっぱり行列ができるってのはマイナス要素って認めていることになる。そんなお店に並ぶのは分が悪い賭けだ。
だって並んでいなければ「ま~こんなもんよね」で許された評価すら、行列のできる店なら「並んでたわりには・・・」みたいなことになる。ハードルがただただ上がるだけだ。
だから僕は「行列のできるお店」という形容詞が褒め言葉として扱われることに疑問を抱いている。これがプラスの意味を持つのは、並ぶこと自体に価値を見いださない限りは成立しない。
例えばなんだろう、仲睦まじい高校生カップルが家に帰る途中、一緒にいる時間をできるだけ作りたいから、(お互いそれを明言はしないけど)自然と行列を作っているお店にあえて並んで、二人きりの会話を楽しむ・・・とか?
都内のちっちぇ~カウンター席しかない個人経営のカフェとかに?
は~ん
腑に落ちました
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