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自宅療養安静中。ねえ、ワーママで良かったですよ。

567じゃありません😆

喘息がひどくなって
主治医に来週火曜日15日までの
自宅安静を指示されました。

今は咳が多くて
声が全く出ない状態です。

あ、でも慣れていますから
大丈夫ですよ😉


ステロイドの強いのを
内服して、
抗生物質を飲んで、
ステロイドの点滴をしても、
出て来る喘息発作。


昔だったらとっくに
死んでいただろうな~、と
思いますがね。

なんとなんと!

今は毎月1回
注射するだけで
全然発作が出なくなる
薬があるんですよ!

これは花粉症の場合も
症状が出なくなるそうです。

最近お値段も下がって来ましたが
私はそれでもまだ
毎日の吸入の方がお値打ちなので
やりませんが、

もっとひどくなっても
大丈夫、という安心感はありますね。


そういえば子どものころ
母が天然パーマの私に

「貴女は平安時代に
 お姫様として生まれていたら、
 髪がくるくるだから
 座敷牢に入れられていたわ」

とよく言っていましたが、

座敷牢もすごいけど
自分の娘が
「お姫様として生まれる」という
想像もすごいですね😅


斎藤一人さんが
「金と水はどちらが貴重で大切か」と
言っていました。


日本に住んでいる限りは
砂漠でもないし水があるから、
金の方が絶対に貴重なんだと
言っていました。


もちろん、水は大切ですがね。


万が一論を言うのは、
要らぬことで悩むのは
やめろ、ということです。


しばらく学校に行けないので
折角だから断捨離など
家で出来ないことを
しようと思いましたが、

夜寝ていないのと
副作用がきついので
それどころじゃありません。


※でもnoteはやる。


大人しく寝ていようと思います。


もうすぐ学生の日本語能力試験なのに
こんな時に代講を
頂きましたが、

ありがたくもベテランの先生方が
代講を引き受けてくださって
安心して休むことが出来ます。


代講を探すとき、
その日に授業が入っていない先生の
メールアドレスを選んで
数人に依頼メールを出します。

メールアドレスを探しているとき、
2人の先生のアドレスが目に留まりました。

K先生とO先生。

こちらの記事でもちらりと
ご紹介しました。


K先生はチビが1歳ごろから
私が急な代講の依頼メールを送るたびに
1番乗りで助けて下さった先生でした。

あの病気で急遽、還らぬ人となりました。

西洋の方で長年
日本語教師をしていらして、
経験豊富な分、お話が楽しくて
服装も西洋系のファッションが似合う
おしゃれな先生でした。


毎週金曜日は
慌ただしい授業の合間のお昼ご飯を
ご一緒した後、

K先生の3限と私の4限のクラスが
一緒だったために、
3限と4限の休憩時間に
同じ教室で雑談をするのが好きでした。


とても優しくて
優雅な先生で、
私が喘息で苦しんでいるのをご覧になって、

ご自分も同じ病気であるために
喘息を軽くするヨガを
教えてくださった後で、

わざわざ喘息治しのヨガの
分かりやすい本のコピーを
下さったりしていました。


子育てによる代講続きの
罪悪感に押しつぶされそうな時に
気分をいつも上げてくださった先生でした。


もうお一人は、O先生。


私は産休後、日本語系の授業は
干された、というか
あまり頂けなかったのですね。


そのおかげで今は
マーケティングや国際関係論などが
教えられるようになりましたが。


日本語系の授業は
代講の引継ぎが大変な上に
準備の時間もかかるので、

急な代講だと他の授業よりもっと
大変なのです。


その中でも私に日本語の仕事を
くださった担任の先生が、お二人。


担任と言っても非常勤講師で
担任手当は月に2万円しかありませんから、
困った教師が自分のクラスに入れられると
自分の首が締まってしまうのです。

一人は私を新人の頃から
育ててくださった
経験30年以上のT先生。
私の母のような存在です。


もう一人がO先生でした。
50代前半の、ショートカットで
パンツをすらっと着こなされた
男装の麗人のような
美しい先生でした。


私が急な代講で
穴をあけてしまっても
決して怒らず、

「子育て中は当たり前ですよ」と
にっこり笑ってくださいました。

いつも、同じクラスの
学生の状況を教えてくださって
熱心で、誰の悪口も決して
仰らない、心の清らかな先生でした。


私がO先生とのことで
とても後悔していることがあります。

O先生が具合を悪くされて
入院される前、
私は息子の具合が悪くて
お休みを頂いていました。


久しぶりに学校へ行ったら
O先生が入院されたから
寄せ書きを書いて、と
色紙がまわってきました。


O先生はスレンダーな割に
食べるのが大好きで
それはおいしそうに
量をたくさん召し上がる方でした。


そこで、私は確か
「大変なこともあるでしょうが、
何かおいしいものでも召し上がって
 ゆっくりされてくださいね
」と
書きました。


しばらくして、仲良しの先生が
O先生がお亡くなりになった、と
教えてくださいました。


次第にぽろぽろと
O先生の最後の方の
状況が耳に入ってきました。

数日のあいだ
ろくに食べ物を召し上がれないまま
授業に臨んでいたこと。

特に最後の授業は
全く何も食べていない状況だったこと。

辛くても苦しくても
自分が担任のあのクラスだけは!と
かなり無理をして
いらっしゃっていたこと。


私はとても後悔しました。
食べるのがお好きだったのに、
食べられなくてつらかったのに、

「何か美味しいものでも召し上がって」なんて
軽々しく書いてしまったことを。


でも、O先生は
亡くなられてから2回
夢で私に会いに来てくださいました。

いつもの笑顔で
いつものおしゃれで素敵な姿で
にっこりと微笑まれました。

お亡くなりになってまでも
優しい先生でした。


ねえ、K先生、O先生。


私が何もお返しできないまま
旅立たれてしまいましたが、
私はいまだに他の先生にも
お返しできなくて
借りが増えてばかりなんですよ。


まだまだお借りすることばかり
なのかもしれません。


だけど、ちゃんと
出来ることを
返していきますね。

お二人に頂いた優しさは
私の宝物です。


ちゃんとちゃんと
他の人に返し続けますね。


ねえ、だから
子育てをしながら
仕事をして
罪悪感がいっぱいあっても、
良かったって思いますよ。


こんなに素敵な宝物を
頂けたんですから。

今はまだ
足を引っ張ることが多くて
迷惑をかけ続けていても、
それをずっと返していこうって
思うことが出来たんですから。






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