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『高級外車』のはなし

道を歩いていると、高級外車が走っているのをたまに見かけませんか?

そういうのに乗っている人って意外と若い人だったりする。そのサマをみているとこれが勝ち組といわれるグループかと思わざるを得ない。必死に「わ」ナンバーじゃないよね?と目をこらすけどそんなことはない。悪あがきにもほどがある。

いいや、でも嫉妬じゃないよ。これはけっして嫉妬じゃない。

いやごめんなさい、嫉妬です。うらやましい。外車そのものじゃなく、生活に余裕があることが。ルサンチマンまみれの人生です。

だってさあ、こちとらスーパーで500円の刺身を買うかどうかで30分悩む人生だぜ。竜王戦でもそんな長考しないよ。しかも結局買わなかったよ。特売のカボチャをシチューにしたよ。これはこれで正解だったけどさ。

これまで30年生きて生活に余裕があるなんて思ったことがない。ずっと綱渡りみたいに生きてきてる。そんな自分と比べると、高級外車を乗り回す人間なんて天上人だ。圧勝。122―0でコールド勝ち。

いやでもちょっと待って欲しい。ここはひねくれた論理展開でなんとかできないか。考え方でムリヤリ勝利を収めるのだ。ペンは剣よりも強し。じゃあ早速はじめよう。

いいかい、まず前提として、買い物ってのは何かを満たすためにする行為だ。

おなかが減ったから食べ物を買う。

外が寒いから厚い服を買う。

どこかに行きたいから乗り物を買う。

キレイになりたいから化粧品を買う。そうだろ?

つまり買い物の裏側には「不足」がある。その人に足りない物があるから、それを補うために買い物をするんだ。

じゃあ高級外車を買う人には何が足りないのか?

まあ「生活の足」ではないだろう。もしそうなら国産の大衆車で間に合うからだ。「走行性能」という人もいるかもしれない。でも信号も多く道もせまい日本では充分に生かし切れないのではないだろうか。「乗りごこち」とか?いやあ、国産車でもかなりいいよ?それでダメなほど敏感ならむしろ整体とか行って身体のゆがみ直してもらった方が良いかもよ。一回行ってみなって。心配だからさ。

じゃあ、何が足りない?

「ステータス感」というのが容易に想像できる。自分に不足している気品や育ちみたいなものを、高級外車に委託しているという見方。その車が高級であればあるほど、その裏にある「不足」は浮き彫りになる。照らされる光の強さが強いほど影がはっきり濃くなるのと同じで、満足していないことがさらに際立つ。

つまり言いたいのは、高い買い物をする人にはそれに相当するレベルの深い「困りごと」を抱えてるってこと。困っていなければ買い物で解決することもないでしょ?満腹なのにステーキ丼を頼みますかって話。

そう考えると高級外車を乗り回してる人もそれ相応に困ってるってコトか。かわいいもんだな。これで街中を歩いているとき、成功者をみて劣等感で狂い出しそうになっても踏みとどまれるってもんだ。

ちなみに僕のnoteも原理は同じ。書くことで足りないものを必死に埋めようとしている。わかるでしょう?足りないからさあ、自己肯定感が。

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